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炬善(ごぜん)
炬善(ごぜん)
novelistID. 41661
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黄泉明りの落し子 三人の愚者【後編】

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 俺はなにやってるんだろうな。
 
 ヌーマスは、思った。
 残された最後の視覚が消えうせる恐怖の中。脳天をつんざく激痛の中。
 しかしながら、過去へとさかのぼる思考は冴え渡っていた。

 若かりし頃から、彼は裏社会で生きる殺し屋だった。
 両親の名も、姿も、覚えてはいない。
 捨てられたのだ。

 かつて奴隷として忌み嫌われた、「呪われたケモノの血」。
 奴隷制が廃止された今もなお、その偏見は根深い。
 その混血児たる自分には、まっとうな生き方など望むべくもなかった。

 15年前の依頼で失敗した自分は、片目を失った。
 命からがら逃げ出したが、悪臭漂う貧民街の裏路地で倒れ、生死をさ迷った。
 
 同じ貧民街に――同じ混血児の領域に住まうルダが、自分を救ってくれた。
 始めは血まみれの自分を見ておどろいたが、その裏路地に入り込むのは、同じ血を引くものだと察してくれたのであろう。
 彼女は手を差し伸べてくれた。

 彼女に医学の専門知識はなかったが、どうやら「ケモノの血」を引く自分達は、他の人間達よりも少なからず頑丈らしい。彼女の献身的な看護によって、半年後、自分は奇跡的な復活を遂げた。

 ルダ。
 すすこけているが、滑らかな小麦色の肌。
 白味がかった金髪が貧民街に差し込む夕日に照り映え、幼げな丸顔に大きな笑顔が浮かぶ。

 実の娘のように思っていた。忘れられるはずもなかった。 
 色あせた貧民街の日常の中で照り映える、光を。

 貧民街で育つ少女は、たいていは身売りに走らざるを得なくなるが、彼女は起用に立ち回った。彼女は物心ついた頃から、麻薬の密売に手を染めていた。
 そして、自分は、殺し屋であると共に彼女の用心棒だったというわけだ。
 彼女は稼ぎ、ヌーマスを癒す。
 自分も稼ぎ、ルダを守る。
 いい関係だった。

 だが結局、殺し屋を続けた自分は恨みを買い続けた。
 仕事を終え、あばら家に戻った時、かつてルダだった臓物が、床一面を汚していた。
 現場には、彼女の血や髪に入り混じり、彼女が主に扱っていた麻薬――葉巻が散乱していた。そして本来あるはずのない安物の洋酒。その酒瓶が置かれていた。

 依頼を重ね続ける中、犯人を、求め続けた。
 求めて、求めて、殺しまくった。
 彼女へもたらされた終焉への復讐を。
 犯人に、より陰鬱なる苦痛を――!

 生暖かい風が、満月の元に荒れ狂うあの日の夜。
 ヌーマスは、犯人を――残虐無比で知られ、酒狂いでも知られる処刑人を、追い詰めた。

 処刑人は筋骨隆々であり、歴戦であった。
 だがヌーマスは細身にも関わらず、より屈強であり、より多くの修羅場を重ねていた。

 何日も何日も追い回し、補給を経ち、孤立させ、疲弊させ、山の崖へと追い込んだ。

 距離を詰めた刹那、男は滝つぼへと自ら身を投げ出した。
 いちかばちかの賭けだったのかもしれない。あるいは疲弊と恐怖のあまり、まともな思考を失っていたのかもしれない。
 なににせよ、突き出た岩にその体が脳天から打ち付けられ、ぐにゃりと曲がり、赤く染まった大水に飲み込まれる瞬間を覗き込んだ。
 
 それで仕舞いだった。

 生きたまま、奴の四肢を引き裂き、木につるし、虫どもの餌にする。泣き喚いて命乞いする中を、嘲笑う。
 その願望は、二度と叶うことはなくなった。
 彼は虚無となった。

 彼は、殺しの世界から姿を消し、乞食となって、細々と生き続けた。
 そしてある日―ー同じ血を引く貧民たちから、例の噂を聞きつけた。

 「西の森の噂」を。
 そこに住まう、高額の賞金がかつてかけられたというケモノと、少女の噂。
 少女は自分たちと同じ、奴隷の血を引いているのだと。
 
 自分がこの森を訪れた理由は、自分でもあいまいだった。
 生きることに疲れていたこともあるだろう。
 その噂に――少女に、ルダの面影を見出したこともあるのだろう。

 だが、この森に足を運んだ途端、彼は心に澄み渡るものを覚えた。
 同族の血を引く、少女の気配を感じ取ったのだ。
 虚無だった心が満たされた訳ではなかった。
 それでも、虚無であった心に、瑞々しい光が宿った。
 ルダの埃っぽい髪を照らし出していた、あの日々の夕焼けのように。

 そして。

 やくざ者ニコール。
 生意気な若造。
 あの若造の鞄からこぼれ出ていた、皮肉にもルダのそれと同種の麻薬。
 飲んでいた酒は、あの処刑人が好んだそれと同一。

 もはや叶わぬ復讐であることは変わらないのに、不毛な殺戮であることに変わりはないのに、彼は自らに今一度復讐の炎を灯させた。

 だが、あの男は大方酒場の喧嘩で鳴らしたクチなのだろうが、堅気の側の人間であるというのはすぐにわかった。何故麻薬をもっていたのかなど、知るよしもないが。 

 ともあれ二つ、理解していた。
 彼に手を出したのは、単なる八つ当たりにすぎないのであったと。
 今こうして最後の眼を失ったことは、当然の報いだったと。

 そして、神父ルヴェン。
 野垂れ死のうとしかかっていたニコールを二度も助ける姿に、どこかルダの面影を見出すことになった男。

 二人の男の望みは聞いた。
 だが、彼らは明らかに、何かを隠していた。
 二人の男をもっと知ることは叶わなかった。
 最も、そこまでの興味もなかったのだが。



 ヌーマスは、突き刺さったナイフを引き抜いた。
 激痛。一瞬噴出した鮮血。

 彼は、笑い出した。
 嗚咽にも聞こえる声で。血の涙を流しながら。
「――ったくよォ……」

 両膝をつく彼は、いつしかそのままうなだれていた。
 伝う血が、膝を、地面を、仄かに赤黒く染めていく。

 彼の視界は、赤と黒の他なにも見えないはずだった。
 しかし、彼は確かに、感じていた。

 その光を。
 生命の熱気を。
 恐ろしきケモノの唸り声を。
 この世ならざる気を纏う、少女の気配を。

 ――あなたは何が欲しいの?


「ルダ――……?」
 声の方向へ、彼は振り向いた。
 そして、クックックと、再び笑い出した。

「なァんだよ、やっぱ人違いだったわけかよ……」