ショートショート集 『一粒のショコラ』
ー24ー エイプリルフールの記憶
幼い頃、父が私に言った。
「今日は、四月一日、エイプリルフールと言って、今日だけは嘘をついてもいいんだよ。ただし、かわいい嘘をね」
保育園児だった私は、親の迎えを待っていて、母親がなかなか来ないことにすっかり拗ねてしまっていた。
そして、とうとう残された園児がふたりだけになってしまった時にやって来たのは、もうひとりの男の子の両親だった。私はその父親の元へ走って行き、パパ! と抱きついた。その光景に母親と息子は唖然とたたずみ、父親は苦笑いを浮かべた。
先生が慌てて、
「待ちくたびれて間違っちゃったのよね?」
そう言って、私をその父親から引き離したが、その時、私は先生の耳元でこうささやいた。
「今日は、エイプリルフールだもんね」
小学生だった私は、担任の独身教師が、保健の若い女の先生を好きなことに気づいていた。その日の放課後、先生に尋ねた。
「先生、お見合いってなあに?」
「男の人と女の人は結婚するだろう? その相手を紹介してもらうことだよ」
「ふーん、そうなんだ」
「でも、どうしてそんなことを聞くんだい?」
「だってさっき、保健室でまりこ先生が今度お見合いをするって言ってたから」
担任教師の顔色が変わるのが、子どもだった私にもわかった。
「先生、今日はエイプリル――」
そう言いかけた私の言葉など聞かずに、先生は小走りで保健室へと行ってしまった。
(怒られる……嘘だというつもりだったのに……)
しょんぼりとランドセルを背負って歩く帰り道、後ろから先生の呼ぶ声がした。覚悟を決めて振り返ると、先生が息を切らして走ってきた。
「嘘はいけないな」
「ごめんなさい、でもそう言おうと思ったのに先生が――」
「エイプリルフールのつもりだったのだろう? 俺ったらすっかり動揺してしまって気づかなかったよ。これじゃ、生徒にからかわれても仕方ないな。でも、ありがとう。君のおかげで、先生に自分の気持ちを伝えられたよ」
「え?」
「とにかく、そういうことだ」
そう言って先生は学校へ戻っていった。
卒業してしばらくたって、先生たちが結婚したという噂を耳にした。
中学生だった私は、コンビニの前で先月までクラスが一緒だったある男子と、ばったり出会った。
「よ、もうすぐ新学期だな。また、いっしょのクラスになれるといいな」
「私はご免だわ」
「なんだよ、それ。お前がよくこのコンビニに来るって聞いたから、もしかしたら会えるかもと思って、わざわざ来たんだぜ」
「それは、どうも」
素っ気ない言葉を残し、私はその場を離れた。
私は彼が好きだった。でも、なぜか素直に気持ちを伝えられない。バレンタインデーにも用意しておいたチョコを渡すことができなかった。
そして、今日、絶好の機会をいかすどころか、私は嘘をついてしまった。また一緒のクラスになりたかったし、私に会うために来てくれたと聞いてとてもうれしかったのに……
今日がエイプリルフールだと、今頃あいつは気づいただろうか? 私の嘘だとわかってくれただろうか?
いや、待てよ……
もし、今日がエイプリルフールなのを知っていてあいつも嘘をついていたとしたら?
この問いに答えが出ないまま、私たちは卒業していった。思春期の微妙な感情に、嘘という複雑な要素が加わり、私の幼い恋は実らなかった。
大人になってからのエイプリルフールは、ほとんどがジョークだ。本当の嘘は、日常の中にいつも潜んでいるのだから。
作品名:ショートショート集 『一粒のショコラ』 作家名:鏡湖