サイバードリーミーホリデイズ
事態が呑み込めない草介は(スマホがどうなろうと、今は関係ないんだがな……)と思いながらも自身のスマホを手に取ると、同じようにスマホを動かすことができず、<ZERO>もまたスマホを手に取り「私のも同じようですねえ」と興味なさそうに呟いた。しばらく頭を下げていた山根美由紀も突然の事態に困惑しながら頭を上げスマホを立ち上げるが、やはり同じように動かない。
草介はこのタイミングで妙なことが起きるものだと思ったが、「とにかく移動お願いします!」と再度頭を下げた。
すると突然、どのスマホも勝手にブラウザが立ち上がり、どういうわけか二羽のカラスを主人公にした往年のアニメ「ヘッケル&ジャッケル」が勝手に流れはじめた。威張り散らしていけすかないブルドッグを落とし穴に落としたり、水の入ったバケツを頭からかぶせたりと、いたずらの限りを尽くす古いアニメ。「ぼくたちは世界中どこにだっていたずらしに行くんだぜ」そう言って、二羽のカラスが空の彼方に飛び去って行くとアニメが終わると、今度は突如奇妙なメッセージが流れはじめた。
「誠に申し訳ありませんが、ほんの一時間皆様方のお力をお借りしたい。きっかり一時間で終わります。これからはじまる新しい世界のために、どうかお力添えください」
パソコン、スマホの集団乗っ取り?
何故全てのスマホが一斉に動かなくなったのか?狐に包まれたかのようにその場に居合わせた人間全てが固まっている。いや、とにかく今はこの三人の保護を優先しなければならないと、草介と山根は再度説得を繰り返すことにした。
一体何がはじまろうとしているというのだろう?他人のスマホを勝手に操るなど許されるはずもない。それに「新しい世界」なる意味不明なメッセージが何を意味するのか、もちろん誰も知る由もなかったのだが。
Noah-bot 二十一番目のつぶやき
「美しい笑いはどんなものでも家の中の太陽である」
(ウィリアム・メイクピース・サッカレー)
Noah-bot 百六番目のつぶやき
「何かの役に立つのさ。この小石だって役に立ってる。あの星だってそうだ。君もそうさ」
(フェデリコ・フェリーニ「道」)
Noah-bot 五百八十番目のつぶやき
「恐怖心と苦痛は、「目を閉じよ」ではなく「目を開け」という合図であると解釈すべきだ」
(ナサニェル・ブランデン)
すべての引き金は仮想通貨ワールドコインの登場といってよかった。おおよそ三年前、ワールドコインは現存する全ての貨幣に交換しうる埋蔵量を有し、同時にセキュリティも完璧に設計され、事実上不正入手が不可能な、すなわち「絶対に盗まれることのないお金」という触れ込みで登場した。数多ある仮想通貨は次第にワールドコインに飲み込まれるように統合されていった。
やがてワールドコインは実体通貨に対しても、当初、政情が不安定で信頼に置けない政府が発行する紙幣と交換されるようになり、さらに大きな潮流になって様々な国で基本通貨として流通、波及していった。勢いは止まることを知らず、ロシア、中国を飲み込み、遂に一年前にはブリュッセルの官僚につくづく嫌気がさしていたユーロ諸国が、ワールドコインを事実上の流通通貨であると決定し、ユーロは停止するに至った。残すところ自国通貨を発行している国はアメリカの「ドル」イギリスの「ポンド」そして日本の「円」だけになっていた。
自国の通貨発行権を失うということは、国家が流通する貨幣を管理できなくなるということであり、国家が部分的に死んだことを意味する。
そして奇妙なことに、半年前あの正体不明のアカウントNoah-botがアメリカ人、イギリス人、そして日本人に向けてこうつぶやいたのであった。
「世界通貨の時代がやってきたのです。すでにドルは基軸通貨としての役割を終えました。自国通貨にしがみつく国には未来はありません。一旦混乱は起きるかもしれませんが、それは一時的なものです。心配には及びません。持っているお金を今すぐワールドコインに替えた方がいいとわたしたちは考えます」
また別のポストではこんな風に。
「貨幣とは<価値の移動手段>です。そのために、その時代その時代に適した形態があったわけです。このインターネットの時代に最適な貨幣がワールドコインであると、わたしたちは自信を持ってお伝えいたします」
いつも名言や美しい詩や小説の一篇を紹介していたNoah-botが突然極めて現実的な、もしくは政治的なつぶやきをしたので、はじめ多くの人々は当然戸惑った。しかしNoah-botから発せられた言葉は、現実を鑑みたうえでの発言として、説得力を感じさせるのもまた事実だった。
なおもNoah-botは続けた。
「ワールドコインは今や全世界八十億人の内、実に七十五億人の国で基本通貨になっており、残りの国でも基本通貨ではないにしろ、かなりの部分で流通しているのが事実です。」
「ワールドコインを知らない方はもう殆どいないとも思いますが、ワールドコインがいかに優れた貨幣であるかを改めまして紹介いたします。
まず、夜空に浮かぶ星々を思い浮かべてください。無限無数にある星々を。ワールドコインはその星なのです。インターネット上に浮かぶ巨大な星空。その全ての星を暗号によって記録することにより、誰かがその一つ一つの星の所有者になるということです。そしてその星は誰とでも交換可能で、やりとりができるということです。料金を払うのも、給料を受け取るのも、その星を所有者間で移動するというだけのことなわけです。仕事上の決済に、ショッピングでの支払いに、遠く離れた親に、子に、恵まれない人に、家にいながらメール感覚でお金が送ることができるわけです。もうわざわざ銀行にお金を引き出しに行く必要はなくなったということです。それに振込手数料も必要なくなったわけです。ワールドコインは地球の裏側まで瞬時にお金が送ることができます。ユーチューブの送金機能はすでにご存知でしょう。要するに時代に適した使い勝手のよい最先端の貨幣なのです。使いずらい通貨がより使い易い通貨に駆逐されるのは、歴史を見ても明らかでしょう。同時にセキュリティもまた完璧に設計されています。登場して二年半、八十億近くの人々が使用しながら、詐欺を除いて、ただ一つの盗難も報告されていません。それ程完璧な通貨なのです。
国の裏書のない貨幣だと未だに不信に思う方がいらっしゃることは承知しております。しかし、国の裏書があってなおその国自体が信用できなくなった時、一体誰がその通貨を信用できるというのでしょう?国はすでに信用に足りうる存在ではなくなってきてはいないでしょうか?ワールドコインは使用する一人一人が裏書を書いているようなものなのです。あなたを信用し、私が信用されることにより成立する貨幣ということです。人を信じずして何が人生といえるのでしょう?」
この一連のつぶやきが発せられて以来、日本でもワールドコインへの両替の流れが一気に加速した。個人も企業も、そしてかなりの数の地方自治体も、所有している「円」をワールドコインに両替していった。
作品名:サイバードリーミーホリデイズ 作家名:ふじもとじゅんいち