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①冷酷な夕焼けに溶かされて

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ふれあい


「レンゲソウ!」

散歩に出て来た後宮の庭で、思わず私は歓喜の声をあげてしまい、慌てて口許を手で隠した。

「誰もいませんから、大丈夫ですよ。」

ララが明るく笑いながら、護衛の騎士をふり返る。

「フィン。おまえも、黙っておきなよ。」

ララがイタズラにウインクすると、フィンはそれをさらりと受け流し、無表情で跪いた。

「ルーナ様がはしたなく大きな声をあげられたこと、誰にも言いませんのでご安心を。」

「!」

私が頬を赤くすると、ララがすかさずフィンの頭を思いきりたたく。

「フィン!!」

けれどそんなララの怒りもまるで気にしない様子で、フィンは立ち上がる。

「ここは見通しが良いので、あの木の上から護衛します。」

そしてさっさと行ってしまったフィンの後ろ姿に向かって、ララは盛大なため息を吐いた。

「すみません。息子が失礼なことを…。」

「え?フィンは息子さんだったの?」

(奴隷の子が騎士なんて、珍しい。)

私はレンゲソウが咲き誇る花畑に腰を下ろす。

「ええ。一人息子なんですがね、旦那はあの子が生まれる前に病で亡くなりまして。でも腕が立つってんで、騎士に引き立てて頂けたのです。」

得意気に話すララは、すっかり母親の顔になっていた。

「ふふ。」

私が笑うと、ララがハッとした様子で籠を持ち直す。

「あ…余計なお話を!わ…私はあちらの花を摘んで参りますので、御用の際はお声掛けください!」

言うや否や、あっという間に遠くの花畑へ行ってしまったララの後ろ姿に、再び笑みがこぼれた。

(ここは、不思議な国ね。)

どこの国でも、奴隷の子は奴隷のまま。

騎士にも色々身分はあるけれど、最下位の騎士でもそれなりに身分は高い。

他国では、あり得ないことだ。

(実力や才能さえあれば、出世は思いのまま…ということか。)

逆に言えば、身分はあっても秀でたものがなければ仕事はないのだろう。

(ミシェル様は、私に何を望まれているのかしら。)

『ヘリオス』として戦場に立つ以外、さして取り柄のない私…。

(ミシェル様のお役に立てるよう、まずはもっとミシェル様のことを知りたい…。)

そう思った時。

微かに猫の声が聞こえる。

「猫?」

けれど、あたりを見回しても猫の姿は見当たらない。

私は立ち上がって、もう一度ぐるりと広く見回してみた。

すると、少し離れたところにあるまだ若い木の上に猫らしき影が見える。

近づいてみると、枝が折れそうにしなり、猫が降りようと動く度に細い幹は大きく揺れていた。

「ダメよ、じっとして!」

私は木の幹を押さえながら、声を掛ける。

「どうしよう…こんなに細い木、登れないし…。」

木の高さは低く、あともう少し私の背が高ければ手が届く場所に猫はいた。

「あ、あの岩を踏み台にしたら…。」

少し離れたところに大きな石を見つけ、私は小走りに近づく。

そしてそれを抱え上げようとするものの、なかなか重くて持ち上がらない。

「っん!このくらい…!!」

剣の鍛練で、屈強な男達にまじって体を鍛えていた頃を思い出す。

「裾が邪魔っ!」

あたりに誰もいないことを確認すると、ドレスの裾を捲り上げ、もう一度岩を抱えようと腰を降ろした。

「ふっ!」

気合いを入れて立ち上がると、ようやく岩が持ち上がる。

そのままヨタヨタと猫のいる木の下まで運び、その上に立った。

「あー…あともう少し足りない…。」

つま先立ちになりながら必死に手を伸ばしたその時、突然私に影が落ちる。

ハッと身構えると同時に、頭上に腕が伸び、猫を優しく抱き上げた。

「あっ。」

「にゃん。」

猫と同時に声をあげながらふり仰ぐと、やわらかな弧を描いた顎が見える。

そして眩い太陽の光を弾く、白金髪の癖毛。

「…ミシェル様。」

小さく名前を呼ぶと同時によろけた私と猫を、ミシェル様は胸に抱きしめた。

「無鉄砲な女共だな。」

乱暴な物言いだけれど、その声色は優しく、安堵したように小さく息を吐く。

(女『ども』?)

「その猫は、ミシェル様の飼い猫ですか?」

私の問いに、ミシェル様は体を離すと、ふいっと顔を背けて歩き始めた。

「…勝手にいつも部屋にいるだけだ。」

(でも、明らかに探されていた感じよね?)

(性別もご存知だし。)

素直じゃない物言いに、思わずふっと笑みをこぼすと、ミシェル様が背を向けたまま呟くように話し掛けてくる。

「いくらヘリオスとはいえ、丸腰で護衛もつけず危ないだろう。」

「…後宮の敷地内ですし…フィンがあの木の上におり、ララも向こうの花畑におります。」

(もしかして、心配してくださってる?)

私が顔を覗き込もうとすると、ミシェル様はなぜか顔を背けた。

「それでは離れすぎだ。現に私が近づいても、フィンもララも駆けつけず、ヘリオスのくせにおまえも気づいていなかったではないか。…後宮の敷地とはいえ、油断しすぎだ。」

「っ…それはミシェル様だから駆けつけて来なかったのでは」

反論しかけた瞬間、ミシェル様は背を向けたまま、突然私の手を掴む。

「しかも、女のくせに岩など運ぶな。」

ぐいっと強く手を引かれ、ミシェル様の背にぶつかってしまう。

(こ…これはまるで、私が後ろから抱きついているみたいじゃない!?)

女性的な顔立ちとは真逆の、逞しい背中に頬を寄せる状態になった私の鼓動は、一気に加速した。

けれどそんなこともさして気にせず、ミシェル様は私の指についた泥を指でこすり落とすと、少し眺めた後パッと手を離す。

(もしかして、怪我をしていないか確認してくださったの?)

こちらを見ないまま、スタスタ歩いて行くミシェル様。

けれど、その先はレンゲソウ畑だ。

思わず、私はミシェル様のマントを掴んでしまった。

「!」

急に後ろに引かれ、ミシェル様は少し体がのけぞりバランスを崩す。

「あ…申し訳ありません!」

慌ててその背を支えると、倒れずに踏み留まったミシェル様がゆっくりとふり返った。

そして、腰の剣を抜く。

(…不敬罪で、手打ちだよね…。)

主を危険にさらすなんて…その場で処刑されて当然だ。

私は覚悟を決めて目を瞑ると、地面に膝をつきながらミシェル様に切り落とされやすいよう首を差し出した。

その瞬間、風を切りながらふり下ろされた剣が、前髪をかすめる。

ザクッと刺さる鈍い音がし、私は体をこわばらせた。

けれど、痛みはない。

「おい。」

ミシェル様の低い声に、私は目を開ける。

すると目の前に、串刺しにされた蛇がぶら下がっていた。

「!!…きゃっ」

思わず小さな悲鳴をあげながら尻餅をつくと、ミシェル様が声をあげて笑う。

「はははっ!なんだ、岩をも運ぶ勇猛果敢なヘリオスは、蛇が苦手なのか?」

(わ…笑った!)

思いがけず無邪気な笑顔に、鼓動がどくんっと跳ねた。

思わずジッと見つめる私の視線に気づいたミシェル様は、瞬時に笑顔を消す。

(…あ…。)

残念に思う私から顔を背けると、剣をふるって、ぽいっと蛇を遠くに投げ捨てた。

「おまえが止めてくれなければ、あの毒蛇に噛まれていた。」