③冷酷な夕焼けに溶かされて
信頼と契約
ルイーズに背負われて表に出ると、そこは鬱蒼とした山だった。
どうやら私が目覚めるまで、いずこかの山中の小屋に潜んでいたようだ。
表には、今朝ミシェル様が連れて出た親衛隊と黒装束の者達がいた。
(他にも忍がいたのね。)
「覇王の動きはどうだ。」
ミシェル様が訊ねると、黒装束のひとりが跪く。
「デューへの侵攻準備で、帝国へ戻られました。」
「!デューへ…侵攻!?」
私が思わず声を上げると、ミシェル様がぽんっと頭を撫でてくれた。
「大丈夫だ。」
(…ミシェル様…。)
冷静な威厳のある声色と表情に、不安が消える。
互いに見つめ合った時、遠くで慌ただしい馬の蹄の音が複数聞こえた。
一気に、緊張が走る。
けれど見えてきた軍旗は、デューのものだった。
「ルイーズ!」
聞き慣れた声がしたかと思うと、山道を駆け上がる蹄の音がする。
「ヘリオス!!」
ルイーズが、私を背負ったまま駆け出した。
現れた茶毛の馬から亜麻色の髪をなびかせながら、すらりとした体格の青年が飛び降りる。
「兄上…。」
呟くように言うと、兄上が明るい笑顔で駆け寄って来て、私と同じ栗色の瞳を細めた。
「久しぶりだな、ルイーズ!…ニコラ!」
けれど私が笑顔を返す前に、兄上はミシェル様へ向き直り、土下座する。
「こ…このたびは、『ヘリオス』のことで…」
ミシェル様は、その言葉を冷ややかに遮った。
「今すぐ軍を返せ。」
「…は?」
きょとんとする兄上を、ミシェル様が苛立った様子で睨み付ける。
「一軍を率いてくるなど、本当に反乱を起こす気か!しかも皆の前で土下座するなど…馬鹿か、おまえは!」
殺気を纏いながらも周りに聞こえないよう圧し殺した声で叱責するミシェル様に、兄上が震え上がった。
「…っは!申し訳ありません!」
そして後ろをふり返ると、親衛隊だけ残し、すぐに城へ戻るよう軍隊に指示を出す。
(確かに…親征軍と捉えられてもおかしくない行動だし、いくらヘリオスのことを謝罪したくても、国王の土下座は威信にも関わるわ…。)
「あいつとおまえ、逆だったら良かったな。」
ため息混じりに呟くミシェル様に、私は微笑みながら頭を下げた。
「これから、善きお導きを。」
すると、ミシェル様は口をへの字に曲げながら、ふいっと横を向く。
その照れたような表情に、また私は愛しさと笑顔がこぼれた。
合流したその場で兄上も、簡単に花の都の忍二人と自己紹介を交わし、『宿営』と称される場所へ移動となった。
それは一時間ほど山中を移動した、おとぎの国との国境に近い場所に構えられたテントだった。
その場所までルイーズは私を抱いたまま馬に乗り、忍達と共にミシェル様を先導した。
ルイーズの手を借りて馬から降りながら、私は辺りを見回す。
(おとぎの国?)
(なぜ、おとぎの国の近くまで来たのかしら。)
(確か、ルーチェと国交はあるけれど親交国ではなかったはず…。)
(それに、おとぎの国は世界有数の軍事力を持つ国…。)
そんな私の思考を遮るように、指笛の音がした。
音のした方を見ると、少し離れたところに立つリクの手に梟が一羽舞い降りる。
それと同時に、その傍に小柄な黒い影が現れた。
「姉上。」
リクが心なしか嬉しそうな声色で声を掛けたその忍は、少女のように可愛らしい。
(姉上…。)
その忍が黒いマスクを外した時、後ろから白馬とまだら模様の馬が現れた。
その馬上には、まばゆい金髪にエメラルドグリーンの瞳が美しい、絵本から抜け出たような王様と王子様がいて、思わず息をのむ。
「義兄上。リオ。」
二人を、リクが微かに弾んだ声で迎えた。
「叔父上!」
「理巧!」
大輪の花が咲くような華やかな笑顔で二人の美しい男性は答えると、ひらりと軽やかに降り立つ。
(あにうえ、ってことは、この方も花の都の?)
「久しぶりだな、カレン王。」
突然、耳元で低い声が聞こえ、肩が跳ねた。
いつの間にか、ミシェル様が傍に立っていたのだ。
(カレン王!)
私は思わず壮年の男性を二度見する。
(これが、噂のカレン王。)
かつて『残念王子』と称されるほど女性関係が派手で、国政に一切関わらない勉強嫌いな王子だったのに、即位されて以来わずか数年で経済を立て直し、弱小国家だったおとぎの国を経済大国にまで発展させた賢王。
その美貌でも名高く、どんな女性でも一目で恋に落ちてしまい、それで王子時代は女性が後を断たなかったのに、王位を継承されてからは後宮すら持たれず、王妃様だけを一途に愛されているという。
確かに、年を重ねられても目を奪われるように美しく、それでいて賢そうだ。
「ご活躍は耳にしてますよ~、ミシェル王♡」
(!?)
見た目の気高さとは真逆の、緊張感のない声色にガクッと力が抜けた。
にこにこと満面の笑顔でミシェル様を見つめるカレン王に、心が和む。
「カレン、威厳がなさすぎです!」
けれど、そんな王に対してリクのお姉様は厳しい言葉を投げ掛けた。
「そう?やっぱ王様に向いてないのかなぁ~。いつまで経ってもダメでごめんね~麻流(まる)♡」
全く反省した様子もなく、むしろとろけるような表情でその頬に口づけようとするカレン王。
その瞬間、ぱこん!と小気味良い音で、カレン王は頭を叩かれた。
「あいたたたた…。」
「お見苦しいところをお見せし、大変失礼致しました。」
頭をおさえるカレン王の横で深々と頭を下げるリクのお姉様は、丸い大きな黒い瞳にふっくらとしたやわらかそうな頬が愛らしく、とても可憐だ。
(けれど、王様にも容赦ない厳しい方なのね。)
(リクのお姉様なら、花の都の王族。)
(だから、王様のことも呼び捨てなのかしら。)
そんな私をちらりと見たマル様は、隙のない動きでミシェル様の前に跪く。
「ご挨拶が遅れました。おとぎの国王妃、麻流でございます。」
(王妃!?)
思わず叫びそうになり、慌てて口元を手で覆った。
「花の都王妹で、父が星一族頭領だった為、私もこの理巧同様、忍でございます。今はおとぎの国に共に参りました忍達の長をしております。」
そう言いながら、カレン王をチラリと見る。
すると、カレン王が途端に表情を引き締め、ミシェル様に向き直った。
(年下なのに、しっかりしたお妃様だわ。)
「此度は、我が国の窮状にお力をお貸しくださり、大変ありがたく思っております。」
(…どういうこと?)
けれどそんな二人にミシェル様は、冷たい笑みを浮かべる。
「礼などいらぬ。力を貸すのではない。利用するだけだ。」
(ああ…なぜそう喧嘩を売るようなことを…。)
眉を下げてミシェル様を見つめた時、やわらかな澄んだ声が響いた。
「それでも、覇王に背き侵攻をやめてくださったことに間違いはありませんので、感謝しております。」
ミシェル様に酷い言葉を掛けられても変わらず清廉な笑顔で華やかに微笑むカレン王に、その場にいた全員の心が和む。
「…素晴らしい国王様ですね。」
隣に立つミシェル様に囁くと、夕焼け色の瞳がこちらを向いた。
「あんな男の妃だと、幸せだろうな。」
作品名:③冷酷な夕焼けに溶かされて 作家名:しずか