短編集24(過去作品)
階段を上がっていくあたりから記憶がよみがえってくる。まるでごく最近に感じた思いのような気がするのだが、それが本当に最近の夢なのか、自分でも分からない。足は間違いなく階段の感触を覚えていたらしく、ゆっくりと懐かしさを味わうかのように進んでいった。
上がっていくと、私の知っている光景が目の前に飛び込んでくる。初めて来たはずなのに、初めてという感じを受けさせない。迎えてくれるウエイトレスにも見覚えがあれば、店の中にいる客の数まで、記憶にある人数や配置と同じなのだ。
さっそく窓際に座り、外を見る。コーヒーを注文すると、すぐに運んできたのは、それだけ表に集中していて時間を感じさせないからだろうか? それも同じ感覚である。
一つだけ違う感覚があった。
それは表を見ている時の距離感である。じっと見ていると、次第にロータリーまでが近くに感じられてくるのだ。実に不思議な感覚だが、目が慣れてきたのだろうか?
駅に飲み込まれる人の群れがずっと続いている。到着したバスからはじき出される人の群れの背中を見つめる形になるのだ。ほとんど駅の構内から吐き出される人を見ることがないくらいである。
そのうちに今度は流れが逆になる。駅に電車がついたのか、一人二人とコンコースから吐き出されてくる人が増えてきた。最初は何気なく見つめていたが、そこでふと思い出した。
――そういえば、いつもここから記憶がないんだな――
そう感じていたが、それでも漠然と見ている自分がいる。
しかしそれでも何か胸騒ぎがするのか、胸の鼓動が自然と激しくなり、ロータリーにはじき出される人に不自然さを感じていた。
――何かがヘンだ――
普通であれば、すぐにでも気付くだろうと思うようなことでも、今日のように体調が悪いと実に鈍感になってしまう自分をよく知っている。ヘンだと思いながらも、見つめていると自然に分かってくるだろう。
「あれ?」
今度は完全におかしな状態に気がついた。ハッキリ声になって現われたのだ。
「皆、同じ顔じゃないか」
思わず叫んでいた。
それが誰の顔か確認できなかったのは、目の前に白いものを感じたからである。
「夢だったのか」
そこはまだ移動中の電車の中だった。気がつけば背中に汗を掻いている。朝の状況とほとんど同じで、きっと朝も同じ夢を見たのだろう。同じような夢を見ることがあっても、これほどすぐに見てしまうことは今までにはなかったことだ。しかもまた見そうな予感がある。それは夢としてではなく現実としてである。まさかすべての人が同じ顔ということはありえないが、きっと目的地の喫茶店で同じ顔を確認するまでの過程は同じシチュエーションではないかと思うのである。
――予知夢?
私が見ていたのは予知夢だったのだろうか? 夢は潜在意識が見せるだけのものではないかも知れないと初めて感じたのだ。
先ほどから白いものが見えるのが何なのか思い出した。物理の宿題を思い出した時に本当は気づいていたのだろうが、結びつかなかったのだ。円盤をまわすと、そのスピードが速ければ速いほど、色は白に限りなく近くなる。すべての色の原点は「白」なのだ。いや、白に限りなく近い色というべきかも知れない。形あるものはいくら変形しようとも、ゼロになることはないのだから……。
白いものが夢の中で蠢いていた。皆同じに見える顔、それは恐ろしくも自分だった。それはまるで暗いところから明るい方を見ると綺麗に見えるのに、反対から見ると光が反射して自分の姿や後ろの背景が写し出されるといった「マジックミラー」を想像させられる。どうやら私はマジックミラーの向こう側を見てしまったようだ。
時間というものを飛び越え、すべての人の顔を自分だと認識してしまった。今、私は自分しか認識できていない。一体どこの世界にいるのだろう。ゆっくり見つめるその奥に、知らない世界が広がっている。
いや、本当に知らない世界なのだろうか?
最近感じていたストレスで壊れそうになった身体の感覚が、次第に抜けていく。麻痺していくというべきだろうか。そこには妻の美和の姿だけが見えている。苦痛に歪む顔を一瞬したかと思ったが、あとは私を信頼してのいつもの表情だ。お互いに自分たちの顔だけを見ているのだろう。
それにしても、どこからが別の世界なのだろう。思い起こすが、もう記憶のすべてが私から離れてしまっているかのようである。夢が別世界への入り口であるとするならば、死というものへの恐怖も幾分か和らぐに違いない。そんな感覚に陥るのも、きっと戻れないという気持ちになっているからだろう。
色々と頭に思い浮かぶ、
――明と暗――
これから二人で旅立つ世界は果たしてどっちなのだろう。今なら見えなかった鏡の奥が見えてきそうな気がしていた……。
( 完 )
作品名:短編集24(過去作品) 作家名:森本晃次