サイバードリーミーホリデイズ
二人は脅迫メールの話が落着してどうでもいい世間話に花を咲かせていた。
「そういえば、あの人最近見ないけどどうなった?」
「あの人って」
「紗枝の彼氏。何て言ったっけ、そうだ遠沢さんだ」
「ああ、あいつのこと。うんまあ続いているには続いてるけど。多分あなたは今触れてはいけないこと聞いてますね」
遠沢とは二人がよく利用するフットサル場でフットサル教室のコーチをしている三十前の男で、紗枝とは一年ぐらい前から付き合っている仲だった。
「何、喧嘩でもしてる最中ってこと?」
紗枝はぐい飲みに燗酒を注ぎ一気に呷った。
「あいつさあ、ひどいやつでさあ。私に隠してたことがありやがってさあ……」
「これはとことん触れなきゃいけない話っぽいじゃん」
紗枝は怜奈を「茶化すんじゃないの」と睨みつける。
「あいつねえ、信じられないことに実は結婚してたの。そんで、子供までいるんだってさ。全く、信じらんない」
「それって思いっきり不倫じゃん。メールのまんま」
「知ってたら付き合わないわよ。実際問題」
「じゃあ別れるってこと?」
「う〜ん……その辺がまたちょっと微妙というか。あっ、でもメールの一件とは何も関係ないからね」
「人生色々あるもんだね。ま、うまくやってください。
面倒な話を切り上げて話題を変え、二人は<ばくだん>の場に相応しい夜を楽しみ、隣の客とも意気投合して笑いながら酔っぱらっていった。
翌朝、目を覚ますと怜奈は早速パソコンの前に座り、自ら課したミッションに取りかかろうとしている。お気に入りの色鮮やかなショッキングローズのルコックのジャージを着て。本人曰く「戦闘態勢」
「私の親友に送ったのが運の尽きってことね。残念でした」
そう独り言を言い、作業に取りかかりはじめた。紗枝のプランには面食らったが、そもそも侵入経路の痕跡などばれるわけもない。脅迫メールなどゴミ箱に捨てれば済む話だが、友人のアドレスが見知らぬ所で売買されていたことの方が、怜奈にはよほど不気味に思えた。
怜奈はソフトを立ち上げ、送られてきたメールのIPアドレスから追跡を開始する。
「ハッカー研究会」の実技や競技用のパソコンへのハッキングは幾度となく経験しているし、事実、都の競技会で準優勝という実績もあるのだが、そうはいっても、全くの他人のパソコンに侵入するのははじめてのことだし、そもそも犯罪でもあるわけなので、少し緊張はしている。
カタカタとキーボードを叩き続けること十分ちょい、渦巻く暗号の海を潜り、ハッキングツールを使ってパスワードを抜き出し、防火壁を飛び越え、最後ルーターを針の穴に糸を通すかのように突破し相手のパソコンへの侵入に成功する。
「超楽勝」
相手のパソコンが無防備すぎて、手ごたえゼロ。まあだいたいのパソコンはこんなものだろう。
怜奈はまずメールボックスを開け、保存済みメールから例の脅迫メールを見つけ出し、あらかじめ調べておいた目黒警察署と警視庁サイバー犯罪対策課のアドレスを貼り付けて送信。紗枝の言う通りに、これと紗枝の被害届の証拠が合致すれば、多分警察は動き出すに違いない。警察とすれば、二か所の警察署に直接脅迫メールが送られてきたことに訝るだろうし、当然捜査の対象になるであろうという紗枝の推察に、よくそんなこと考え出すものだわが親友よ、と恐れいっている。そして次はその脅迫メールの文面にある振込先アドレスを消去する。これで振込先アドレスがない間抜けな脅迫メールのでき上がり。脅迫犯はおそらく毎日同じことをしている以上、いちいち文面など確認するはずはないという見通しは的を射ているはずだ。メールの更新日時だって気付くこともなかろう。これで概ねの作戦は達成したわけだが、紗枝に言われたわけではないが、念のため、ネット通販のやり取りメールを十通程ゲット。次にドキュメントフォルダを開けると、何と!履歴書のPDFが出てきて、怜奈は大笑いしながらそいつもダウンロードした。そしていくつかの画像フォルダを探索して、プライベート画像のフォルダを見つけ、フォルダごとダウンロード。ついでに名簿ファイルがあったのでこれも一緒にダウンロードした。名簿は使わせないように消去してしまおうかとも思ったが、大事な証拠物件なわけだし、どの道名簿などいくらでも手配できるだろうからそのままにした。それに侵入の痕跡を残すのも躊躇(ためら)われた。
脅迫犯は怜奈が侵入したことさえ気付くこともないだろう。こうして三十分程で作戦は無事完了した。
怜奈は昨夜帰り際にコンビニで買っておいた焼きたらこのおにぎりを取り出し、海苔を慎重に巻き付けて左手に持って食べはじめた。机にはティーバッグで入れた緑茶のマグカップが湯気を立てている。右手でマウスを操作しながら、パソコンの画面を追っている。
まずは大収穫の履歴書のPDFを開けて目を通す。日付から七年前に引越センターに求職した時のものらしい。ご丁寧に強張った写りの顔写真まで貼ってある。
次に通販メールを調べると、ここ三か月程の履歴なのだが、異常といっていい買い物履歴が判明する。家具に、電化製品あれこれ、服に靴に、金のネックレスなんていうのもある。明らかに金回りが良くなった証しなのだろう。
さらに、送り先住所が履歴書の住所と変わっていることを発見。これまた金回りが良くなって引っ越したということなのだろうか。怜奈は見落とすところだったと安堵した。
脅迫メール野郎のだいたいの素性は判明。
名前:内海昌晃
生年月日:一九九五年生まれ三十八歳
住所:大田区西蒲田
出身:富山県滑川市
画像フォルダからは履歴書の顔写真と同じ内海昌晃と思われる男の画像が何枚も出てきた。バイクにまたがって気取っている写真。不貞腐れた顔してビールを飲んでる写真、タバコ吸いながら眼づけるように粋がってる写真、ガラの悪そうな仲間とのカラオケボックスでの写真……など次々と現れる。
ただその中で他とは明らかに雰囲気が違う写真も出てくる。彼女なのだろうか、東南アジア系と思われる美しい女との親し気な(どう考えても不似合いな)ツーショットやら、その美しいアジア系の女と息子なのだろうか?小さな男の子とピースマークをして写っているスリーショットの写真。結婚して子供がいる?怜奈には少し不可解に感じられる幸せそうな写真……その写真だけは顔つきまで穏やかなのだ。
推定、身長百七十センチ。体重八十キロ。額を大きく出した短めの髪型に、細い眉毛。腫れぼったい一重の目。それにしても見事なまでに「想像上に存在するチンピラ」がそのまま姿を現したような風体に怜奈は思わず苦笑した。ただ、凶暴さはさほど感じられない。鼻が少し曲がっているが喧嘩の後遺症なのだろうか。しかし子持ちだというのに、犯罪に手を染めているとはとんでもない馬鹿野郎だ。
後は警察が動いてくれるのを待つばかりなわけだが、とりあえず怜奈は内海昌晃宛てに一通、軽い脅しと抗議のメールを送ることにした。返信があればもうけものなのだが。これで完全に作業は終了。怜奈はマグカップを両手で持って緑茶を啜った。まずは作戦成功のメールを送ろうと、紗枝宛にメールを書きはじめた。
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作品名:サイバードリーミーホリデイズ 作家名:ふじもとじゅんいち