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ふじもとじゅんいち
ふじもとじゅんいち
novelistID. 63519
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サイバードリーミーホリデイズ

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──何でカラスが喋ってんだよ……?
「現実から逃げるために酒で誤魔化してるってやつか?」
「よう旦那。『酒を見つめるな。酒は赤く杯の中で輝き、滑らかに喉を下るが、後になると蛇のようにかみ、蝮の毒のように広がる』て言葉知ってるか?」
「何だいそりゃ?」
「そうさね。古(いにしえ)の書物からの引用ってやつさ」
「それにさあ、俺達を振り払う力もないみたいだぜ、この旦那」
「よれよれだもんな」
──お前らが勝手に止まったんだろ。それに重いんだよ。頼むからどっか行ってくれよ……
「それより旦那。両親との約束の件はどうなったんだ?」
「何だいその約束ってのは?ヘッケル」
「いやあこの旦那、東京で一旗揚げて、お金を実家に仕送りするという条件で田舎飛び出したんだぜ。おいらの知ってるところだと。その様子だと言わずものがなってとこなんだろうな」
──????何でお前がそんなこと知ってるんだよ???わけ分からねーよ……
 実家を飛び出る時そんな約束したのは確かだけど、何でこいつがそんなこと知っているのか、ますますもって克彦は混乱している。
「何でそんなこと知ってんだよ。それにお前に関係ないだろ。向こう行けよ。何なんだよお前ら、どこか行けよ……」
 カラスが肩に止まっているのも、そいつらが喋るのも、しかも自分のことを詳しく知っているのもいよいよわけが分からなくなり、無視するように前に足を運んだ。
「あれまあ。今度は無視(しかと)ですかい。困ったお人だなあ」
「それよりよう、ヘッケル。この旦那、さっき女の子が倒れてたの見て見ぬふりして立ち去ったよなあ。ちょっとひどくねーか?救急車一台呼ぶこともできないって、人間としてどうなんだろうねえ。なあヘッケル」
「全くだ。旦那はまあグズグズな奴とは知ってたけど、人並みに良心だけはあると思ってたんだけどなあ。本当の屑になっちまったみたいだぜ。なあジャッケル」
「旦那にもう一つ送る言葉思い出したよ。いいかい?よ〜く聞けよ『人に与えて、己いよいよ多し』ってね」
「なんだい、そりゃ?」
「古(いにしえ)の中国の偉い人の言葉さ。まあ人助けすると自分も豊かになるよ、ってことだな」
「とにかくだな、今ならまだ間に合うかもしれんですぜ。戻ってやれよ。じゃなければ突き当たりのマンションの屋上にでも登って飛び降りるってのはどうだ?」
「じゃあなー。くたばりぞこないの旦那、上手くやれよ〜!」
 克彦がよろよろと公園にさしかかると、二羽のカラスはそう言い残し、克彦の肩から羽ばたき、前方に白く浮かぶ月に向かって飛び立った。
「月には雁だろ。けっ」
 とはいえ、克彦はひどく混乱していた。突き当りのマンションの屋上に行くか。左に曲がってスーパーに行くか。それとも、引き返して少女を助け出すべきなのか、と。
 その時突然、猛烈な吐き気に襲われ思考は中断を余儀なくされた。丁度差しかかっていた公園の入り口に便所があったので駆け込み、滝のような反吐を大量に吐いた。固形物はない。ただ安酒のゲロ。体中から冷たい脂汗がこれでもかというぐらいに湧き出て来る。吐くだけ吐いて、最後胃液を絞り出すように吐いて、糞まみれの便所を這い出し、ぶっ倒れた。息がひどく荒い。
──死ぬのか俺?
 夕闇の重力に押さえつけられたかのように体が動かない。
──いつから公衆便所はこんな汚くなったんだ?
 死にぞこないなのに、どうでもいいことが頭に浮かぶ。ふと気が付くと、どこからか怪しげな女の声が聞こえてくる。朦朧とした頭の中に、妙な声がきりきりと響くように聞こえてくる。声の方に何とか重い首を向けると、公園の片隅に五十がらみのカップルが目に入った。怪しげな女の声の正体は女の嬌声そのもので、いい年をした男と女が公園の片隅でセックスをしているのだ。
──世界が破滅に向かい、世の中が絶望に覆われると、逆に性欲が異常に高まるって話聞いたことがあるけど、あいつらがそれなのか?……狂ってら。
 女の声はますます断末魔の様相をもって夕空に響き渡っている。絶望的なセックス。死神に抱きつかれたエロスは一層妖しく高まっていくのか。死の淵へ誘う快楽。
 克彦は頭を元に戻し、中空を見つめながら、しかし、と思う。
──大抵のことはなんだかんだどうにかなるって思ってたけど、どうやら今回ばかりはどーにもなんねーみたいだ……
──だけどだよ、とりあえず死にぞこないなら死にぞこないなりにできることがあるよな?
 公園の生垣の柵に掴まりながら何とか立ち上がり、克彦はやおら今来た道を戻りはじめた。何故か涙が溢れてしょうがなかった。ただすすり泣きながらふらふらと戻って行った。 
 風が冷たくて脳みそが凍死しそうになっている。このゴミ山の中でこんなふらふら歩いてるのはゾンビぐらいじゃないか。そうか「俺はゾンビなのか」と、よれよれの足取りで何とか少女の所に辿り着くと、克彦は力が尽きたかのように少女の横に倒れ込んだ。
 瞼が重く開けていられない。少しずつ気が遠くなってきている。
 
***

 沢村恵理子は電車の座席に座りながら、後ろ向きに立っている目の前の女の、磨き上げて光沢際立つハイヒールについ目を奪われていた。
──完璧なフォルム。悪魔が発明したとしか思えない靴。あの形の美しさの誘惑に負けて、どれほどの女が外反母趾に苛まされたというのだろうか。しかしねえ、ヒールの部分のゴールドがね残念ながら品がない。
 降車駅のアナウンスを聞き、恵理子は銀の杖を片手におもむろに立ち上がった。
──もう四十年は履いてないか。
と独り言ち、歩きやすい黒のスニーカーでそれでも少し左足をひきずるようにして改札を後にした。
 年にしてはボリュームのある肩のあたりでカールされたシルバーグレーの髪の毛と、それと合わせるようなシルバーグレーのロングコートを羽織り、鷲鼻の下にだらしなく腫れぼったい唇、上に顔の三分の一は隠れようかというサングラスといういで立ちは、随分と人目を引いた。手をフリーにしたいのか、黒のレザーバックパックを背負っている。