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ふじもとじゅんいち
ふじもとじゅんいち
novelistID. 63519
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サイバードリーミーホリデイズ

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 スナック「楓」は五十半ばのママ山口楓が一人で切り盛りしている店で、八人ぐらい座れるカウンターと四人がけのボックスシートが二つ、通信カラオケ完備の古びたスナックだ。カウンターの中の棚にボトルキープされたいいちこが所狭しと並んで置かれており、全体的に雑然としているが掃除は行き届いている。なにせ通いはじめて十年近くは経っているので居心地が悪いわけがない。金があるのだから、贅沢な所に行けないことはなかったが、そんな所は二、三回行ってすぐに飽きた。キャバクラで、どうでもいいおべんちゃら聞くのも、すぐに阿保臭くなった。何だかんだ通い慣れたこの店が落ち着くのだ。
 客はボックスシートに六十代の男三人組とカウンターの端には顔なじみと思ったら山田節子が座っている。
「何だよ。来てたのかよ。で出たのかよ」
「トントンってとこ」
「じゃあその分戻せよな」
「細かいこと言わないの。ま、その内爆勝したら返しますって」
──パチ代たかって、その金で飲んでりゃ世話ねえよな。
 昌晃はそう思いながらも金のことなどどうでもいいので、口にすることなくカウンターの真ん中辺りに座ると、いつものように何も言わずに瓶ビールとお通しのきんぴらごぼうが出される。ここのきんぴらは針のように細く切ったごぼうをさっと炒めて味を絡めたもので、味といい食感といい本当に旨い。昌晃は特製餃子と豚の角煮を注文し、ビールを呷(あお)り、すかさずグラスにビールを注いだ。  
 ボックスのオヤジ達は川崎競馬の帰りらしいが、どうやら川崎競輪の開催中止を嘆いている。国がガタガタになって、公営ギャンブルも開催が不定期になっているらしい。
「馬はダメだ馬は。馬は何考えてるのか分からんからな。やっぱ自転車だよなあ」
「そうよそうそう。自転車や舟なら野次りゃあ選手に届くけど、馬に野次ったところ届かねえからつまんねえよなあ」
「博打打つってより、馬鹿だ間抜けだと野次るために行ってるみてえなもんだからな」
 と一人が言うと、三人で相槌を打ちながら大笑いしている。
 有線では喜納昌吉の<花>が流れている。「今時珍しいな。有線で<花>かかるなんて。何年ぶりだろうこの曲聴くの……誰かがリクエストしたってことなのかな」
 昌晃は<花>を聴きながら、つい数年前のことを思い出していた。「楓」で昔働いていたカレンという名のフィリピン人女性が、カラオケとなるとこの曲を歌っていたからだ。もっとも昌晃としてはカレンが歌ったことによって知った曲ではあったのだが。

 ああカレン、それにしたってカレン、何してんだろうカレン。別れて何年経つってんだ、五年?いや六年になるのか……。
 新宿、池袋、五反田と転々とし、最後に流れ着いたのが蒲田だった。確か二十代の終わり頃だったと思う。東京に出てきた十八の頃から小悪党どもの手足になって何でもやった。裏デリ嬢の送り迎え、裏カジノの換金係、競馬の飲み屋の電話番、闇金の追い込み……ヤクザの組にさえ入らなかったとはいえ、そんな奴らの使い走りになってオレオレ詐欺の電話係までやった。
 蒲田に来たのは、五反田で競馬の飲み屋の電話番をやっていた時にガサ入れがあり、飲み屋の事務所を蒲田に移すことになったのがきっかけだった。スナック「楓」に来たのも蒲田に来てすぐのことで、それ以来常連になっている。当時は店が目当てというよりも、カウンターの中で働いていたカレンに会うのが目的で、連日のように通っていた。
 カレン、不思議な娘だった。目がつぶらで一目綺麗だったし、それに何よりおおらかで気立てがよく、天真爛漫で陽だまりのような女だった。彼女がそこに居ると自然と彼女を中心になって輪ができる。フィリピン人の仲間内だろうと、スナック楓であろうと。誰に対しても人当たりがよかったし、時に強すぎる自己主張も多少の我が儘なところでさえ、彼女に対しては許せてしまう。「カレンがそう言うのなら」と。そしてその場全体が自然と和やかなものになっていく。俺もそんな彼女の引力に知らず内に吸い寄せられた一人だった。
 カレンは十六で来日し、はじめ蒲田にあったフィリピン人の共同体に身を寄せ、フィリピン料理屋で働いていた。やがてどこの馬の骨だかも知らないけど、一人の日本人客に見染められ付き合いはじめ、二十で子供まで産んだ。しかし相手の男は既婚者で、子供ができたと知ると姿をくらまし、結局カレンは産まれてきた息子を一人で育てた。俺が「楓」に来るようになった頃、カレンは二十四で息子のマルコは四歳になっていた。カレンは昼はフィリピン料理屋、夜はスナック「楓」でと、二店かけ持ちで働いていた。
 カレンに接すれば接する程に俺は何か絆(ほだ)され、そばにいるだけで心が癒されるように感じた。そんなことは生まれてこの方はじめてのことといってよかった。男に捨てられ、子供を育てながら慣れぬ異国で昼夜を問わず働いているのに、そんな苦労はおくびにも出さず、明るく客と接する姿を見る内に心の底から惹かれていった。 
 そして惹かれれば惹かれるほどに、薄暗い道を歩いてきた自分を恥ずかしく思うようになり、飲み屋稼業からはさっぱり足を洗うことにした。慣れない求職活動はなかなか上手くいかなかったが、それでも引越センターに就職することができ、まともな金を稼げるようになった。東京に来てはじめて天に顔を向けられる生活といってよかった。これを機に裏の連中とも手を切り、何よりカレンと連れ添いたいと本気で思うようになっていた。
 そして「楓」に通って一年ぐらい経った頃、俺の想いはついに実を結び、共に暮らすまでになった。マルコも懐くようになり、休みの日には公園で遊んだり、遊園地に行ったり、一泊二日の温泉旅行にだって行った。子供をあやしたり面倒を見ている自分に、自分自身が一番驚いていた。俺の人生のなかで、決して野卑ではない笑顔で送ることができる日々といってよかった。
 そんなある日、仕事が早めに終わり蒲田駅から家路へ向かっている途中でのことだった。もし人生のなかで絶対に忘れられない日があるとしたらその日のことと言っていい。晴れ渡る五月の空が暮れかかる前の最悪の出来事。
 ふと気付くと二羽のカラスが何故か俺の頭上を悠然と旋回していた。「カーカー」「カアカア」とやたらうるさい。すると突然その二羽のカラスは急降下し、俺に襲いかかってきたのだ。びっくりして、咄嗟に両手で頭を覆って防ごうとすると、その際手にしていた肉まんが入っているレジ袋を路上に落としてしまい、気が付くとそのカラスどもはレジ袋を嘴で咥えて飛んで行ってしまったのだ。「肉まん狙いかよ……」と唖然としながら飛んで行くカラスを目で追うと、一本奥に入った道の角でもう一度旋回しはじめ、今度は何故か奪ったばかりのそのレジ袋をぽとりと落とし、カラスどもはまた、一声ずつ「カー」「カア」と鳴いて遠く飛び去っていってしまったのだ。
「ちっ、何なんだよ一体。意味分かんねーよ」
 舌打ちしながら仕方なくレジ袋を拾いにその角まで行くと、普段は通らないその住宅街の一角で、何やら人だかりができていて、騒然としている光景が目に飛び込んできた。
「不法滞在者は日本から出ていけ!」
 物凄い権幕で怒声を繰り返す一団。