サイバードリーミーホリデイズ
遅い朝を起き、内海昌晃はパジャマ代わりにしているグレーのumbroのスウェットのまま、パソコンの前に座っている。umbroは菱形のロゴがお気に入りなのだ。左手には起き抜けの煙草をくゆらせているが、昨晩呼んだデリヘル嬢が忘れていった煙草で、吸っても吸っても喉にひっかからないクソまずさに、ショートホープの買い置きを切らしたことを少し悔いていた。
部屋は頭金をドカンと入れて一月前に購入したもので、一人暮らしにしては手を余す広さだが、掃除が行き届いていないのか、こちらも買ったばかりの家具やら電化製品に早くも埃がうっすらと溜まっている。
昌晃はメールソフトを立ち上げ、早速仕事に取りかかりはじめた。もっとも仕事といえる程のものではなく、一日一回、一つのメールに二百人分のメールアドレスをぶち込んで送信するだけ。ものの三分で終わってしまうが毎朝の日課にしている。この作業をすると仕事をした気になるのだ。大した作業でもないので名簿にある十万人分を一辺に送ってしまおうとも思ったが、確たる根拠はないのだがあまり派手にやると足がつきそうな気がして、一日二百人だけと決めている。
──しかしねえ、大した脅しをかけたとも思えないメールを適当に送るだけで、あっさり送金してくる馬鹿がいるんだよなあ。
不倫脅迫メールを送っている本人であるのに、まるで他人事のように頭によぎる。
──しかもだよ、ネットで調べた範囲だけど、統計上三割の人間が不倫をしているというデータもあるらしいからな。
昌晃はこれを投網漁法と勝手に呼んでいた。投網を投げて百匹中九十八匹が雑魚だとして、二匹高級魚がかかればそれで良しとする漁法。
アドレスは半年前に十万人分の名簿を一人分5ワールドコインで仕入れたものだ。今のところ四万人近くに送ったことになる。スマホのウォレットを立ち上げ入金状況を確認すると、刻んだように毎日二十万、三十万のお金が送金されてきていた。「人生ちょろいもんだ」と入金履歴を見て、ニタニタ笑っている。ざっと計算しても半年で四千万を超える金を稼いだことになる。当然金使いは荒くなった。マンションを買い、BMWを買い、家具や電化製品を揃え、日々ギャンブルで過ごしているので、今のところ大して残ってはいない。一方で、こんなことは長続きするものでもなかろうとも思っていたので、この十万人分を網にかけ終えたらさっさと撤退するつもりでいた。そして故郷(くに)に帰る。大金仕留めたぜと故郷に戻り、錦でも飾って親族やら友達どもをひれ伏すのも小気味がよかろうと思えた。どのみちどいつもこいつも金には弱いのだと。あとは飲み屋でも開いてまともに生きていこうとも。今までの入金状況を考えれば、最終的には一億ぐらいにはなるはずだと踏んでいる。
クソまずい煙草を灰皿に押しつぶすと、昌晃は臙脂(えんじ)色の同じくumbroのスウェットに着替え、ソックスを履き、黒いロング丈のダウンジャケットを羽織り、表に出る。風は冷たいが空は突き抜けるように真っ青だ。ゴミ溢れる歩道を抜け信号を渡り、アーケードに向かう。さすがにアーケードの中にはゴミはないが、ゴミは裏手にある神社の境内に積み上げられていた。
昌晃はアーケードの商店街の中程にある中華屋に入り、ラーメンチャーハンセットを腹に詰め、駅前のパチンコ屋に向かった。そもそもやることはないので午後はだいたいパチンコ屋「百万ドル」で過ごすことになっていた。
「百万ドル」に入るとラップ調のBGMが景気よく流れているが、客はまばらで閑散としていた。こんな時、店側は出玉を良くし客を呼ぼうとするのか、それとも儲からないから出玉を閉めるのか判断は難しいのだろうが、景気づけに出玉がよくなる方になっているはずだと都合よく考えた。ぶらぶらしながら適当に台を決めて座り、スマホを取り出しウォレットを立ち上げ、玉貸し台間サンドにかざし上皿に球を送る。一回かざすと千ワールドコイン分球が出るようになっていた。財布から金を吐き出させることが商売なわけだからか、パチンコ屋のワールドコインへの対応は早く、昌晃はそんなどうでもいいことに感心していた。
しかし思惑は外れたのか、その日はまるっきりついてなかった。ついてないのか台が閉められているのか分からないが、とにかくろくに大当たりすることもなく、次から次へとスマホからワールドコインが吐き出されていった。どこかのおっさんやら主婦やらが、不倫なのか浮気だかしたお陰でできた金が、回りまわってパチンコ屋の球に化けて次々とアウト穴に吸い込まれていくわけだ。
ふと気付くと空いていた隣の席に、知った顔の婆さんが座り、昌晃を見ている。七十近い常連のババア。山田節子。
「なかなか気が付かないんだから。でもお久しぶりね」
「二三日前に会ってなかったっけ?あと、金なら貸さねえよ」
どうせ金の無心だろうと、半分無視するようにパチンコ台に目を向け直して返事する。
──この間も貸してやったんだよな。いくら貸したかもよく覚えてないが。
「いきなりそういう不躾なこと言うもんじゃないでしょうが。だけどね今日何か爆勝する予感満々なのよね。思いっきり勝って返すからさあ、ちょっと都合つけなさいよ」
丸っきり根拠のない言葉に、昌晃は音が煩くて聞こえないふりをするが、山田節子がその程度の無視(しかと)で引き下がることもない。
「何だい、お金がない時ラーメンだビールだおごってやったじゃないか!薄情もん!それに金は天下の回り物って言うだろ」
確かにこの婆さんには蒲田に流れ着いた頃色々世話になった。だけどそれだってずっと昔の話だ。しかし、いよいよ悪態をつきはじめたので面倒になり「一万だけだぞ」とスマホを取り出し、送金してやる。今の昌晃にとって金の価値などないに等しい。
「いつも悪いね。今日は勝つからね、心配ご無用」
根拠のかけらもない言葉を残し、山田節子は嬉々として出そうな台を探しに昌晃の横から消えていった。
──どこかのおっさんが不倫すると俺経由で金が山田ババアのスマホに吸いこまれる
昌晃はそう自嘲しながら、パチンコを続けた。
結局その日はとことんツキが無く二十万ばかり負けた。一日分の稼ぎがきっぱりと消えたことになる。六時間近くもパチンコ屋にいて出なければさすがに飽きるし、腹も減ったので表に出ることにした。陽はとっくに暮れていて、時間の感覚がうまく取り戻せないでいるが、夜は商店街の外れにある行きつけの飲み屋「スナック楓」で過ごすことにほぼ決まっていた。昌晃としては、二十万ばかりの金が惜しいわけでも何でもないのだが、大当たりした時の快感さえ味わえなかったことに向かっ腹を立てていた。
「パチンコはストレス発散するためにやってるってのに、逆に溜め込んじゃ何の為にやったのか、さっぱり分かんねえだろうが」
通りがかりの薬屋のゾウの置物を蹴りとばしたい衝動に駆られるが、多少なりとも分別はあった。ジーンズの古着屋を過ぎ、デッサンの狂ったイルカのイラストをマスコットにしたクリーニング屋を過ぎると、赤い光を灯した「楓」の看板が現れ、ドアを開けた。
作品名:サイバードリーミーホリデイズ 作家名:ふじもとじゅんいち