月夜に恋ひとつ
そして僕はママと帰っていった。その途中でこんな会話をした。
「昨日ね、実は…」
「望くんと一緒に月と会おうとしていたのね?」
ママにはバレていた。
「うん…」
「それで会えたの?」
「ううん。昨日はだめだった。」
「そう…」
そんな会話をしているうちに家へ着いた。
家へ着くと僕は手を洗いうがいをした。そして部屋へ戻り「月夜に恋ひとつ」を読み始めた。
「絵本の中のあの子に…」
僕はこうしていつも声に出して読んでいた。そして今日こそは三日月に会えると思っていた。それから夕飯を食べ、部屋で夜が更けるのを待っていた。
夜も更けてきて、僕の家の部屋の灯りは僕の部屋以外は消えていた。そしてまたそっとパパの部屋からギターを持ち出してきた。それから時計の電池を外してベランダへ出た。するとその日はまた不思議なことに僕を呼ぶ声が聞こえたのだった。
「奈音くん。」
気付くと僕は空の上にいた。また少しふっくらとした三日月の隣にいたのだ。
「こんばんは。」
三日月は僕に話しかけてきた。
「こんばんは。」
僕も同じ台詞を返した。
「昨日はごめんなさい…」
「望くんがいたから?」
「うん、そうなの…」
「どうしてだめなの?」
「ふたりだけの秘密が欲しいの。」
「僕とお月様の?」
「そう…」
「そっか。」
僕は嬉しさ半分、寂しさ半分だった。なぜなら嘘つき扱いされそうで怖かったのだ。
「そうだ、奈音くん。」
「なぁに?」
「ギター聴かせて。」
「うん。少しは弾けるようになったよ。」
ジョロリーン。僕はEのコードを弾いて聴かせた。
「本当だ!少し弾けるようになったのね。」
「うん。パパに教わったから。」
「他には?」
ジョロリーン。今度はAのコードを弾いて聴かせた。
「上手になったね。」
三日月はこう言ってくれた。
「でもまだまだだよ。」
「どうして?」
「パパはいっぱい練習したんだって。」
「大変そう…」
僕はギターを肩にかけて、左手を三日月に差し出した。すると三日月は右手を差し出し、僕と手を繋いでくれた。不思議な温もりは確かにそこにあった。温かい訳でもなく、冷たい訳でもない、とても不思議な温もりだった。
「こうやって空から見る景色はいいね。」
「私も好きだよ、この景色。」
「でも下から見る景色も好きだよ。」
「でも…」
「でも?」
「私は行けない…」
「そっか。お月様だもんね。」
「そう…」
「寂しい?」
「うん、少しね。」
「少しだけ?」
「うん。奈音くんが遊びに来てくれるから。」
「それならまた遊びに来るよ。」
「いいの?」
「もちろん。僕もお月様が大好きだから。」
不思議と僕は三日月に恋をしていたのだ。
「ただ…」
「ただ?」
「会えない日もあるの…」
「わかってるよ。天気の悪い日でしょ?」
「それもあるし…」
「他にもあるの?」
「うん…」
「どんな時?」
「半月の時…」
「あ、絵本にないから…?」
「そう…」
「そっか。どうしても?」
「ごめんなさい…」
「いいよ。謝らないで。」
「ありがとう。」
そうこう話しているうちに辺りはすっかり明るくなり始めていた。
「また…ね。」
お月様 前よりも少しふっくらしたね
お月様 もう僕には折れないぐらいふっくらしたね
お月様 会えてすごく嬉しかったよ
お月様 会えてすごく楽しかったよ
お月様 大好きだよ
そして翌朝、いつもと同じように幼稚園へ行った。すると幼稚園では僕が三日月と話していることを望くんが言いふらしていたのだ。
「あ、奈音くんだ。」
「わぁ、変な人だ。」
「みんな気を付けろよ!」
「逃げろ!」
こんな声ばかりが耳に入った。望くんを空へ連れて行ってあげられなかった僕が悪いと思った。それから僕は幼稚園のみんなから変な目で見られるようになってしまった。
「奈音くんの嘘つき!」
「奈音くんとは遊ばない方がいいよ。」
「そうだよ。嘘つきだもんね。」
「嘘つき、奈音!」
一日中そんな声ばかり聞こえてきた。僕は悲しかった。それでも三日月と会いたいという思いは強かった。その日、僕はずっと絵本を読んでいたが、みんなの意地悪な声のせいで集中して読めなかった。
そして夕方になり、ママが迎えに来た。
「奈音。」
「ママ!」
「あの…すみません。少し時間ありますか?」
先生がママにこう言った。
「はい。大丈夫ですよ。何かありましたか?」
「ええ。実は…」
「はい。」
「以前、お聞きしましたが、奈音くんが三日月と話しているということでして…」
「はい。それは奈音からも聞いています。」
「恐らく夢だと思うのですが…」
「私もそう思ってます。でも本人はいたって夢ではないと。」
「そのせいで今日は奈音くんを中傷するようなことが起きて…」
「そうでしたか…奈音にも注意しておきます。」
「はい。こちらもいじめに発展しないように気を付けておきますので。」
「よろしくお願いします。」
そう言うと僕はママに連れられて帰っていった。
家へ着くとママは僕にこう言った。
「もう幼稚園で月の話をするのはやめなさい。」
「どうして?」
「みんなにいじめられちゃうからよ。」
「どうして?僕は本当のことを話してるんだよ。」
「それでもみんなにはわからないことなの。」
「…」
「ママが信じてあげるから…ね。」
「わかったよ。」
僕はがっかりした。本当の話を信じてもらえなかったからだ。信じていると言ったママもきっと僕がいじめられないようにと気を遣って言ってくれたことだと思っていた。それから部屋へ行き、絵本を読んだ。
「絵本の中のあの子に…」
僕はまた声を出して読んだ。そして絵本を読み終えた頃、ママが僕とお姉ちゃんを呼ぶ声が聞こえた。
「純子、奈音、ごはん出来たよ。」
「はーい。」
僕とお姉ちゃんは一階へ降りていった。
「いただきます。」
「いただきます。」
この日、僕はショックが大きくて食事が喉を通らなかった。
「ごちそうさま。」
「奈音、全然食べてないじゃない。」
「うん…」
「美味しくなかった?」
「…」
「おなかいっぱいなの?」
「うん。もうおなかいっぱいなんだ。」
「そう…」
ママは心配した様子だった。それから僕は部屋へ戻りまた絵本を読んだ。
「絵本の中のあの子に…」
するとパパが帰って来た声が聞こえた。
「ただいま。」
「おかえりなさい。あとで話があるの。」
ママはこう言っていた。
「じゃあ、ごはんを食べながら聞こうかな。」
そう言うとパパはごはんを食べながらママとこう話していた。
「話って?」
「ほら、奈音が月と話してる…」
「あぁ、夢の話か…」
「そうよ。それで幼稚園でいじめられたみたいなの。」
「そうか…」
「奈音に何か言ってあげて欲しいの。」
「わかったよ。」
そうするとパパが僕の部屋へ来た。
「奈音、入るぞ。」
「うん。」
「幼稚園で月の話をするのはやめなさい。」
「うん。ママにも言われたからわかってるよ。」
「いじめられたんだって?」
「ううん。そこまで酷くないよ。」
「じゃあ、なんて?」
「変な人だとか言われたぐらい。」
「今はそれだけかもしれないけど、やめないと本当にいじめられちゃうぞ。」
「うん。気を付ける。」