自我納得の人生
中学に入った頃から、それまで似ていた二人だったが、弟の方は少し太りだし、兄は相変わらずスリムだった。成長期になっていくにしたがって、外見は明らかに変わっていったが、性格も次第に変わって行った。
兄は相変わらずののんびり屋だが、弟の誠の方は、気が短くなり、何にでも反発するようになっていた。
好奇心が強いのは弟の方で、何にでも興味を示すようになっていた。しかし、気が短いのが災いしてか、何事も長続きすることはなかった。
兄の方は、中学時代から始めたバスケットを高校卒業するまで続け、キャプテンも務めていた。それに比べて弟は、
「何事にも飽きっぽい性格」
と、まわりからも思われているようで、一貫したものはなく、友達もいるにはいたが、親友と呼べる人はいなかった。
兄に、親友と呼べる人がいたかどうかは定かではないが、弟に比べれば充実していたのは間違いないようだ。それでも、時々、
――俺は孤独なんだ――
という思いに駆られ、いつも何かに怯えているような性格になっていた。やはりどこか子供の頃の、怖がりな性格が今も残っているからに違いない。
誠の場合はというと、
「あの子は、いつまで経っても落ち着きがない」
と言われるほど、ちょこまかとしたところがあり、昔で言えば、
――ワンパう坊主――
という言葉がピッタリではないだろうか。
だが、そんな中でも誠本人は自分のことを、
――やっぱり俺は怖がりなんだ――
と感じていた。
飽きっぽくて、落ち着きがないのも、元々の怖がりな性格が影響しているのかも知れない。一つのことに集中することを、どこか怖がっている。それは兄のように一つのことに熱中していて、充実した毎日を送っているのに、どこか寂しそうな孤独感を感じてしまうからではないだろうか。
それは兄弟だから分かることであって、兄の孤独がどこからくるのか分からないが、絶えず不安な気持ちになっているということは見ていて分かる。自分の中にある不安と同じものを感じるからだ。
誠は、その思いを表に出すようなことはない。その代わり、まわりに対して虚勢を張っているかのようだった。時々、ピエロのような道化を演じることがあったが、それは自分の意志というよりも、本能的に態度に示しているところが大きい。意識はしているが、無意識に近い行動で、それこそ、
――自分の性格が滲み出ている――
と思うところであった。
誠が兄の背中ばかりを追いかけていたのは、いつ頃までのことだったのだろう? 誠自身はあまり意識はないが、追いかけられていた兄の方がハッキリと覚えている。
――あれは、五年生の途中くらいまでだっただろうな――
五年生の途中というのは、兄のことで、誠にとっては四年生の途中ということになる。
それまでずっと後ろにくっつかれて、鬱陶しいと思い始めた頃だったので、その時は、
――ちょうどよかった――
と思ったのだが、それもあまり長く続かなかった。
半年もしないうちに、今度は、
――背中が寒い――
と思うようになった。
最初はそれまで重たく感じていた弟がいなくなったことで、急に身体が軽くなったようで、自由に動ける喜びがあった。身体の重たさは、まるで弟をおんぶしているような感覚で、肩も凝れば、腰も痛い。それが一気に消えたのだから、まるで宇宙空間にいるような感覚だった。
――自由はいいな――
と思ったが、あまりにも身体が軽すぎると、今度は身体のどこに力を入れていいのか分からなくなる。そんなことを考えていると、あまりにも自由なことが却って身体のバランスを崩すことに気が付いた。
――地に足を付けた生き方がいいんだ――
と思うようになったのはそれからだった。
中学に入って急に身長が伸びたこと、誘いがあったバスケット部に入部し、一生懸命に練習したことで、メキメキ頭角を現し、やればやるほどいい結果が生まれるのだから、やめられなくなるのも当然というものだ。
――これほど楽しいことってないよな――
それが、元々の兄の性格だったのかも知れない。あまり焦っていろいろ飛びつくことはなく、ゆっくりと結論を導くことを自分の性格だと自覚し始めた。性格がその考えにそれほど差異がないことで、兄の性格と生き方が、早くも確立されたと言っても過言ではないだろう。
誠の場合は、どうしてもフラフラした性格であった。
何事にも興味を示しやってみるのだが、飽きてしまう。
――僕は兄さんとは違うんだ――
兄に対してのコンプレックスが生まれたのもしょうがないことであったが、兄が弟のコンプレックスを感じていないことが癪だった。何とか分からせようと、意地悪のようなことをしてみたが、馬耳東風とはこのことで、まったく怒ったり苛立ったりすることはなかったのだ。
そんな兄を見ていると、次第に兄に意地悪をしている自分が嫌になってくる。嫌になってはくるのだが、途中で止めてしまう方が、どうにも自分の中で煮え切らないような気がしてくるのだ。
怒らせたり苛立たせようと思っている相手は平然としていて、怒ったり苛立ったりしているのは自分の方だった。この憤りをどこにぶつけていいか分からず、さらに自分を責めたててしまっているのだ。
――堂々巡りを繰り返している――
こんな気持ちは自分の中だけに抑えておくわけにはいかない。飽きっぽい性格に見えるのは、持って生まれたものというよりも、この時の気持ちがそのまま自分の性格の中に根を下ろしてしまったのだろう。
誠は、兄を見ていて、何を考えているのか、さっぱり分からなくなっていた。今の兄の性格を、自分が離れたことで形成されたものであることなど知る由もない。ただ、兄の性格は誠の性格と違い、持って生まれた性格であるという要素が強いような気がする。そのことは兄には、本能的に分かっていたようだ。
もちろん、弟が自分から離れたことで軽くなった身体から影響していることも分かっている。どちらかというと、自分を冷静に分析できる性格なのだ。
そんな兄を誠は羨ましく思っていた。兄の中に不安が宿っているなどということが分かっていないので、羨ましく感じるのだ。
兄は不安に思っている性格を、弟は羨ましく思う。では、兄は弟の性格をどう思っているのだろう?
兄もやはり弟の性格が羨ましく見えていた。
実は自分のことであればある程度は分かっている兄だったが、人の性格に関しては結構疎いところがあった。そのことを兄は自覚していて、密かに苛立ちを感じているなど、誰も知る由はなかった。
兄としては、弟が誰よりも品行方正に見えたのだ。まわりに対して社交的で、自分のように内に籠っていないと感じていたのだ。
まわりは決して兄のことを、内に籠っているなどと思っているわけではない。そのあたりの感覚が次第に大きくなっていき、
――被害妄想な性格――
として、兄の中で形成されていくのだった。
中学時代の兄を羨ましく思っていたのは、結構兄が女性に人気があったことも大きく影響していた。どんどん太り出した誠に比べ、スラッと背が高く、バスケットでも活躍している兄を見ていると、
――男は外見なんだ――
と思うようになっていた。