月夜に恋ひとつ
「うん。だってこの絵本が大好きなんだもん。」
飽きるほど読んだのに、僕はこの絵本だけは特別な気がした。だから飽きることなく何度も何度も読んでいたのだ。そして僕は部屋に戻った。
「絵本の中のあの子に…」
僕は声を出しながら読んでいた。
「あ!」
僕は時計を止めることを忘れていたことに気付いた。あわてた僕はお姉ちゃんの部屋へ行き、そのことを話した。
「お姉ちゃん!入るよ!」
「うん。」
そう言うと僕はお姉ちゃんの部屋へ入った。
「昨日、空へ行けなかったのは、時計を止めてなかったからだよ。」
「本当に?」
「うん。」
「時計を止めたら行けるのね?」
「うん!」
「ふーん。」
お姉ちゃんは信じていなかった。
「今日こそきっと行けるから、お姉ちゃんも行かない?」
「私はもういいよ。」
「一緒に行こうよ。」
「ひとりで行きなよ。」
「わかった…」
決して夢ではないと思った僕は悔しかった。お姉ちゃんにも空からの景色を見せてあげたかったのだ。
そして夜も更けてきた頃、僕はまたパパが寝たか確認をしに行った。パパの部屋は電気が消えていて、どうやら眠っていたようだった。僕はまたパパに気付かれないようにギターをそっと持ち出し部屋へ戻った。そして忘れないうちに時計の電池を外した。それからギターを持ってベランダへ出た。
すると心地良い風が吹き始めた。少し肌寒いぐらいの風だったが、それよりも三日月に会えることが嬉しくてたまらなかった。そして気付くと三日月は青色になっていた。いや、僕が気付かなかっただけかもしれない。
「奈音くん…」
僕を呼ぶ声が聞こえた。
「お月様?」
その日の三日月はこの前より少しふっくらとしていた。満月に近付いているのだなと僕は思った。
「こっちへおいで…」
「うん!」
そう言うと不思議なことにまた僕は空の上にいた。やっぱり時計を止めていなかったのが原因だったのだと思った。
「ねぇ、お月様。」
「どうしたの?」
「僕がお月様のことを話すと、みんな嘘だって言うんだ。」
「そうね…」
「どうして?」
「私にもわからないわ。ふふふ。」
「そっか。僕は特別なの?」
「それもわからないわ。」
「他にここに来た人はいるの?」
「奈音くんだけよ。」
「やっぱり特別なんだね!」
「ただね…」
「なぁに?」
「信じない人はここへは来れないのよ。」
「そうなんだ。」
「そう…」
僕は特別な存在であることが嬉しかった。その反面、他の人を連れて来れないということが少しばかり寂しかった。
「僕、ギター弾くね。」
「練習したの?」
「ううん。」
「そう。」
「これね、パパのギターなんだ。」
「素敵なギターね。」
「パパはすごく上手なんだけどね。」
僕はパパの見よう見真似で弾いたが、やっぱり上手く弾くことが出来なかった。それでも少しふっくらした三日月は楽しそうだった。僕はいつかパパにギターを教わろうと思った。
「奈音くん、一生懸命だね。」
「うん。いつかさ、上手くなって聴かせてあげるからね。」
「ありがとう。楽しみにしてる。」
そして僕はギターを弾くのをやめると、左手を三日月に差し出した。すると三日月は僕の左手を握った。
「また手を繋いでくれるんだね。」
「うん。」
「ねぇ、僕のこと好き?」
「うん。好きよ。すごくね。」
「どうして?」
「奈音くんが私のところへ来てくれるから…」
「じゃあ、また来てもいい?」
「もちろん、いいよ。」
「わーい!」
僕はすごく嬉しかった。
「ねぇ、お月様。」
「なぁに?」
「今日も星ひとつないね。」
「そうね。」
「何でかな…」
「何でだろう…」
三日月も不思議そうな様子だった。
「そういうば今朝、カーテンを開けたのは私なの。」
「え?」
僕は驚いた。
「ちょっと悪戯しちゃった。ふふふ。」
「てっきりママが開けたのかと思ったよ。」
「それ、私…」
僕は三日月の言うことに嘘はないと思っていた。それだけ夢中になっていたのだ。そうこう話しているうちに空は少し明るくなり始めた。すると三日月はこう言った。
「私、そろそろ帰らないと。」
「そうだね。お日様が出てきちゃうからね。」
「うん。」
「また…ね。」
お月様 少しばかりふっくらしたね
お月様 僕には折れそうにないぐらいふっくらしたね
お月様 会えてすごく嬉しかったよ
お月様 会えてすごく楽しかったよ
お月様 大好きだよ
そして翌朝、僕はまたいつもと同じ時間に目が覚めた。今日も幼稚園は休みなのにも関わらず。そして何より夜更かしをしたのに、眠気が一切なかったのだ。そしてカーテンを開けて、一階へ朝ごはんを食べにいった。
「おはよう。」
「おはよう。」
この日もパパとママはもう起きていた。そして僕はこう言った。
「ねぇ、昨夜も空に行ったんだ。」
「おいおい、寝ぼけてるんじゃないか?」
「そうみたいね。」
「本当だもん!」
僕は信じてもらえないことが悔しかった。
「あ、そうだパパ…」
「なんだ?」
「ギターを教えて欲しいんだ。」
「お、いいよ。」
そう言うとパパはギターを持ってきてくれた。
「まずはコードからだな…」
「…」
僕にはコードとは何かわからなかった。
「それじゃあ、まずここを中指で…」
「こう?」
「そうそう。そしたらここを薬指で…」
「こう?」
「そうそう。今度はここを人差し指で…」
「これでいいの?」
「一回弾いてごらん。」
ジョロリーン。音はちゃんと鳴らなかった。
「難しいよ、パパ。」
「あはは。初めはそんなもんだよ。」
「もう一回…と。」
ジョロリーン。さっきよりはしっかりと音が鳴った気がした。
「お、さっきよりは上手く押さえられてるな。」
「うん。」
「その調子、その調子!」
「これはなんていうコードなの?」
「これはEっていうコードだよ。」
「Eかぁ。」
「ミとソのシャープとシの音だよ。」
「ふーん。もう一回!」
ジョロリーン。下手くそだけど、少しは音が鳴ったのがわかった。
「お、なかなか上手いじゃないか。」
「少し手が疲れたよ。」
「初めは仕方ないよ。」
「そっか…でも僕頑張る。」
「急にどうした?」
「何でもないよ。」
「そうか。」
僕は三日月に聴かせるなんてとても言えなかった。
「パパ、他のコードも教えて。」
「それじゃあここを人差し指で…」
「こう?」
「そうそう。それでここを中指で…」
「こう?」
「そうそう。あとここを薬指で…」
「これでいいの?」
僕は教わったコードを弾いてみた。ジョロリーン。上手く音は鳴らなかった。
「あはは。初めだからそんなもんだよ。」
「もう!これでも頑張ってるんだから。」
「ごめん、ごめん。」
ジョロリーン。また僕は弾いた。
「お、さっきよりは上手だなぁ。」
「これはなんていうコード?」
「それはAっていうコードで、ラとドのシャープとミの音だよ。」
「ちょっとパパが弾いてみて。」
「よし!」
そう言うとパパはEとAのコードを弾いて聴かせてくれた。
「やっぱりパパのが上手だね。」
「それはそうだよ。パパは何年もやってるからな。」
「すぐにはパパみたいには弾けないよね?」
「もちろんだよ。そんなにすぐに弾けるなら苦労は要らないからな。」