サイバードリーミーホリデイズ
当然政府は抵抗する。総力戦で最後の抵抗を試みている。ワールドコインの軍門に押しやられるということは通貨発行権という国家の根幹をなす特権を失う死活問題なわけであり、それは国家の死をも意味するものであるとしたら、当然といえば当然の抵抗ともいえた。
連日連夜、財務省と総務省が主導する『「円」を使おう』キャンペーンが喧伝された。
テレビのコマーシャルでは、有名女優やお笑いタレントを使って、「円」で買い物をするシーンや、レストランで「円」を使って料金を支払うシーンなどで構成されるCMが朝から晩まで何度となく流れ続けた。
「♪かいものは〜円で!レストランで〜も円で!スーパーだって円で!コンビニだって円で!円で!円で!円で!円で!給料だ〜って円で!居酒屋だ〜て円で!ラーメン屋さ〜んで円で!円で!円で!円で!円で!♪」
連呼される「円で!」という声が耳に残り、なりふり構わぬ洗脳音楽を思い出させるようなCMが一日中流され続けた。CMの最後は、出演する女優やタレントらによるナレーションによって、こう締め括られていた。
「『国』は国民の税金によって成り立っています。その税金は『円』によって成り立っています。国民の皆さまへの再分配も『円』だからこそ可能なのです。皆さん『円』を使いましょう」
同時に街角という街角に、「円を使おう!」なる啓蒙ポスターが至る所に貼られていた。
「買い物は円で!各種公共料金の支払いも円で!」
国家が壊れていく悲痛な叫びにも似ていたが、しかし一旦できた流れはすでに国をしても変えることが不可能なまでに、大きな流れになっていった。
「円」の不信は同時に発行しすぎた国債にも向けられた。日に日に国債は暴落し、金利が急上昇しはじめていた。悪夢のようなハイパーインフレのはじまり。国債の暴落に連動して、円もワールドコインに対してたちどころに暴落していった。半年前一ワールドコイン一円の交換レートがその三か月後には二百円対一ワールドコインと二百倍にも暴落した。とてつもない埋蔵量を誇るワールドコインであったが信用を失った円に対して恐ろしいスピードで暴騰していった。そう円は投げ売り状態となっていったのだ。卵一個買うのにワールドコインなら二十ワールドコインでしかないのに、円で買おうとすると四千円出さないと買えなくなったわけだ。卵一個四千円!紙くず同然になった円を両替所が持て余しはじめ、ついに二か月前に概ねの両替所が円との交換を停止するにいたった。
事実上の円の死。国民が国を見棄てたのだ。こうして二か月前にこの国はきれいさっぱりリセットされたのであった。
円におけるハイパーインフレは目も当てられぬものであったが、人々の多くは円をワールドコインに変えていたので、多少なりとも被害は抑えられたといっていい。
それでも少なからず船に乗り遅れた人もいないわけではなかった。やりどころのない怒りが社会に充満していた。
***
沢村ジェシカはその午後、中東の戦災孤児を里親に引き合わせるNPO団体「セイブザキッズ2033」というボランティア活動の会合のため、赤坂見附にある事務所に来ていた。
ジェシカは二十年程前、ロンドンに在住経験がある。ジャマイカ系イギリス人を父に持ち、そもそも生まれはロンドンだった。七歳の時、ミュージシャンだった両親の活動拠点が日本に移り、ジェシカもそれから日本で育ったが、三十歳前後の頃ロンドンに居を移し仕事をしていた経験がある。丁度その頃シリアで内戦が起こり、ロンドンにも数多くのシリア難民が押し寄せ、その過酷な状況を目撃し、随分不憫に思ったものだった。そもそも父親であるヴィンセントも難民でこそないが、若い頃ジャマイカからイギリスに渡り、異国で苦難の日々を送ったことはそれとなく聞いていた。やがて日本に帰国し、この国のお粗末な難民政策を知るにつれて、憤りを覚えて「セイブザキッズ」に関わりはじめたのだった。 行政の難民への対応は相変わらず閉鎖的ではあったが、「セイブザキッズ2033」の所長高橋一博らいくつかのNPO団体による粘り強い働きかけから徐々にではあるが、受入数も増えていた。また、里親基金への寄付を募り、現地の戦災孤児にお金を届ける橋渡し役をし、定期的な寄付を一定期間払い続けると、その戦災孤児を里親として日本に招き入れることが可能になるまでになっていた。もっとも手続きは嫌がらせのように煩雑ではあったが、それでもこれまでに十数人の戦災孤児が日本人の里親の元に引き取られていた。もちろんまだまだその数は少なく、決して満足できるレベルに達しているわけではなかったが。
その日の会合が終わると、ジェシカはこれから国会前抗議行動に参加しようと考えていた。時計は五時を少し回ったばかりだった。
「高橋さんもどうです?」
「国会前?ああ僕も考えてところだったんだ。動画でも撮って、発信しようかなってね」
国会前は連日騒然としていた。もちろん「円の死」以降の政府の無策に対しての抗議行動であり、現実的な救済策の要求行動でもあった。日がなハンガーストライキで座り込んでる者もいれば、夜になると仕事を終えた人間がどこからともなく集まりだし、いくつもの会派が国会前に陣取り、アジテーションやらシュプレヒコールが夜空にこだまし、ドラムの音や笛の音が鳴り響き、絶えず人でごった返していた。ことがことだけに右も左も関係なかったし、最大の抗議勢力は「円防衛キャンペーン被害者の会」なのであった。
二人は歩いて国会前を目指した。山王グランドビル脇の急坂を上り、日比谷高校の赤煉瓦を右目に通り抜け、永田町駅を越えた辺りからすでに抗議のためにやってきた人が散在しはじめていた。
「何だかいつにもまして人が多い感じがするけど、何かありましたっけ?」
高橋はジェシカの質問に答えず、しきりにスマホでSNSの情報をあさっている。
「う〜ん、ひどい情報が拡散されてるぞ。しかも凄い勢いで……ちょっとやばい感じだなあ。このまま現地へ行くべきか、引き返すべきか、う〜ん。迷うところだぞこれは……」
ジェシカもスマホを取り出し暫く歩きながら情報をあさると、高橋の言う通りあらぬ事態が進行しつつあることを理解し、高橋と目を見合わせた。
「テレビのニュースでも流れはじめたみたいですね。これは本格的にやばいんじゃないかなあ……まあ行ける所まで行ってみますか?」
「それが命取りになるかもしれないし、歴史の目撃者になれるかもしれない。どっち取る?」
「歴史の目撃者でしょ、それは。しかしこれは誰だって怒りますよねえ……」
SNS上では「#金返せ! #金寄越せ!」というハッシュタグに膨大な書き込みが寄せられていた。とりわけて猛スピードで拡散されたポストは無一文になった人々に完全に火を点けたようであった。
「円を使おう=円防衛キャンペーンを主導した、山下守男財務大臣はキャンペーン前の九月には全財産をワールドコインに両替終了。中原総理以下現役閣僚及び、霞が関上層部のワールドコイン両替日リストはこちら。どいつもこいつもキャンペーン前、安値取引完了だとよ。ふざけんな。許されるかこれ!」
「許されるわけねーだろ!絶対に許すな!絶対にだ!」
「金返せ!馬鹿野郎!」
作品名:サイバードリーミーホリデイズ 作家名:ふじもとじゅんいち