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オオサカタロウ
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novelistID. 20912
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knuckleheads

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 伯父さんに引き取られてからの数ヶ月は、何も実感が湧かなかったし、ご飯の味も何も覚えていない。後から思い起こせば、一日何を過ごしていたかの記憶も曖昧だ。ただ、伯父さんが朝出て行くときと家に帰ってくるときで別人のようにやつれていたのは、よく覚えている。外の世界は大変なところなんだという、説得力があった。弟だったおれの親父のことは、ほとんど話さなかった。ただ、おれがたまにテストでいい点を取って帰ってくると、親父も頭が良かったと言って褒めてくれた。そんな伯父さんが最後におれに預けた言葉は、『金にがめつい人間にはなるな』
 そんな感じで、おれはいろんな人間の最後の言葉を預かっている。今後会うことはない、色んな人間の記憶。覚えていれば、何かあるだろうか。教訓めいた言葉なら、どこかでおれのことを救うかも。もしくは逆に、足元を掬うか。
 白河家は、サンボの口ぶり通りの豪邸という感じでもなく、たしかに立派な一戸建てだが、裏が山になっていて、土砂をせき止める壁のように、塀が建てられていた。その裏側に回るのは簡単だし、斜面を使えば塀を乗り越えることもできる。須美ちゃんが言った。
「金庫とかほっといて、住んでみたいわ。ガトリンも絶対気に入る」
 ガトリンは、須美ちゃんが飼っているレトリバーの名前。名付け親は読書家の和泉くん。変な名前だが、呼ぶとちゃんと返事をする。和泉くんが助手席のドアを開けた。
「ちょっと裏山上がれるか見てくるわ」
 須美ちゃんも後に続き、おれはセドリックの運転席に座ったまま、めぐみの携帯電話を鳴らした。出るなり、めぐみは涙声で言った。
「期末あんのに、何してんねんって言われた」
「テストか? 勉強せえって?」
「うん。夜にどこほっつき歩いとんじゃって」
「中間は勉強したん?」
「してへん」
 おれが笑うと、めぐみも笑った。おれは言った。
「ほな、期末だけ頑張ってもあかんやんけ」
「このままやったらあかんって、めっちゃ怒られた。努力せえって」
「どないしたいねん。勉強すんの?」
「せえへん」
 眠気がずっと頭にこびりついて離れない。おまけに新しい仕事の話。年に一回でかいヤマを踏むプロのチーム。手始めに、今目の前に見えている家を、雨の日の夜に襲う。もし住人を起こしてしまったら……、殺せ? この面子で? 遠目に見える須美ちゃんと和泉くんは、裏山を登るのに二人がかりで砂まみれになっている。
「……あほちゃうか」
 思わず声に出て、おれは我に返った。
「なんでそんなこと言うん」
 めぐみは自分のことだと思ったらしく、呟くように言った。実際、半分はめぐみに向けてもいい言葉だったが、おれは首を横に振った。
「いや、こっちの話。てか、どうするんな。勉強せな怒られるからそれは嫌やし、でも勉強はせえへんのやろ」
「努力やったら、する」
「なんじゃそら。その努力が勉強なんちゃうんかい」
「努力する場所がないもん」
 須美ちゃんと和泉くんが、少し茶色ぽくなって車に戻ってくるのが見えて、おれは言った。
「用事あるから、ぼちぼち切るで」
「待ってよ、勉強教えてくれへんの?」
 いつそんなことを言ったか、全く身に覚えがなかった。おれは言った。
「おれが? できると思うか?」
 須美ちゃんが後部座席のドアを開けて、おれは返事を待たずに電話を切った。和泉くんが助手席に乗り込み、爪に砂の詰まった指で丸を作った。
「なにがオッケーや、めっちゃ汚れとるやん」
 おれが言うと、和泉くんは自分に呆れたように笑った。
「めっちゃ滑るで。サンブラの砂みたいや」
 おれはセドリックで事務所に戻りながら考えた。今までに計画なんて立てたことがない。家でじっくりとやらなければならないし、サンボを失望させるわけにはいかない。
 サンボは、須美ちゃんと和泉くんの姿を見てひとしきり笑ったあと、写真や間取りの紙を入れた封筒をおれに手渡した。
「ええ機会やから、よう揉んどけ」
 カローラGTの運転席に座って、車載時計を見る。朝の十時。ついに二十四時間が経った。そして、めぐみを放ったらかしにしていたことを思い出した。電話を鳴らすと、さっきの続きをずっと待っていたように、めぐみは電話に出た。おれは先に言った。
「どこいてんの」
「噴水広場」
「本屋行っといて。ウサギの看板のとこ。おれも行くから」
「うん、分かった」
 声が少し元気を取り戻したようで、おれは胸のつかえが取れたように感じた。

 本屋の入口で所在なさげに立っているめぐみに、おれは声を掛けた。
「中入ったらええのに」
「あんま長いことおったら、しばかれそう」
「本屋がそんなことするかいな」
 おれは狭苦しい店内をくぐり抜けて、味気のない表紙が並ぶ棚にめぐみを案内した。嫌いな食べ物を見たように、めぐみは顔をしかめた。
「ドリル? ちょっと、ほんまイヤなんですけど」
「お前が努力するゆうたんやんけ。親、買ってきよるやろ」
「ううん。苦手なやつを選べって言われたことはあるけど……」
「買うたるから、選べよ」
「わたしの思ってた努力とちゃう。もう、ほんまイヤや」
 めぐみはしかめ面のまましばらく棚を眺めていたが、どことなく真剣な目つきで何冊かを手に取った。
「これ、居残りしてもできんかってん」
 独り言のように言いながら、数冊を手にしためぐみは、自分に納得したようにうなずいた。
「それで全部か?」
 おれが問題集を手に取ろうとすると、めぐみは胸の前に抱えたまま首を横に振った。
「自分で持ってく」
 おれは肩をすくめて、レジまでの短い通路を歩いた。めぐみが問題集をレジに差し出したとき、一冊漫画が挟まっていることに気づいて、おれは言った。
「殊勝なふりして漫画仕込んどるやん。どういうことやねん」
 めぐみが肩をすくめるのを見ていると、レジの前で立ち往生しているのもバカらしくなって、おれは結局漫画も買った。
「息抜きにいるかな思って」
「まず努力してから言わんかいな」
 車に戻り、筒元家を目指していると、めぐみは言った。
「まだお客さんおるから、今帰ったら怒られる」
 おれは返事する気力もなくうなずいて、自分のアパートの方へ向けて車を走らせた。築十五年と聞いているが、百五十年でもおかしくないぐらいのボロアパート。人を呼ぶのは、住みだしてすぐに筒元と須美ちゃんが引っ越し祝いに来てくれたとき以来だ。めぐみは部屋に上がるなり、笑った。
「めっちゃ散らかっとる」
「そのテーブルの向こう側が、お前の陣地な」
「きっしょ、なんで分けるん?」
「仕事あるから」
 おれはサンボから受け取った封筒を開けて、ノートパソコンの電源を入れた。地図を見ながら考える。裏山はサンブラ並みに細かい砂。足跡はくっきりと残る。対策するとしたら、型が残らないように地下足袋を何枚か重ねて履くとか。金庫は玄関から出すしかないから、台車に乗せる。一階にあるから、階段のことは考えなくてもいい。須美ちゃんと和泉くんが玄関から出たら、おれが待ってる。部屋の窓側は、ベッドと逆の位置にあるから、窓から部屋に入った瞬間ベッドの上ってことはない。殺さずに済む。おれが思わず笑うと、めぐみが伸びをした。
「もう息抜きかいな」
「ううん、ちゃうし」
作品名:knuckleheads 作家名:オオサカタロウ