短編集29(過去作品)
香りを感じる
香りを感じる
これほど無性に女を抱きたくなることが、今までにあっただろうか? 人恋しくなることは確かにあった。そんな時一緒にいるのは、男性よりも女性がいいに決まっている。一緒にいて落ち着けることが一番で、女性というのはそんなものだと思っていた。
しかし実際は、女性がそれほど私の期待通りの人ばかりだとは限らない。優しそうな顔をしていても、優しい声を掛けられても、所詮、社交辞令の人が多かったのも事実だ。
私の会う女性がそんな人ばかりだっただけなのかも知れない。女性というものをあまり知らない私は、初めて女性とベッドを供にした時のことをハッキリと覚えている。
――これが私の捜し求めていたような女性なのだろうか――
最高に気持ちが盛り上がり、予想通りの展開に初めてだということすら忘れていた私、そんな私に彼女は妖艶だった。
ホテルに入るなり、思い切って言ってみた。
「あなたが初めてだなんて、ちょっとビックリだわ」
「分からなかったかい?」
「ええ、最初はね。でも、展開がスムーズだったわりに、落ち着きがないので、変だなとは思っていたわ」
そう言って、彼女は笑う。その顔は今までにない豹変ぶりだった。妖艶に感じたのはそのためである。しかも私はその顔を見てさらに、おじけづいていたのだろう。私の全身を舐め回すような視線に、身体の奥から湧き出る電流を感じ、まるで「ヘビに睨まれたカエル」の様相を呈していた。
私の計算は完全に狂ってしまった。
さすがに最初から冷静に計算していたわけではないが、初めての時におじけづかないようにと、それなりに頭に描いていたものがあった。私はどちらかというと、最初に計算して行動する方なので、急に計算が狂うと却ってうろたえてしまうのだ。
「あなたは、心配しなくてもいいのよ。私に任せなさい」
任せるしかなかった。最初の時、優しいおねえさんのような女性であって欲しいと願っていたのも事実で、彼女が私の想像していたような女性だと感じて、ホテルに入った。しかし私が初めてだと知ると、立場が完全に確立されてしまい、私にはどうすることもできない。
ベッドの中では、あまり考えないようにしていた。それでも、イメージどおりに動くことができたように思う。初めて女性とベッドを共にしているにもかかわらず、信じられないくらいにスムーズな自分に驚きを感じている。きめ細かな肌が吸い付いてきて、初めてとは思えない感覚に酔っていた。
――こんなものなのかな――
すべてが終わり、脱力感が一気に襲ってきた身体は、まだ火照っていた。身体の火照りだけが残っていて、後は急激に覚めていく自分に感じた不思議な思いは、その後、他の女と身体を重ねても消えなかった。これこそが男の性なのだろう。
男の性が哀しいものであるとは思っていない。哀しいというより虚しいというべきか、割り切ってしまえば、あまり気になるものではない。その瞬間だけに感じることなのだから……。
初めての女とは、少しの間付き合っただろうか。相手も私も別に付き合ってほしいといったわけでもないのだが、会いたい時にはどちらからともなく連絡を取り、お決まりのデートを楽しんだ。デートに改まって目新しいことがあるわけではない。お互いに楽しければよく、行きたいところを最初から決めていないのも、相手が何かを考えてくれているという期待があるからだ。
そういう意味では彼女は、恋人という枠の中で最高の女性だったのかも知れない。
「友達以上、恋人未満」
世の中には実に都合のよい言葉があるものだ。まさしくその通りで、友達というにはお互いのことを知りすぎていて、恋人というには、知られたくない部分がお互いにある。決して恋人になれないと感じたのは、
――この人の本当の姿を、私は知ることができないんだ――
と思ったからである。自分も「知られたくない」という思いがあり、そう感じると、彼女のすべてを知ってしまいたくないと思っている自分を発見した。
恋人でなくとも、「付き合った」と言える時期を一緒に過ごしていたと思う。時期的には数ヶ月くらいのものだったが、その間に会えば必ず身体を求めていた。どちらから求めるでもなく、自然にホテルに足が向く。しかし、マンネリだとは思っていない。まだまだ彼女の知らない部分を覗いてみたいと思う気持ちは強かったからである。
――女というのは、本当に神秘なものだ――
と教えてくれたのは彼女であり、何度抱きしめても、最初の時に感じた肌のきめ細かさが頭の中でシャッフルしていて、いつでも新鮮だった。
私が彼女と知り合ったのは、偶然だった。
会社の同僚と呑みに行った時のこと。スナックだったのだが、相手も女性二人で来ていて、彼女の友達というのが、私の同僚と知り合いだったのだ。
私はそのスナックに初めて行った。同僚のキープがあるということで連れて行かれたのだが、薄暗く狭い雰囲気は、まさしくスナックという名の通りであった。
「会社が終わって一人でよく行くんだ。ほとんどが常連の店なんだが、最近はその常連が友達を連れてくるようになったんだ。だから、俺もたまには知り合いを連れて行こうと思ってね」
と話すが、要は自分にも連れてくる知り合いがいるということを見せびらかしたいと思っているように思うのは偏見だろうか?
私ならそんなことはしない。一人で行く店に他人を連れていくようなことは、せっかく一人になりたいための店を自らなくすような気がして嫌だろう。そんな中途半端なことをすればきっと後になって後悔するに決まっている。
なるほど、確かに店の雰囲気は一人で来るにはもってこいの店だ。私が彼でも、一人で来る店として大事にしているだろう。常連が多いというのも頷ける。カウンターがメインで、カラオケがあるわけでもなく、あまり騒ぎ立てる雰囲気が似合いそうな店ではない。
「いらっしゃい」
カウンターの中には一人、着物の女性と、もう一人、洋服の女性がいた。雰囲気からも、着物の女性がママさんだと思った。
「彼女が、幸子ママ」
そう言って紹介されたのは、やはり着物の女性である。
「こんばんは。初めまして」
「初めまして、柏木といいます」
「須藤さんには、いつも贔屓にしていただいています。どうぞこれからもよろしくお願いしますね」
そう言ってニコヤカに笑うママの表情が、営業スマイルに見えてこない。この店に常連が集まる理由を垣間見たような気がした。
キープしてあったウイスキーをチビチビ呑みながら他愛もない会話をしていた時には、店内に客はいなかった。最初は気にしていたが、途中からまわりの雰囲気を気にしなくなっていたその時である、入り口の扉が開いて、女性二人が入ってきた。
「あら、須藤さん、珍しいわね。お友達を連れて来られるなんて」
須藤が振り向く前に一人の女性が声をかけた。
「君だって友達を連れてきているじゃないか、お互い様だよ」
ニコニコ笑っている二人を見ていると、まんざらではない雰囲気に見えた。恋人とまで行かないまでも、ただの友達というだけでもあるまい。ついつい二人をそんな目で観察している自分に気付いた。
作品名:短編集29(過去作品) 作家名:森本晃次