短編集25(過去作品)
「ミステリーって、トリックに目を奪われがちなんだけど、トリックは結局機械トリックでしかないんだよね。しかもその中にはいくつかの法則に分類されると思うんだよ」
「アリバイや、密室、時間差のような?」
「まあ、そうなんだが、それもすべてに法則性があり、これだけ世の中にミステリーが溢れているとほとんどのトリックは出尽くしているんだと思うんだ。それだけにバリエーションが必要になるんだ。作者独自の世界というのもその一つだろうけどね」
これは私の考えと同じだった。トラベルミステリーなどしかりである。彼もそれが言いたいのだろう。しばらくその話に花が咲いていたが、しばらくすると、少し話の方向性が変わってきた。
「小説って人間ドラマなんだよね。恋愛小説や、純文学などにも言えるし、ある意味ホラーもそうだ。主題はすべて人間ドラマ、その修飾にミステリーだったり、恋愛ものだったり、ホラーというジャンルが存在すると思うんだ。そういう意味ではミステリーも人間臭い話が結構あるよね」
気軽に読めるミステリーばかりを読んできたと思ったのは、無意識に現実離れした話や、旅先で起こる殺人といった、あまり身近に感じない話ばかりを読んできたのだろう。
彼はさらに続ける。
「そんなミステリーばかりを読んでいると、小説の中に引き込まれるのではないかと思うことがあるんだ。読んでいる時はそうでもないのだが、夢で見たりするんだね。自分が主人公になったような錯覚に陥ることがある。それが刑事であったり、探偵であったり、はらまた犯人であったりと、その時々で違うんだけどね」
「それは僕にも感じる時があるね。まあ、ミステリーに限ったことじゃないかも知れないけど、ミステリーの時が多いような気がする」
「それはきっと見ていて忘れるからだよ。夢って覚えていないことも多いじゃないか」
「だけど、夢って潜在意識が見せるものだろう? 自分が意識しているもの以外を見ることってあまりないんじゃないかな?」
肝心なところで覚めてしまう夢は、きっと潜在意識として、
――それ以上見てはいけない――
と感じるからではないだろうか?
「それはそうだ。だけど、夢を見ていて覚えていないというのも、潜在意識の成せる業なのかも知れないぞ。そのうちに夢を見ている自分を感じることだってあるんだ」
「どういう意味だい?」
「夢を見ていて、それが夢だと感じるのは、目が覚めた時であったり、自分が普通考えないことをしようとした時だったりするんだ。普段考えないことをしようとすると、きっと潜在意識が邪魔をするんだろう。うまくいかないことが多いからね」
友達の顔から笑みが零れた、苦笑いのようにも感じる。急に安心感のようなものを感じた私は、
「そうそう、僕もそうなんだ。例えば空を飛ぶ夢を見ようとしても、実際に呼べるものじゃない。これは夢なんだと思っているからだと、ずっと思ってきたよ」
きっと私も苦笑いをしていることだろう。思わず笑い出しそうな衝動を抑えていたように感じる。
「でもね、最近、夢を見ている時ばかりじゃないんだ。本当に本を読みながら気がつけば小説世界に入り込んでいるんじゃないかって思うことがあるんだよ」
実に興味深い話である。
「僕もそう感じることがあるよ」
「きっと、自分が選ぶ本にそんな内容の本が多いということで自分だけだと思ったんだけど、君にも同じような思いがあるってことは、まんざら気のせいでもないかも知れない」
最後の言葉が気になり、
「気のせいとは?」
と聞かずにいられなかった。
「自分が本の中の主人公になっていることに気付くのは、もう一人の自分を感じるからなんだ」
「もう一人の自分?」
「ああ、冷静に見ている自分がどこかにいるんだ。その自分が小説世界に入り込んで、主人公を演じている自分を見ている。そのために、主人公を演じているのが自分だって分かるんだけど、その意識は主人公を演じている自分にあるんじゃなくって、冷静に見ている自分にあるみたいなんだ」
「そのもう一人の自分ってどこにいるんだい?」
「どうも本の中にいるように思うんだけど、決して登場人物としての意識はないんだ。そこが夢を見ている時と似ているのかも知れないね」
ここで夢の話と繋がるのだろう。そういえば夢を見ている時もそうである。夢を見ているもう一人の自分、冷静な自分の存在を感じることで、夢から覚めなくとも、今自分が夢を見ているんだということに気付く。
――もう一人の自分の存在――
以前からおぼろげながら感じていたように思うが、その存在にハッキリ気付いたのは、ミステリーを読み始めてからだった。彼のいうように無意識に小説世界に入り込みやすい本を好んで選んでいたようにも感じるから不思議である。
そんな中、最近一番よく見る夢は、カウントダウンを迫られている夢だった。結婚を控えている私に、目の前のカウントダウンは嬉しいものだと思っている。なぜなら期待と不安を感じるカウントダウンも、必ずあと一つというところで夢から覚めるのだ。いろいろなシチュエーションでやってくるカウントダウン、最後の一回は同じものではないかと感じてしまうのも無理のないことだ。
今まで読んだ中で一番緊張した小説、それは殺人予告にカウントダウンを使ったものだった。興奮が緊張に変わり、思わずまわりを見るといつもそこには同じ人がいることに気付いたのはいつからだっただろう。いや、気付いていたのだろうか? すでに夢から覚めていたようにも感じる。
カウントダウンではないが、最近怖い夢を多く見ている気がして仕方がない。夢を見ていて楽しい夢をあまり覚えていることはないが、なぜか怖い夢だけハッキリと覚えているのだ。
もちろん楽しい夢を見ていないわけではない。楽しい夢というのはいつもこれからという時に目が覚める印象が深いのだ。これから起こるであろう楽しいことを想像している時、いきなり現実に引き戻される。だから楽しい夢を見たのだと覚えているのであるが、それがなかったら、きっと楽しい夢を見ていたという感覚すらないだろう。見ることができなくてもどこかで楽しい夢を見ていた気がして、夢から完全に覚めるまでに意識のハッキリしない時間帯がしばらく続いている気がする。
――そんな時、本当に私は自分でいるのだろうか?
何とも自分で説明がおぼつかない気分に陥ることがある。
楽しいことというのは、得てして猜疑心が働いていることがある。それは夢が潜在意識の成せる業だという感覚に似ている気がするからだ。
――本当にこんなに楽しいことが私に起こっていいのだろうか?
あるいは、
――嫌なことが起こる前触れではないか――
というのは反動が恐ろしいという考え方であるが、「好事魔多し」という言葉もあるではないかと思えるのだ。
夢が見せる潜在意識も同じことなのであろう。なぜなら今まで生きてきた中で、平凡が一番よかったと感じているからである。
よいことが続くと必ず悪いことがその後に待ち構えていた。
「お前に、油断のようなものがあるからだ」
作品名:短編集25(過去作品) 作家名:森本晃次