怒りの交差
――本当に単純なやつだ。どうして理不尽なことをして死を目の前にした人間というのは、こんなにも醜いんだろうな――
と感じた。
その思いが、自分の行っている「私刑」に対して、当然であるかのごとく自分を納得させることに役立っている。そういう意味ではやつらの醜さはありがたかった。
「理不尽だぁ? それはこっちのセリフさ。お前は吸ってはいけないところでタバコを吸ったんだ。そして、もし俺がここでお前を処罰しなければ、お前は数分後には子供の顔をタバコで傷つけることになるんだ。しかも、それは女の子でな。その娘には火傷の後遺症が残ることになる。お前は一生彼女の面倒を見るためだけに生きることになるんだ。もし、俺がここでお前を『私刑』にしなければ、お前の苦しみは半端ではないんだぞ。果たしてどっちがいいのかな?」
これは本当だった。
隆二には五分前を歩いているもう一人の自分がいて、その人間から情報をもらった。五分前の自分には、今の自分のような力が備わっているわけではないが、五分後の自分に情報を与えることができる。
――この男、信じてはいないな?
当然といえば、当然である。
自分をこんな目に合わせている人間の言葉など、普通なら信じるはずもないだろう。そんなことは分かっている。分かっていながら、隆二は話した。
「俺には五分前を歩いているもう一人の自分がいるんだ。その人は本当の俺ではないのさ。もっとも俺が自分にこんな力が備わっているということに気づいたのは、最近のことだったんだがな。だから俺によって私刑になる人間はあんたが最初なのさ。ありがたいと思えよ」
というと、
「何を言っているんだ。こいつ」
と恐怖は自分に向けられているだけではなく、隆二に対しても言い知れぬ恐怖が浮かんできているようだった。
「お前は、タバコを吸うことを正当化しているようだが、その煙で確実に市が近づいている人はたくさんいるのさ。そして、今日のように顔に火傷を負う運命の人だっているんだ。お前はそんなことを考えたこともないんだろう?」
というと、
「だからって、俺がどうして死ななければいけないんだ。たかが、タバコじゃないか」
それを聞いて、さすがに隆二はキレた。
いや、この男なら、これくらいのことを言っても不思議はないかも知れない。
「お前が火傷させようとした女の子にだって親がいるんだ。その子の母親は俺をこの間助けてくれたんだよな」
隆二が思い出しているのは、桜子だった。
さらに隆二は続ける。
「この世にはな。生きたいと思っても生きることのできない人はいっぱいいるんだ。中にはお前たちのような不心得者から間接的に殺される人だっている。それに、志があったとしても、病気で長く生きられない人だっているんだ」
隆二はもう一人の自分を思い出した。
もう一人の自分は、男ではない。その人はすでにこの世にはおらず、亡くなった瞬間、隆二の中に入りこみ、しばらくは蘇生するための期間を待った。
その女性はつかさだった。
つかさは生まれ変わることができなくなったかわりに、隆二の五分前を歩く人間として、もう一人の隆二になっていた。
隆二がそのことをふとしたことで知り、自分の中につかさの存在を認識したことで、二人の気持ちが近づき、その思いが交差した時、この力が発揮できるのだった。ただ、その力の源は「怒り」、「憤り」であり、理不尽な相手であったり、許せないと感じる相手が現れると、二人の交差が始まるのだった。
「こんなやつに容赦なんかいらないよな」
と隆二が語りかけると、
「ええ、好きなようにしてくださいな」
と、つかさが答える。
この男は二人の最初の、「生贄」となったのだ。
それから、しばらくしてこの二人のような人間が影で暗躍するのが増えてきた。そのメカニズムに気づいたのは、新見だった。その話を克典にしたが、克典は最初は信じなかった。
だが、克典にも、不思議な力を有することができたのだ。彼の五分前を歩いているのはともみだった。
「伊藤克典君は、ともみさんの存在を得ることで、不思議な力を得ることができた。世の中の無数にある理不尽なことへの恨みや憤り。それを形にしていかに私刑を使うことができるのか。私にはとても興味深い。しかも、もう一人の自分は、異性でなければいけない。それが両性を世の中にもたらせた『証拠』になるんだろうな。克典君には、最初から不思議な力が備わっているというのは感じていたからね」
新見博士は、心で呟きながら、克典の墓前に手を合わせていた。
その横でともみも悲しそうにしながら手を合わせている。その時はまだともみは自分の中に克典がいることを分かっていなかった。
さらにその周りで、弔問客の噂話も聞こえてきた。
「最近、ずっと人口が減少していると思っていたんですが、気のせいなんでしょうか?」
というような話に対して、
「また少し戻ってきたようですよ。でもそんなことよりも、人口が減っていた時、不思議なことに、生まれてくる子供が増えたわけではないんですよ」
「どういうことなんですか?」
「死ぬ人が増えてきたわけではないということですね。死亡届が増えているわけではないのに、人口が減少していた。子供は普通に生まれるのにですね」
「じゃあ、失踪している人が多いというわけですか・」
「いえいえ、失踪届けも増えているわけではないんですよ。つまり、人が忽然と消えてしまったというような現象ですね」
「そんな不思議なことがあるんですか?」
「実際にあるようですよ。伊藤君はそのことについて研究していたようなんです。それなのに、まさか轢き逃げに遭うなんてね。彼のような正直で易しい人間ばかりが、どうして早く死んでしまうんでしょうね」
と話していた。
それを聞いて新見は、
――それは理不尽な人間が、キレイサッパリとこの世から消えてしまうからさ――
と怪しい笑みを浮かべていたことに気がついた人は、一人もいなかった……。
( 完 )
2