⑥全能神ゼウスの神
全能神リカ
「めい。」
時空の部屋で、各地から集まった魔導師達に取り囲まれる中、リカが静かに私を見下した。
「私は、ゼウスだ。」
淡々とした口調が懐かしい。
「はい。」
私は頷きながら、その大きな手を握った。
「…私は、今から感情を殺し、人形になる。」
そう言うリカと、再会した時のリカが重なった。
『もう、ゼウスには戻りたくねー。』
(…私が、リカをゼウスに戻してしまった…。)
神がいつまで生きるのか、私は知らない。
リカが神になってどれくらいの時を過ごしたのかも、知らない。
けれど、今までも、そして今からも、想像できないほど悠久の時をリカは全能神として生きなければいけないのだろう。
自我を殺し、日々負のオーラをその身に受け浄化していく『全能神』として…。
もう、リカは『リカ』として生きることを許されない。
(リカから全ての権利や自由を奪ってしまった…。)
(ごめんなさい、リカ。)
私が思わず俯くと、リカは私の顎に手を添え上向かせる。
「そうじゃねーよ。おまえが背中を押してくれたんだ。」
リカは、私の頭を大きな手で優しく撫でた。
「私は、甘えてた。」
言いながら、涙が滲んだ目尻にそっと口づけを落としてくれる。
「魔導師になってもゼウスの時の力が残ってることに気づいてたのに、現実から目を背けてた。」
リカは私の頭をゆっくりと撫でながら、穏やかに言葉を紡いだ。
「私はゼウスに選ばれているのに、その責任からも目を背けてた。しかも、ヘラを救うにはゼウスの力が必要なことがわかってたのに、自由が許される魔導師を捨てられなかった。」
「それは、当然だよ!」
思わず声をあげると、皆が私に注目する。
「…だって、ゼウスは喜怒哀楽を一切持てないんだもん。」
私の言葉に、魔導師達がざわついた。
「ちょっと笑っただけですべての星の季節が春になるし、怒っただけで星が爆発してしまう…だから、四六時中、無表情・無感情でいないといけないゼウスに戻りたいなんて、誰も思わない!」
「…ゼウスって、そんな仕事だったのか…。」
「いや…それはしんどいな…。」
魔導師達は口々にそう言いながら、リカを見る。
初めてゼウスの過酷な役割と彼の苦悩を知った魔導師たちの同情的な視線が、リカの金色の瞳と絡み合った。
リカは苦笑を浮かべると、皆をぐるりと見回す。
「私の甘えで、皆にも、宇宙にも、迷惑をかけて申し訳ない。」
そして深く頭を下げるリカに、魔導師達は複雑な表情を浮かべた。
「もう、私は逃げない。ヘラも宇宙も、救ってみせる。」
力強く宣言すると、リカは最後の笑顔を浮かべた。
(これが、リカの笑顔の見納め。)
御祓の泉に入ることができなくなった私は、リカの感情に触れることは、今後ない。
ゼウスに戻ったリカは、負のオーラへの不必要な暴露を防ぐため、神殿に居ないといけない。
(魔道界に居ることができれば、この笑顔もまた見れるのに…。)
思わず涙ぐむ私を、リカがぎゅっと抱きしめてくれる。
「泣いてる暇ねーよ。しっかり焼き付けな。」
言いながら悪戯な笑顔を浮かべて、リカは私を覗き込んだ。
私は、言われた通りその笑顔を脳裏に焼き付ける。
「満足?」
(どれだけ見ても満足なんて、しない。)
私の心の声に、リカが困ったように喉の奥で笑いながら頭を撫でてくれた。
けれど、その時なにかに反応したようにピクリと体をふるわせる。
リカは私の手をぎゅっと握りながら、遠くを見つめた。
「あちらの準備が整ったようだ。神の国と、繋ぐ。」
瞬時に無機質な表情になったリカの言葉に魔導師達の空気が一気に緊張する。
神の国と繋がることなんて、いまだかつてなかった魔導師達。
初めての経験に、期待と不安が入り交じった表情を皆一様に浮かべていた。
リカが杖を一回、片手で大きくふるうとブオンッと地に響く音がする。
一気に暗転した時空の部屋は次の瞬間、プロビデンスの間に変わった。
リカの前に金色の星が浮かび、天使と悪魔が室内に現れる。
そして、天使達の前には大きな白い羽根と眩しく輝くリングを頭上に掲げた陽、悪魔達の前には大きな漆黒の羽根に闇に光る赤い瞳のイヴが立っていた。
初めて見るお互いに、魔導師達と神達は観察するように見つめ合う。
「ここが『プロビデンスの間』。」
リカが無機質な声色で紹介すると、魔導師達がどよめいた。
「皆、久しぶり。」
リカは魔導師達に背を向けると、天使と悪魔達をぐるりと見回す。
「ゼウス様!」
天使と悪魔達が満面の笑顔で駆け寄ってきた。
微笑み返すことができないリカは蝋人形のように無表情だけれど、頬が少しほころんだように見える。
「陽。」
久しぶりの再会に盛り上がる天使や悪魔達の向こうに佇む陽に、リカは声を掛けた。
(ゼウスから堕ちてしまった陽は、荒れてるだろうな…。)
陽の不機嫌を想像して、私は体がすくんでしまうけれど、リカはそんな私の手を引いて陽へ近づいて行く。
「やっぱミカエルはおまえじゃなきゃダメだな。」
淡々としているけれど温かみの感じられる声色に、陽がサファイアの瞳を細めた。
「…。」
無言でリカを見つめる陽に、全身から汗がふきだす。
ゼウスに留まることができなかった陽が、ゼウスに返り咲いただけでなく魔導師長としても君臨しているリカと再会して、どういう行動に出るかわからず、恐ろしかった。
けれど、そんな私の緊張を一蹴するかのように陽がふっと表情を和らげる。
「おかえりなさい。『リカさん』。」
(!)
驚く私をちらりと見た陽は、更に花が開くように優しく華やかに微笑んだ。
「正直、ホッとしました。」
陽の言葉に、リカも淡々としながらも和らかな口調で応える。
「想像以上だったろ?」
陽は『ははっ』と笑いながら、頷いた。
「やはり、あなたにしかできない。」
褒め言葉なんだけれど、複雑な気持ちになった私は思わず俯く。
すると、リカが繋いだ手をぐいっと持ち上げ、私の手の甲に口づけた。
無言で口づけたまま、リカが金色の瞳で私をジッと見つめる。
言葉はないけれど、私の心にリカの想いが流れ込んでくるようだ。
それは、きっと前向きな思いと愛情だと思う。
私は大きく深呼吸すると力強く頷き返し、笑顔を返した。
「現状は、こちらも理解してます。」
近づいてきたイヴが、リカに赤い瞳を向ける。
「俺たち神は、ゼウス様に従います。」
深々と頭を下げるイヴに続いて、陽も頭を下げ、後ろに控える天使や悪魔達は跪いた。
すると、魔導師達も胸に拳を当て、一斉に身を二つに折る。
「魔導師長、ご指示を。」
2つの世界が繋がった広い室内にひしめく、それぞれの世界の有力者達。
それらが一斉にリカに礼を尽くす様に、私は圧倒された。
リカは彼らをぐるりと見回すと、杖でトンっと床を突く。
すると、床にヘラ様が映った。
「今、この時空の間(はざま)に閉じ込めてる。」
リカの言葉に、皆が床を覗き込む。
「でも封印してるわけじゃない。」
リカはその場に膝をつくと、映るヘラ様をそっと撫でた。