サイバードリーミーホリデイズ
年の瀬、大晦日にしては閑散とした商店街を抜け駅に向かう。ヘッドフォンステレオではジャッキー・マクリーンのアルトサックスが、都会の喧騒を軽やかに奏でている。電車に乗り込むと車内は意外や空いていた。何の話をしているのか見当もつかないが、少しはにかむかのように談笑する女子高生二人組、言葉も視線も交わさないが、寄り添い合って暮らしていることだけは感じさせる老夫婦、スマホをいじりながらベビーカーを囲む若夫婦……忙(せわ)しなさも一段落して家路に向かう人々。ここだけ見ると何の変哲もない、いつも通りの電車の風景。彼らはどうやって二か月前の「円の死」という大惨事を切り抜けたのだろうか?安穏とした表情で電車に乗っている以上、上手くやり抜けたということだろうし、奈落に堕ちた人々は、このいつも通りの風景に入ることさえできなくなったということなのだから。
草介は席に座るとスマホを取り出し、最近日課になっている新着動画を確認する。お目当ては上海のお笑い芸人林清源の漫談で、草介は勝手にこの芸人を「上海のレニー・ブルース」と名付けていた。機関銃のような早口で上海語をまくしたて、優雅に時に下品に社会を皮肉り、世界を嗤い一部熱狂的なファンに支持されていた。「中国も変わったものだ」と、草介はそう思う。電車の中で笑いを堪えながら動画を見終わると、百ワールドコインを投げ銭する。ユーチューブ動画では二年程前から「イイネ」ボタンの代わりに、視聴料徴収機能として投げ銭ができるようになっていた。草介は何一つ笑えなければ〇。くすりでもさせられれば五〇ワールドコイン、大いに笑わせられれば百ワールドコイン、長い余韻を持って爆笑させられれば二百ワールドコインという、自分なりの基準をもって、おひねりではないが送金することにしていた。まさに「お代は見てのお帰り」という、満足度がそのまま報酬額に現れるわけだから、これ程理にかなった商売はないといえた。もうジャケット詐欺、パッケージ詐欺の話は遠い過去のことになった。それにしたって、駅前でギターを弾き、広げたギターケースに投げ銭してもらうという行為がそのまんま世界化したというわけだ。エンターテインメント業界は、このシステムのお陰でまさにビジネスモデルの革命的な大転換を遂げることになったといえる。同時にこのシステムで特筆すべきなのは、「ネット上のデジタルコンテンツは無料が当たり前」という常識を、利用者側が自ら覆したことにあった。コンテンツを送る側からすれば、いかに利用者に視聴料を支払わせるかが積年の課題で、結局閲覧回数の多寡によって広告収入を得るという旧弊な形でしか収入を得られなかったからだ。それがむしろ視聴者側から率先して金を送るようになったのだから驚くべき転換といえる。もっともつまらない作品には一銭も入るず淘汰されていくわけではあったが。新旧共々、音楽も映画もアニメも、そしてテレビ番組やら落語などはこぞって著作者自ら、動画をアップロードするようになっていった。比較的安価で手軽に作れるアマチュアによるアニメは玉石混交、有象無象に溢れ返っている。もはやプロもアマも関係なく、当たれば億単位の金が国境を越えて投げ銭されるのだから、当然の帰結といえよう。ふと草介は十九世紀終わりに蓄音機とレコードが発明された際、当時の職業音楽家が、そんなものが広まったら自分たちの職が奪われると、レコード制作会社に抗議をしたという逸話を思い出した。現実には新たな産業が興りむしろ音楽家の需要や収入は増えていったわけだが。要は新しい人ほど技術革新についていけるということなのだろう。
私鉄沿線を乗り継ぎ二十分程電車に揺られると、目的の駅に到着する。駅の階段を降り改札を出ると目の前に鬱蒼とした緑道がある。その緑道沿いを六、七分程歩くと目的のマンションがあるということだった。すでに陽は落ち、群青に溶けていた夕空は鉄紺に沈み、外灯の白い冷たい光が文字通り寒々と歩道を灯している。時折強い北風が空から降りてきて、足元に絡む落葉が騒(ざわ)めきながら群れ、地を這い蠢(うごめ)いている。葉を散らすことのない身の丈十五メートルはあろう一本の巨木がゆらゆらと魔人のようにもんどり打ってシルエットを映す。葉が落ちた落葉樹は白骨死体のように震えている。ダウンパーカーのポケットに手を突っ込み、五分程歩くと少し開けた街並みになり、四辻を越えて左側に目的の古めかしいマンションが現れた。緑道を挟んで反対側には火事でもあったのだろうか、燃えて朽ち果てた民家が恨めし気に佇んでいた。
「しかしなあ、何も大晦日に自殺なんかするなよ・・・」
草介は自殺を思いとどませるNPO団体「いのちのよりどころ 樅木の会」のボランティアをしている。失業から生活苦、多重債務、対人恐怖症、引きこもり、不眠、家庭内暴力、幼児虐待のトラウマ、学校や職場でのいじめ、肉体疾患からの貧困……。不幸が連鎖し複合的に精神が破壊され自死へと導かれていく。貧弱な社会保障。声高に叫ばれる、自己責任という無情な言葉の暴力に支配される社会。
その交流サイトでは、追いつめられ疲弊し、困窮した様々な人間の声が泥土の如く寄せられていた。ただし、この手のサイトの常なのだろうが、悩みを無雑に打ち明ける者だけにとどまらず、いかに自分が不幸であるかを延々と語り続ける者、親に、教師に、上司に果ては鉄道の駅員、近所のコンビニの店員から社会全般諸々に対し、それで憂さが晴れるわけでもないだろうに、思慮の欠片もない悪罵を凶暴に投げつける者で溢れ返っていた。呻(うめ)きとも叫びにも似た呪詛を撒き散らしながら、暗い海の底を漂流している無間地獄さながらの亡者どもの集い。しかし匿名性という鎧を身に着けると人はこうまでして、惨たらしい醜悪を撒き散らせるものなのか、この病理を正す術はないものか、目にするたびにそう思わずにいられなかった。
そうであったとしてその掲示板は、深刻な悩みを打ち明ける人々を見極め、相談員が手を差し出す場であった。掲示板上で相手をし、電話をかけさせるように説得、最終的にはセンターに出向いてもらうか相手の望む場所に行き心のケアをし、カウンセラーを紹介したり、必要に応じて生活保護の申請を役所まで付き添いつつ、(それにしても役所のほどこしが受けられることをまるで知らない人がどれだけいることか!)そこまでがこのボランティアの仕事で、まずは自殺を思い止まらせることを最大の目的としていた。
作品名:サイバードリーミーホリデイズ 作家名:ふじもとじゅんいち