異能性世界
奈々子はきっと兄を好きだったのだろう。考え方も含めたところで好きだったのであれば、きっと今の修の考えも分かってくれると思った。兄を失った奈々子のそばにいるのが修だということも、ただの偶然ではないような気がする。
奈々子のことを好きになったのも本当で、それは奈々子のそばにいる自分が偶然ではないという可能がその思いを強くした。
奈々子を大切に想う気持ちは、まるで彼の兄の気持ちが自分に乗り移ったのではないかと思うほどの気持ちであった。同情からではないが、自分の中にもう一人いると思うと、それは本当の恋なのかも知れない。
まりえに対しての思いは、後ろ姿のイメージが強い。
追いかけても追いかけても見えるのは、後ろ姿だけだ。後姿は時として大きく見える。別に近づいているわけではないのに、そう感じるのだった。
まりえと修の追いかけっこを、横から客観的に見ているもう一人の自分を感じる。その姿は走っても走っても前に進んでいないように見える。だからこそ決して距離が縮まることがないのだ。
まるでスローモーションのように見える光景は、修だけが見ているのだろうか?
そう思うと、二人の向こうから、誰かが見ているのが見えた。まさしくそれはまりえではないだろうか。
まりえの姿はじっともう一人の自分を見ている、走っているまりえの表情は実に楽しそうなのに、それを見ているまりえは、まったくの無表情だ。
無表情のまりえがこちらに気付いて、顔を向けた。その表情は、
「あなただって、同じように無表情じゃない」
と言っているかのように見え、かすかにニヤけたその顔は、気持ち悪ささえ感じられたほどだ。
確かに、走っている修の顔には充実感のようなものが感じられる。言葉で言い表せないような充実感が漲っているのは、その表情から感じることはできた。
まりえの無表情な雰囲気は、恐ろしさにも繋がる。自信に満ちた表情は、まりえには似合わない。いつもどこかオドオドした表情で修を見上げてくれる雰囲気が、まりえだと思っていたからだ。
まりえも同じなのかも知れない。見上げていたいと思っている相手に、自分が見下げるようなイメージ、ただ、決して相手に情けなさを感じているわけではないので、どんな心境なのか分からない。無表情な雰囲気も、見続けていれば、少しずつ考えていることが分かってくるような気がするから不思議だった。
逆を言えば、それは相手にも言えることで、まりえには修の考えていることも分かってきているのかも知れない。ただ、それが今、修が本当に考えていることなのか分からないが、まりえの考えている方が真実に近いように思えてくるのは、自分に自信がないからなのかも知れない。
リナとまりえと奈々子、彼女たちは修の中で同じ世界で成立しているのだろうか?
それぞれに素敵なところがあり、愛している自分を感じるのだが、元々一人を好きになれば、他の女性を気にすることのない修だった。そんなことを考えながら数日が過ぎ、まりえが描いた絵を見せてくれる日がやってきた。
「なんだ、この絵は」
思わず声に出して言ってしまったが、
「絵がどうしたというの?」
まりえはこれが普通の絵だと思っているのだろうか?
修の前にあるその絵は、明らかに数秒刻みの残像が残っていて、最初はどう見ればいいのか分からなかった。
「そうか、そういうことか」
修は瞬きをして、一瞬だけ絵を見るようにした。目を瞑っていて、一瞬目を開けて、すぐに目を閉じる。そして、瞼に残った残像が、一瞬の絵を頭に刻み込む。最初に刻まれた絵には、修が写っていた。そして次にもう一度同じことをして刻まれた絵にはリナが写っている。そして次には奈々子だった。さらに最後には、まりえだったのだ。
残像の残る絵は、完全に浮かび上がっていて、立体感を見せている。こういう見方は修にしかできないのだろうが、他の人には、この絵がどのように見えるか気になってしまった。
――こんな絵、ありえない――
そう思って、最後に次の絵を見ようとした時、修は自分が違う世界で、目が覚めたのに気が付いた。
その世界は目の前がまっくらで、次の瞬間には、身体が動けなくなっていた。意識が朦朧としてきて、
――俺はこのまま死んでしまうのだろうか?
という思いが、いつまでも続く気がした。
修は、これから死を迎えるのではない。まりえの描いた絵を見ながら、絵の中に入り込んでしまったのだ。
残像が可能性を引き伸ばし、そのまま修を絵の中へと誘ったのだ。
そう、修の見ている世界は、いかにも絵の中の世界だったのだ。
だが、悲観することはない。いずれは絵の中から出られるのだ。そのためには、誰か他に同じ日を繰り返している人を探し、その人に自分が感じたのと同じ感覚を味あわせ、そして絵の中に引き込むことをすれば、自分は表に出られるのだ。
それにしても、修を絵の中に引き込んだ女は三人の女を使うことで、一人を押し込んでしまったのだ。
本当は奈々子だったのだろう。彼女が絵から逃れられなくなった理由は、兄の死にあったのだ。
――兄の死を、一番分かってくれそうな相手――
それで白羽の矢が立ったのが、修だったのだ。
修の中のパラレルワールド、それは本当に自分が作り上げた世界だったのだろうか?
――パラレルワールド――
つまりは、異世界の可能性を感じる世界、
――異能性世界――
と言う世界が、修の運命を決定づけていたのだった……。
( 完 )
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