サイバードリーミーホリデイズ
高三の時、進学すべきか就職すべきか人並みに悩んだ。受験勉強なんていう七面倒くさいことするのはご免だったが、だからといって十八で世に出るのも躊躇(ためら)われたし、もう少しグズグズと遊んでもいたかった。もっとも実家では父親が商売がうまくいっておらず、卒業したら地元で働いて家に金を入れろとまで言われていた。もし大学に行くというのなら授業料だけは出してやるが、生活費までは出せないと釘を刺されていた。だから大学に行くとしたら、塩竃の自宅から仙台までの通いで、仙台の大学に行く以外選択肢はなかった。進学か就職かという選択肢がありながらどちらも決めかね、結局受験勉強も就職活動もどちらもせずに、部活の軽音楽部で作ったロックバンドでギターばかり弾いていた。ローリング・ストーンズだとかセックス・ピストルズとかの定番のコピーバンド。今となったらロックの礎みたい奴。もっとも、ライブハウスに出たわけでもないし、人前で演奏したのは高三の学園祭だけだったけど。そんな風に目的らしきものもなく高校生活が終わりに近づくうちに、一つだけ気がかりなことがあった。クラスメイトで当時付き合っていた東野早季子との仲の行方だ。
その早季子が高校卒業後東京の大学に行くと知り、自分も何がなんでも東京に行けないものかと悩んだのだが、何せ東京の大学に行く選択肢は完全に持ち合わせていなかった。家賃を入れれば東京で生活するのに最低でも十二、三万はかかるだろうし、そんなこと親に言ったらぶっ殺されたと思う。家に金がないから東京の大学に行けないというのは、まあそれはそれでしょうがない。裕福とは程遠い実家を恨むつもりもない。母親だってパートに出てるぐらいだし。だが、そこそこ裕福な早季子が東京に行ってしまったら、遠距離恋愛になってしまうわけで、そうなると二人の仲は自然消滅しちゃうような気がして、それがなんとも許せなかった。早季子がロンドンの大学に行くというならロンドンまで追いかける。北京の大学に行くといったら北京までだって絶対に追いかけて行く。それぐらい好きだったし、とにかく家に金が無くて二人の仲が引き裂かれるなんてことは絶対にあってはならない、何がなんでも東京に行く。それ以外考えられなかった。
なら、東京で仕事を見つければいい。東京で仕事をし、親にいくらかでも送れば納得するだろう。そう思うといても立ってもいられず、「遅くとも二年以内にお金を送るようにしてみせるから東京に行かせてくれ」と根拠のないことを適当に言って、飛び出ることにしたのだ。高校を卒業すると運送屋で一か月バイトし、十三万稼ぎ、五月の連休明け、早季子からひと月遅れて東京に向かった。別れ際母親は「お父さんには内緒よ」とへそくりから十万円渡してくれて、有難く受け取り、合わせて二十三万円を懐に入れて、東京にやって来たのだ。
だというのに、早季子とは一度会ったきりであっさり終わってしまう。
東京に来て、早速早季子に自分も東京に来ていることをメールし、早速会うことになり、再会を祝った。居酒屋での再会に早季子も喜び笑いあって昔話をし、最後には「また会おうね」とまで言ってくれた。だというのに、その後はなしのつぶてだった。その後も何度となくメールをしても、のらりくらりとかわされ、最後に「会いたくなったら私の方からメールするから」というメールが来て、結局早季子とのやり取りはそれが最後になった。住んでるアパートは知らなかったので大学の校門で待ち伏せもしたけど、結局会えなかったし、ストーカーまがいのことするのも躊躇われたし、最後は途方に暮れながらも諦めざるを得ないと観念した。なし崩しの別れ。暫く飯もろくに喉が通らなかった。
後でよく考えたら、早季子は俺と付き合っているとさえ思ってなかったのかもしれない。そういえば、キスだってしたことなかったわけだし。だけど放課後何度となくデートまがいのことをしたあの時間は、では何だったというのだ。馬鹿野郎にもほどがある。二人の仲は金のあるなしではなく、自分の一方的な思い込みで破綻したわけだ。それに先に気づいていたら、東京なんて来なかっただろうし、今頃塩竃で毎日「くっそつまんねー」とか文句を言いながらも、ごく平凡に暮らしていたんだろうな、きっと。
いずれにせよ、大口叩いて出て行った以上、何とか東京で生活するしかなかった。しばらくはウイークリーマンションに身を寄せていたが、敷金礼金無し風呂無しのいわくのありそうな六畳一間のアパートを借り(実際窓を開けると私鉄沿線の土手が陽を遮り、電車が通るたびに轟音が鳴り響きテレビの音が完全にかき消されるような部屋だった)、賄いの出る居酒屋で働きながら、適当に嘘をついた二年はあっという間に過ぎていった。
うだつが上がらずにくすぶっていたそんな時、思わぬ誘いがかかった。親しくなった居酒屋の常連客の紹介で、契約社員ではあったけど不動産屋に就職することができたのだ。売買はしない賃貸専門の不動産屋だったので特に専門的な知識が必要でもなく、如才なく働いて固定給も確保し、東京の生活を満喫するようになった。風呂付で太陽の陽も射す轟音のない部屋にも引っ越した。多少なりとも遊べる金もできるようになると東京の生活は圧倒的に刺激に満ちていた。塩竃に帰るという選択肢はもう完全に消え去っていた。もっとも親に金を送る程の余裕まではなく、(何故かカラスに指摘されたように)親との約束は反故になったままであったが。
不動産屋の仕事は意外や向いている気がした。いい部屋が紹介でき、契約までこぎつけると自分まで嬉しい気分になった。しかしその不動産屋も、仕事が楽しいと思えるようになった矢先、勤めて二年もしないうちに倒産してしまい、またまた宙ぶらりんの状態で放り出されたのだ。しかも世の中は天と地がひっくり返るような状況で、いよいよなすすべが何もなくなっていた。そして今日飲んだくれてゴミ山の中でくたばりそうになったってわけだ。
それが今、とりあえず拾われてワイン色をした湯とバラの香りのするバスタブに浸かっている。人生明日がどうなるか分かるもんかと思ったし、無駄の塊のようにも思えた四年だったが、無駄じゃなかったことだってそれなりにあったよなと思い直すのであった。
恵理子はその間に料理にとりかかっていた。冷凍庫からごはんを取り出し、電子レンジで温める。玉ねぎと大蒜を刻み、ベーコンと一緒にオリーブオイルで炒める。湯とホールトマト、コンソメキューブを入れて煮込む。解凍されたご飯を入れて、さらに煮込む。冷蔵庫から作り置きのポテトサラダを出し、皿に盛る。あとは自分用のビールグラスを食器棚から取り出しスプーンとフォークとともに、アンティークな円形のダイニングテーブルの上に置いた。ぐつぐつと煮込まれたトマトリゾットにパルミジャーノ・レッジャーノをどっさり入れでき上ると同時に、さっぱりした風情で克彦が風呂から出てきた。
「すげー気持ちよかったっす。あっ湯船にバラの香りのする粉入れちゃったんすけど、構わなかったっすか?」
「構わなかったすよ」
恵理子は目で椅子に座るように促し、苦笑いしながら口調を真似て返した。
作品名:サイバードリーミーホリデイズ 作家名:ふじもとじゅんいち