①冷酷な夕焼けに溶かされて
耳の奥でどくどくと聞こえる心臓の音に、私は思わずうつむいた。
そんな私の手からぐいっと籠が取られ、私はハッと顔を上げる。
それと同時に、籠の中身を床にひっくり返された。
「…武器を隠してはいないようだな。」
床に散らばるレンゲソウを、ミシェル様が一輪手に取る。
「なぜ、武器など持たねばならないのですか。」
私はミシェル様が床に置いた籠に、レンゲソウを集めて入れた。
「…目的はなんだ。」
警戒するような夕焼け色の瞳で真っ直ぐにこちらを見つめながら、ミシェル様は低い声で訊ねる。
「レンゲソウ畑でお誘いした首飾り作りをしようと思い、持って参りました。」
私が笑顔で答えると、ミシェル様の瞳と口が驚きに見開かれた。
「色んな色があったほうが華やかに作れるので、ララやフィン達とたくさん摘んだのですよ。」
言いながら、私はそのまま床へ腰を下ろす。
「作り方は基本的には冠も指輪も首飾りも変わらないので、簡単です。」
そして実際に繋ぎ始めると、ミシェル様も隣に腰を下ろし、レンゲソウを手に取った。
「穴はなるべく花に近いところに開けてくださいね。」
私が教えると、ミシェル様は素直にそれに従う。
「お上手ですね。初めてとは思えません。」
真剣な表情で私の手元と見比べながら黙々と作るミシェル様は穏やかで、まだ年若い王子に見えた。
(おいくつなのかな。)
癖のあるやわらかな白金髪に丸みを帯びた滑らかな輪郭の横顔は、あどけなさを残しているようにも見える。
(若くして国王に即位されたのに、覇王に命じられるまま各国を巧みに侵略していき、拡大していく領土も安定して治めていらっしゃる。)
(…ミシェル様って、本当はどんな方なのかしら…。)
遊ぶ暇も与えられず、王位継承者として育てられたミシェル様。
城内にいても、常に暗殺を警戒しているミシェル様。
(私といる時くらい、何も考えず安心して過ごして頂きたい。)
不思議と、自然にそう思えた。
私は再びレンゲソウに視線を戻すと、鼻唄まじりに編み始める。
楽しそうに歌っていると、ミシェル様が首を傾げた。
「なんだ、その歌は。」
興味を持ってくださったことが嬉しくて、私は笑顔で答える。
「これは、祖国でいつも歌っていた童謡です。」
「童謡?」
怪訝そうな表情で訊ねるミシェル様に、私はハッとした。
(もしかして、童謡すら…?)
子どもの喜びや楽しみを全く知らずに育つミシェル様の幼少期を想像して、胸が切なく締めつけられる。
(でも、これからそういうことにも触れていける機会を作れたらいいのよね。)
私はそう思い直すと、笑顔で答えた。
「童謡とは、子どもでも歌いやすいよう作られた歌です。童謡を通して、子どもは物の名前や人との関わり方、社会のルールまでも学ぶことができるのです。」
「…。」
相変わらず無口で興味なさげに見えるけれど、その瞳はしっかりと私を見ていて、実は興味津々であることが伝わってくる。
その不器用な感情表現に、私は母性本能をくすぐられた。
「この歌は、母が病で亡くなる直前まで、私に歌ってくれたレンゲソウの歌です。
父王と母、兄、そして幼馴染みだったルイーズ王子とレンゲソウ畑で遊びながら皆で歌った楽しい思い出のある歌なので、いまだについ歌ってしまいます。」
言いながら、当時を思い出し、鼻の奥がツンとする。
思わず涙が滲みそうになり、慌ててごまかすように声をあげた。
「完成です!」
私が笑顔でミシェル様をふり返ると、思いがけず真剣な表情でこちらを見つめる夕焼け色の瞳と視線がぶつかる。
「…。」
ミシェル様は何も言わず、ただ私をジッと見つめていた。
(な…なに?)
その心が読めず、動揺した私は視線をさ迷わせ、ミシェル様の手元に気づく。
「あ、ミシェル様ももう完成ですね!」
私はごまかすようにレンゲソウを一輪取ると、ミシェル様の持つ首飾りに手を触れた。
「最後はこうやって」
言いかけたところで、息が詰まる。
ミシェル様に抱き寄せられたからだ。
一気に血圧と脈拍が上昇し、全身がドクドクと心臓になったように激しく鼓動する。
「…。」
ミシェル様は何も言わず私をぎゅっと抱きしめたまま、首飾りを完成させた。
そして、私の首にそれを掛ける。
「…ありがとう…ございます…。」
ふるえる声でお礼を言うと、ミシェル様は無言のまま、首飾りを握ったままの私の手首を掴んだ。
そして、そっと体を離すと私と向き合うように座り直す。
「おまえも、私に掛けろ。」
言いながら頭を低くするミシェル様。
美しい白金髪がやわらかく揺れ、そこにできた光の輪がまるで天使のようだ。
私は手を伸ばしミシェル様の首にレンゲソウの首飾りをぶら下げる。
その瞬間、再び腰を抱き寄せられた。
首飾りを掛けるために上げた両腕はそのままミシェル様の肩に乗り、まるで私からも抱きしめているような姿になる。
(…ど…どうしようっ。)
(セルジオの話では、ミシェル様は、姫君の意思を無視して純潔を奪わないはず…よね?)
(だ…だから、大丈夫よね!?)
身を固くしながらぐるぐると考えていると、私の首筋にやわらかなものが当たった。
「っひゃぁっ!」
身をすくめると同時に口から出た間抜けな声に、ミシェル様がぷっと吹き出す。
「くっ!なんだ、その声は!」
体をふるわせて笑うミシェル様の吐息が首筋をくすぐり、思わず身をよじった。
「何もしないから、おとなしくしろ。」
そう口では言うけれど、さりげなく首筋を舐められる。
「んっ…。」
ぎゅっと目を瞑りながら口を引き結び、声を漏らすまいとする私の首筋を、ミシェル様はからかうように唇と舌でなぞった。
その瞬間、ぞくりとした不思議な感覚が体の芯からお腹を突き抜け、背筋へ走る。
同時に、すくめていた肩から力が抜け、腰にも力が入らなくなった私は、ミシェル様の肩にもたれ掛かった。
「いい子だ。すぐ終わるから、ジッとしていろ。」
そう囁かれた瞬間、首筋にピリッと痛みが走る。
「っ…」
小さく息を漏らす私の首筋を、ミシェル様は強く吸い上げた。
そして、小さな音を立てて離れる唇。
吸われた首筋はジンジンと痺れるように痛み、残されたミシェル様の唾液が空気でヒヤリと冷え、熱を帯びた首筋を冷ました。
「夜伽の証だ。」
私を解放しながら、ミシェル様は冷ややかに微笑む。
「本当に、初めてなんだな。」
意外な言葉に首を傾げると、ミシェル様はゆっくりと立ち上がった。
「セルジオと、婚約していたのに口づけひとつしていなかったのか。」
「!…ご存知、だったのですか?」
「私を侮るな。」
鋭く言われるけれど、不思議ともう恐ろしさは感じない。
「…親同士の口約束でしたし…そもそもセルジオは…。」
「あいつは、バイだ。」
「…バイ?」
私がもう一度首を傾げた時、毛糸玉を追いかけて部屋の奥に行っていた猫が戻ってきた。
腕の中に飛び込んできた猫を反射的に抱きしめると、ミシェル様がおもむろに猫じゃらしを取り出す。
作品名:①冷酷な夕焼けに溶かされて 作家名:しずか