短編集25(過去作品)
可憐な少女の記憶であろうか、それとも枯れてしまった花に対しての記憶であろうか、どちらのイメージが強かったかすら記憶にない。だが、今思い出すことができたのは、自分が奈々子という女性を愛していることに気付いたからだ。女性というものを意識して見ないようにしていたのは、女性の醜いところがどうしても目に付いてしまうからだったように思っていたが、可憐な彼女のことが頭から離れなかったことが影響していたのかも知れない。
智美はいつしか男に陶酔していた。それも一人だけを愛することができないことに無意識だろうが、コンプレックスを感じていた。男二人を愛することでコンプレックスを感じることなく過ごせ、しかも一人と別れてもまた一人が現れる環境に感じる暇すら与えられなかった。
だが、それも奈々子を感じるまでの前奏曲にすぎなかったのかも知れない。男のことで奈々子を責め、彼女の中に潜んでいる焦りを引き出すことで、自分に全神経を集中させたいという気持ちがあったに違いない。それは無意識だったのかも知れない。しかし、結果的にそうなったことを智美はとろけるような快感で受け止めていた。
奈々子は時々記憶を失くしているが、最初はそれを信じられなかった。いくらアルコールが入ったとはいえ、まったく忘れているというのはいかがなものか。
「ミイラとりがミイラになる」
という言葉がある。
最初は奈々子から沖田を奪いたかった。なぜそんな気になったかは、沖田の存在のみを感じるつもりだったからだと思っていた。確かに沖田は自分が考えていたような男性ではあったが、智美の心に本当の火がついたのは、沖田を奪った時、奈々子の焦りと憔悴の顔を見た時だった。
奈々子の智美を見る目に汗が出るのを感じてきた。見つめられるということが恐ろしさ以外にも快感として存在することを初めて感じたのである。
自分の中にある男性的な部分、中学の頃のクラスメートの女の子のことを思い出したのも男性的な部分に気付いたからだろう。
突然いなくなったことに気付かなかったことへの後悔が、今になって思い起こさせる。いないことに気付かなかったのは自分だけはない。不可抗力なのだが、それだけに深くトラウマとして残っている。
今でもどこかにいるように思う。歳を取ることもなく、白いブラウスの似合う少女、違うといえば、いつもじっと智美を見つめているようで、意識してしまうことへの焦りのようだ。
奈々子の中に、いなくなった彼女がいるように思うのは、ふとした表情の変化からだ。ほとんど一瞬なのだが、抱きすくめて目の前にある顔から目が離せなくなってしまう。
「奈々子……」
「智美さん」
初めてのような気がしない、いつまでも歳を取らないと感じるのは、奈々子にしても同じだった。
男に対してたくさんのものを求めていたように感じていたが、それはすべて自分を満足させてくれるものではなかった。心のどこかに隙間があり、それを埋めてくれる人を求めるが故、一人では物足りなかったのかも知れない。
人は淫乱というかも知れない。それでもよかった。今目の前にいる奈々子が自分の中にある欲求を満足させてくれることを確信している。
与えられるものだけを満足だと思っていたが、奈々子といると与えたいものが見えてくる。自分が一途だということに気付いたのも、与えることの喜びに気付いたからだ。
中学時代のクラスメートの女の子が、そのことを一番最初に気付かせてくれたような気がして仕方がない。いなくなったことを気付かないのではなく、信じたくなったことの裏返しであろう。
今回は智美に会って哀願し、沖田を返してくれるようにお願いしていたつもりが、いつの間にか記憶を失くしてしまっている。だが、それも芝居だったのではないかと思える。沖田を奪われたことで、何らかの復讐心が心の奥にあっての計算ずくだったようにも思えるが、それが結果として同性愛に目覚めることになる。
二人とも最初から分かっていたように思う。奈々子は自己暗示に掛かりやすい女性なのだ。しかも自己暗示に掛かった上で、智美を受け入れてしまう。それが一番の快感であることに気付いたのだ。智美にしても同じである。一途だということに気付いたのは、自分が自己暗示に掛かっているからだということを分かっているからだ。ミイラ取りがミイラになった瞬間に、お互い自己暗示に気付いた。
今では奈々子の気持ちが手に取るように分かる。奈々子も智美の気持ちが手に取るように分かるのだろう。握っていると熱くなってくるのを感じる手の平だが、なぜか汗が吹き出してくるような気がしない。実に不思議なことだった。
「お互いに自然なのね」
「そうかも知れないわ。本当はこんな時に話なんてしないものかも知れないのにね。あなたとならなぜか話をしているだけでも落ち着くのよ」
奈々子のその言葉で少しビックリさせられた。
――奈々子は経験があるんだ――
なるほど、経験があればこそ計算高くもなるというもの、沖田と別れた原因も沖田自身、決して口にしようとしなかった。智美のいうことに絶対逆らうことがなく、聞いたことは何でも答えてくれた沖田が本当に困った顔をするのだ。困った顔をされればもっと困らせてやろうと思うのに、さすがに別れの話になった時に見せる顔をまともに見ることができないほどだ。
沖田という男、女装させればさぞかし似合うだろうと思ったことも何度かあった。実際に、そばに寄れば女性のような香りが漂っている。最初に沖田と出会った時はそんなことはなかった。沖田と最初に出会ったのは奈々子と付き合い始める前で、女性と付き合ったことがないと言っていた。
そんな沖田にすかさず反応したのが奈々子だった。ただの好奇心に違いないと思ったのは、奈々子のような女性が好きになるタイプではないと思ったからだ。従順な奈々子にはグイグイ引っ張っていってくれる男性こそふさわしい。実際沖田と付き合いはじめるまでの男性遍歴は年上だったり、男らしさが滲み出ている男ばかりだった。
沖田と付き合って初めて分かったのだが、彼は完全に女性的なところがあり、ある意味女性といってもいいくらいである。普段こそ男らしさを出そうとしているが、ぎこちなくなってしまう。
沖田はそんな自分を決して好きではない。だが、奈々子と一緒にいる時は本当に楽しそうな顔をしていた。
――本当の顔ってどれなんだろう?
何度思ったことか。
今、奈々子と智美の性格は逆転してしまった。奈々子を慕う智美、今まで捜し求めていたものを見つけたようだ。奈々子の中に見つけた男性としての部分は、きっと沖田によって気付かされたのかも知れない。何もかも知っていて、奈々子は忘れたふりをしているのだ。沖田が奈々子についていけなかったのか、奈々子が智美に食指を伸ばしたのか、沖田を奪ったつもりで、囮に使われてしまったようだ。だが、これもきっかけなのだ。
「シメシメ、これで俺も男に戻れるぞ」
沖田にも計算があったことを誰も知らない。沖田も十分な二重人格だったのだ。智美と奈々子、二人だけの世界は永遠に続くことだろう……。
( 完 )
作品名:短編集25(過去作品) 作家名:森本晃次