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ショートショート集 『一粒のショコラ』

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ー23ー バレンタイン


 女の子から告白してもいい日……
 いつから、世間の常識になったのだろう? おかげで、私はこれまで何度この日に振り回されたことか……
 
 中学生だったあの時はもらってもらうこともできず、高校生だったあの時は他の子に先を越された。
 そんな子どものうちはまだかわいいものだが、大人になってからはより重みが増してくる。受け取る側の負担も考えるし、こちら側としてもいい反応が得られなかった時はかなり痛い。その上、義理チョコなどという面倒極まりないものまで出現すると、もはや、憂うつなイベントになってしまった感さえある。
 しかし、最近はその義理チョコも姿を消し始めホッとしていたら、今度は友チョコだという。女同士では誰にあげるか? どんなものを選ぶか? さらに神経を使わなければならなくなった。そんな風潮が学生時代になくて良かったとつくづく思う。女子たちの複雑な交友関係に少なからず影響したであろうから。そう思うと職場のおじさんへの義理チョコの方が、はるかに楽だったに違いない。
 
 そんな中、今年もその日が近づいてきた。しかも、今回は初めて明確な本命チョコを渡したい相手がいた。女三十、勝負の時だ。しかし、今年は日並びでなんと日曜日! 同じ会社のあの人に自然な形で会うことはできない。
 そうなると、二日早い金曜か、一日遅れの月曜に渡すということになる。思い悩んだ金曜の朝、本命チョコを部屋のテーブルの上に置いたまま私は家を出た。そのため、土日はそれを眺めて過ごす羽目になってしまった。
 そして、とうとう訪れた月曜の朝、職場に向かう私のバッグに例のチョコは入っていなかった。きれいに包装された包みは、そのままテーブルの上でお留守番である。
 私はこの土日に考えた。女の方から告白して、はたしてその後どうなるのだろう? こちらが願うような関係になれるだろうか?
 気に入られ、追いかけられてこそが女ではないだろうか? 仮に少し悩んだ素振りを見せても、君しかいない、そう言われてこそ、幸せなのではないだろうか?
 求められて結ばれたい、そんな私にはバレンタインは無縁だと気づいた。
 
 とはいえ、会社に着いてしばらくはまだ多少のわだかまりがあった。本当に渡さなくてよかったのだろうか…… しかし、昼休みの頃にはもう、私の中でバレンタインは終わったことになっていた。
 そして、いつものように仕事を終え、帰宅しようとビルの出口まで来た時、本命の彼とばったり出会った。営業部でいつも遅くまで残っている彼と帰りが一緒になるなんて滅多にあることではなかった。そのままなんとなく言葉を交わしながら、ふたりきりで駅までの道のりを歩き始めた。
 私は何気に自分のバッグを見つめた。
(チョコを持ってくるべきだった……)
 昨日の決心などどこへやら、チョコを置いてきたことを心から後悔した。まさかこんな自然な形で、彼との時間を持てるとは思いもしなかった。一日遅れくらいなら、なんら問題なく渡せたではないか……
 その上なんと、駅に近づいた頃彼から食事に誘われた。そして、夢のような時間が始まった。きれいな夜景を眺めながらのディナー、目の前にはワインと本命の彼。こんな千載一遇のチャンスのためにあの包みがあったのではないか! それは今、誰もいない部屋のテーブルの上に…… ああ、このバッグの中にあったなら……
「ねえ、さっきからバッグが気になるみたいだけど、何か入っているの?」
 不意を突かれ、私は慌てて答えた。
「ううん、何でもない。」
「そっか――もしかしてチョコでも入っているのかと思って期待してたんだけどなあ」
「え?」
 私は驚きの気持ちを隠す余裕もなく、彼を見つめた。
「実は俺、昨日のバレンタインを待っていたんだ、男らしくないよな。男なら待っていないで、自分から告白しなくちゃな」
 まさかの展開に私は夢を見ているのではないかと思った。そしてそんな私は、次の瞬間、信じられない言葉を耳にした。
「結婚を前提に僕と付き合ってください」

 家に帰ってからも、私は夢心地だった。テーブルの上の本命チョコを見つめたまま小一時間がたっただろうか。これを使わずに彼の心を掴めたなんていまだに信じられない。まさかの強がりが功を奏すなんて。
 今年のバレンタインデーは、今までの苦々しい記憶を一掃し、大きなプレゼントまで運んできてくれた。私にとって、とても思い出深い一日になった。
 こうして、私はめでたく婚活を卒業した。