サイバードリーミーホリデイズ
「誠に申し訳ありませんが、ほんの一時間皆様方のお力をお借りしたいのです。きっかり一時間で終わります。これからはじまる新しい世界のためにどうかお力添えください」
どこの国のパソコン、スマホにも同時刻にこの意味不明なメッセージが流れた。そしてその後こうメッセージは続いた。
「あなたのコンピューターは一時間だけ、私の兵隊になってもらいます。但し鉄道や空港など交通機関、病院にあるパソコンは対象外としています。ご安心ください。この行軍ではただの一人の人間も殺すことはありません。ただただ、あなた方はわたしたちの指揮のもと、行軍に参加してもらうだけです。目標は今のところとある組織に向けて、とだけ言っておきます。一時間後全ての作業が終わった時点で再度皆様にメッセージを送ろうかと思います。では一時間後にまたお会いしましょう」
メッセージが流れ終わると、また空を飛ぶ二羽のカラスのアニメが流れはじめた。
紅白歌合戦が消えた夜、正真正銘のパニックに襲われたのは市ヶ谷のとある建物の中にあった。
防衛省サイバー防衛隊の当直職員、上野聡は、なすすべもなくシステムダウンしたコンピューターネットワークの、理解不能な事態を前にして、ただ青ざめ茫然と立ち尽くしていた。「一体全体誰が何のために??」と。何がどうなっているのかと思いを巡らそうとするが整理がつかないままに、今度は防衛省中の電話という電話が突然一斉に鳴りはじめた。大晦日の夜、ただでさえ少ない当直職員だけでは到底対応できない程の電話が、悲鳴のように鳴り続けていた。ネットワークの復旧こそ真っ先に解決すべき事案のはずなのだろうが、どこから手を付けていいものかまるで見当がつかず、実際にはそれさえ許されずに、上野は次々とかかってくる電話の応対に追われることになった。しかしかかってきた電話で知るに及んだ事実に、上野はさらに想像さえ不能な追い打ちをかけられることになった。すでに一当直職員が理解できる範疇は、とっくに超えていた。どの電話からも、全国津々浦々、青天の霹靂といっていい事態に襲われているという情報が、畳みかけるように押し寄せてきたからだ。
「こちら余市海上自衛隊基地、何者かの攻撃によってシステムが完全にダウン使用不能です」
「こちら陸上自衛隊東北方面隊。第六師団、第九師団、サイバー攻撃を受けてネットワークが完全に停止してます!」
「こちら中央即応集団、第一空挺団以下全ての部隊が機能停止状態になってます!」
「こちら佐世保海上自衛隊基地、システムが完全にやられました。イージス艦を含めて全ての艦船が機能停止してます!」
「こちら航空自衛隊那覇基地、システムが完全にダウン、離発着が不能状態です!」
次から次へと日本中にある基地、駐屯地からネットワークのシステムダウンの報告が寄せられてきたのだ。
DDOS攻撃の矛先は防衛省及び、全ての自衛隊関連の基地、駐屯地、さらには在日米軍全てにであった。組織された何百万、何千万のパソコン、スマホが隊列を組んで、それぞれのネットワークシステム、サーバー中枢に進軍し、次々とシステムダウンを起こしていった。
──しかし、一体全体何なのだこれは……同時多発大規模テロ?……いや、もしこれがどこかの国からの宣戦布告的な、前哨戦としてのサイバー攻撃であったとしたら……我が自衛隊は現在丸裸も同然、今攻撃されたら、なす術もなく軍事的に制圧されることになる……現在我が国の防衛力は限りなくゼロに近い。とは言え、今どこの国に我が国を具体的な軍事力を持ってして、攻撃する理由があるというのだ……。
上野はそう呟き、大混乱の中、直属の上司である隊長の中川一等空佐に緊急事態として連絡することにした。
「とにかく日本中の自衛隊関連のネットワークがやられてるんです!敵が誰なのか、何の目的があってなのか、まるっきり理解不能です!何がなんだかさっぱりわかりません!正直サイバー防衛隊の存在意義が問われる、そういう類の事態です」
中川自身も自宅でテレビが突然映らなくなる奇妙な現象に見舞われて唖然とする中での上野からの電話に、(サイバー防衛隊どころか、自衛隊そのもの、いや内閣総理大臣の首にまで発展する事態なのではないか)と危惧しつつ、防衛省事務次官、統合幕僚長、陸海空それぞれの幕僚長に連絡。そして防衛省関連への空前絶後のサイバー攻撃が発生しているという報告は、政務官、副大臣、防衛大臣へと伝わり、全閣僚そして内閣総理大臣へと伝わった。こうして主要関係者は緊急事態として至急首相官邸に急遽召集されることになった。
上野は中川が官邸で説明するための資料として、現在報告されている全ての被害状況を纏(まと)め上げ、ファクシミリで中川宅に送った。
しかし世を震撼せしめ、擾乱の極みを思わせたDDOS攻撃は、政府中枢が官邸に全員揃う前に、拍子抜けするかのようにあっさりと収束してしまうのだった。メッセージが約束した通りにきっかり一時間経つと、乗っ取られたパソコン達は潮が引くように元通りに使用可能になったのだ。復旧に時間がかかりそうなものを除いて、各ネットワークは徐々にではあるが回復に向かっていった。
上野自身も自らのパソコンを立ち上げ、システムの安定を確かめ、サーバーの安否を一つ一つ確認する作業に移った。そして今度こそ正真正銘の驚天動地の非常事態が発生していることを目にし、上野はただただ凍り付き。茫然自失することになった。全身の血が一気に引いていくのが分かった。腰を抜かすとはこういうことをいうのだろうと、ソファーに項垂(うなだ)れるように座り、絶対にあってはならない驚愕すべき事態を前にして完全に思考は停止し、言葉さえ失った。
──何ということか……軍事機密のサーバーにあるデータというデータが、一切合切消え去っている……
午後九時。最初のメッセージから一時間が経っていた。
約束通り地球上にある乗っ取られた全てのコンピューターに、同一のメッセージが流れはじめた。誰もが固唾を飲んでメッセージを見守っている。メッセージは真っ黒な画面から白抜き文字が一文字一文字フェードインして浮き上がるように現れた。
作品名:サイバードリーミーホリデイズ 作家名:ふじもとじゅんいち