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①冷酷な夕焼けに溶かされて

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寵姫


隣でベッドが揺れ、軋む音に私の意識が覚醒した。

見慣れない天井に、ハッとする。

一瞬、状況が掴めず混乱するけれど、すぐにここがミシェル様の寝室であることを思い出した。

衣擦れの音に顔を向けると、ミシェル様が身だしなみを整えている。

「おはようございます。」

私は慌てて起き上がると、手早くブランケットをたたみ、ミシェル様へ近づいた。

「さすがに、ずいぶん肝が据わってるな。」

ミシェル様はこちらへ背を向けたまま、低い声で呟く。

「…お手伝い致します。」

着替えを手伝おうと伸ばした手を、振り向きざまに軽く払われた。

「今までの姫君達なら鬱陶しく夜通し泣き続け、その後精神を病んでいた。」

言いながら、夕焼け色の瞳を枕元の剣へ向ける。

「なぜ、剣を手に取らなかった?『ヘリオス』。」

「!!…………ヘリオスは、兄の名ですが?」

「ああ、剣ひとつ振るえない、妹を身代わりに戦場に出す腰ぬけ『英雄(ヘリオス)』は、確かにおまえの兄だったな。」

「…。」

(ミシェル様は…ご存知で…?)

動揺する私に冷笑を向けると、ギシッと音を立ててミシェル様はベッドへ片膝をついた。

「ふっ、やはりそうか。」

(…しまった…、鎌をかけられたんだ。)

目を逸らす私の手首を、ミシェル様が乱暴に掴む。

「いくら隠そうが、これでわかる。」

そう言われて目の前に突きつけられた私の指と手のひらは、皮が厚くなっていた。

マメがつぶれることを繰り返した証拠だ。

「おまえの兄と属国条約を取り交す際、ヘリオスの実力を測ろうと、戯れにその首に剣を向けたのだ。すると思いがけずふるえ上がったので、妙だと思ってな。」

「…。」

「初めはヘリオスを連行し、おまえを国に残す予定だったのだが、私のほしい『英雄(ヘリオス)』でなかったので、条文を入れ替えた。」

(そういうことだったのか…。)

あの、ルイーズが迎えに来た時の兄の怒りは、婚約者であった彼が私を敵将の後宮に連れて行くからでなかったのだ。

兄は、『ヘリオス』が私だと露見してしまうことを恐れたのか…。

(けれど、兄上がこちらへ来ていたら…。)

ミシェル様が気づいてくださって、よかった。

こうやって真実がわかってしまっても、ミシェル様は私達の罪を咎める様子はない。

(むしろ、『ヘリオス』が秘密裏に手に入って、喜んでいるのかも…。)

「しかし、おまえは剣を向けても悲鳴ひとつあげず、まっすぐにこちらを見上げてきた。それで、確信したのだ。」

ミシェル様は私の指や手のひらのマメの痕をくすぐるように指でなぞった。

「くくっ。影武者になりそうな騎士をいくら洗っても『ヘリオス』が見つからないはずだ。」

喉の奥で笑いながら、ミシェル様の顔がずいっと近づく。

「だから昨夜から何度もチャンスを与えてやったのに、なぜそれを活かさなかった。」

(やっぱり、罠だったんだ。)

あの時、剣を手に取らず良かったと胸を撫で下ろしながら、私はまっすぐに夕焼け色の瞳を見つめ返した。

「私の生きる場所は、ここだからです。」

「…は?」

ミシェル様の眉間に、深い皺が刻まれる。

「いずれ、私は他国へ嫁ぐ身でした。そのきっかけや形が何であれ、こうやって嫁いだのですから、その夫である主に刃を向けるわけがありません。」

ミシェル様は一瞬そのやわらかそうな頬を歪ませると、私の手首をふりはらうように放した。

その時、扉がノックされる。

「…なんだ。」

言いながら、ミシェル様はサッとベッドから降りた。

それと同時に、扉が開かれる。

「ミシェル様、覇王より使者でございます。」

ルイーズが膝をついて頭を下げると、ミシェル様は小さく息を吐きながら腰に剣を差す。

けれど、そのまま数秒動きを止めた。

華やかなオレンジ色のマントが少し歪んでいたので、私はその肩に手を伸ばす。

すると、サッと身を翻されてしまった。

「っ…マントをお直ししようと…。」

私が伸ばした手をそのままに言うと、ミシェル様はハッとした表情になる。

そしてそのまま数秒こちらを見つめた後、ミシェル様は腰の剣を抜き、私の前に放り投げた。

「…伽の褒美だ。」

そして、マントを直しながら身を翻し部屋を出て行くミシェル様。

「セルジオ、ルーナを部屋まで送れ。」

「はっ。」

多くの騎士や侍従達に囲まれ遠ざかる後ろ姿を見送ったルイーズが、こちらへ向き直る。

「部屋までお送り致します。」

部屋の入り口で跪いたままの彼に、私は頂いた剣を差し出した。

「これは、お返ししておいてください。」

見事な銀細工が鞘に施された剣は、かなりの価値があるだろう。

通常の姫なら装飾品として喜んで受けとることができるのだろうけれど、ヘリオスと露見してしまった私にとって持つだけで疑いの種になりうる物を手元に置いておきたくなかった。

「褒美を返すなど、怒りを買うだけだぞ。」

その場に残った侍従や騎士達に聞こえないよう、ルイーズが小さな声で囁く。

「…では、頼みがあります。」

私は剣をルイーズに押し付けながら、その耳元に唇を寄せた。

「!…了解。」

ルイーズは一瞬驚きながらも、視線を素早く周囲へ巡らせ、誰も見ていない隙に素早く自らの腰の剣と入れ替える。

そしてそれを恭しく持ち直すと、私を先導した。

ルイーズが褒美らしき剣を持ち私を部屋へ連れ帰る姿を、後宮の女たちが驚いた表情でふり返る。

「…ミシェル様に、抱かれたということ?」

「今回は…あの男妾は使われなかったの?」

「ミシェル様は…女を抱けたの?」

ひそひそと囁く声が耳に届き、私はルイーズの背中を見た。

(ルイーズは、新しい女が後宮に入る度、もしかしたらあの辱しめを受けていたのかもしれない…。)

国を奪われ、両親や親族を全て殺され、唯一生かされたルイーズ。

兄弟姉妹のいないルイーズは、たった一人の王族だ。

弓と槍の腕を買われてルーチェに連れてこられたはずなのに、いつからあんな目に遭わされていたんだろう。

私は唇をグッと噛みしめると、ミシェル様の顔を思い浮かべる。

(覇王カインから報奨として下げ渡されるから、仕方なく後宮に女を囲ってるの?)

ここルーチェの後宮は、デューのそれよりもやはり大国らしく華やかだ。

『今までの姫君達なら鬱陶しく夜通し泣き続け、その後精神を病んでいた。』

ミシェル様の言葉を、改めて反芻する。

(たしかに、あんな行為…見せられたら心を病んでしまうのもわかる…。)

けれど、すれ違う後宮の女達は誰もが幸せそうな満たされた表情をしている。

(ミシェル様の寵愛を競う必要がないから?)

(でも、それでは女としての幸せを得ることができない。)

(将来に夢が持てないのに、なぜ…。)

この後宮は、どこか違和感を感じる。

そもそも、女に興味がないのであれば夜伽に呼ばなければいいだけのこと。

「なぜミシェル様は、わざわざあのようなことを見せるのかしら。」

心の声が思わず口をついて出てしまった。

その瞬間、ルイーズの体がビクッと跳ね、俯く。

「…ごめんなさい、ルイーズ。」