短編集24(過去作品)
サラリーマンにしても学生にしても、朝の喧騒とした雰囲気の中、同じように早歩きで歩いているのだ。
――一体何を考えながら歩いているのだろう?
という思いで、何も考えていないように見えるが、頭の中はみんな同じような意識の中で似たり寄ったりの顔をしているに違いない。
少しだけ下げている頭は上から見ていたのでは分からない。それを承知で上から見ていたいと感じたのは、きっと見たいけど見るのが怖いという意識があったからに違いない。
人の群れは次第に増えてくる。最初は駅に向う人が多かったのだが、次第に駅から吐き出される人の群れの方が多くなってくるのを感じる。それだけ、私の方に顔を向けている人が多いということだ。
――皆が私を意識しているような気がする――
と感じたのは、それからすぐだっただろう。
いや、それも意識の中で定かではない、なぜなら、そのすぐ後に私の願望が満たされた気がしたからだ。その予感があったのかも知れない。私の胸の鼓動は激しくなり、いよいよという気持ちがあった。
「あっ」
思わず私は叫んでしまっていた。喫茶店の窓から見ている私が叫んだのか、夢から覚めてベッドの中にいる私が叫んだのか、それすら分からない。だが、横にいる美和は気付かない様子で、気持ちよさそうに寝息を立てている。
「はぁはぁ」
呼吸が荒くなっている。夢の続きを見ているようで、まだ窓越しにロータリーを見下ろしている感覚になっているのが分かり、自分が寝ているベッドに違和感があった。汗をグッショリ掻いていて、シーツが少し気持ち悪い。暖かいからまだいいようなものの、とりあえず、起き上がって汗を拭きたかった。一度身体を拭いてしまうと体温戻ってくるだろうから、湿ったシーツに入っても、自然と汗がシーツを乾かしてくれるような気がしたのだ。
身体を拭いて戻ったが、何も知らずに幸せそうな寝息を立てている美和が可愛かった。
それからしばらく私は眠っていたのだろう。戻りつつある意識の中で、私は美和の肌の感触を楽しんでいるようだ。
先ほどまでの汗が却って心地よい。吸い付くようなきめ細かな美和の肌に、私は感じていた。感じていたといっても思ったより密着度を感じない。それはきっと彼女が私の体温と同じような暖かさで、触れ合っているような感覚を感じさせないからだろう。触れるか触れないかといった産毛の触れ合いの感覚が心地よいのだ。
部屋を真っ暗にしていた。最初は何が何か分からなかったが、目が慣れてくるにしたがって、薄っすらと見えてくるものがあった。
部屋の中がオレンジ色に染まってくるのが分かる。まるで朝日が昇ってくるのを見ているような錯覚を感じたが、そういえば実際に見る朝日というのは、冬が多かった。なぜか夏も早起きをして見ることがあったはずなのだが、記憶としては冬のものが多い。
寒風吹きすさぶ中、走ってくる車が光って見える。オレンジ色の朝日を感じるのがそんな時で、降りた霜が反射して、オレンジ色を鮮やかに見せてくれるのだ。
夏に見る朝日にオレンジ色は感じない。きっと光るものを感じないからだろう。表は朝日が昇る頃だと思い時計を見ると、午前七時前だった。まさしく日の出の時間ではないか。
私はどれくらい夢を見ていたのだろう?
ハッキリと覚えていないのは、目が覚めるにしたがっておぼろげになっていく記憶。それが忘れているのではなく、頭の奥深くに封印されてしまっているのではないか。そう考えれば同じような夢を見たことがあると感じるのも納得できるのだ。
ホテルの部屋がこれほど暖かいとは思わなかった。入り口を抜けた瞬間は確かに温かさを感じたが、それはベッドの中の暖かさとは少し違うものだった。ベッドの中で感じる暖かさは、お互いの肌が触れ合う暖かさ、元々どちらかがより暖かかったのだろうが、そこには
「一たす一イコール二」
という法則は成り立たない。お互いの肌が相乗効果を示し、それを逃がさないように布団が身体に纏わりついてくる。お互いの身体の感覚を感じないのは、そういう相乗効果によるものであろう。
身体を起こすと一緒についてきそうな美和の肌を、ゆっくり離していた。オレンジ色の光を浴びて写っている部屋の奥にはテレビが見える。以前泊まったビジネスホテルでも、同じような思いをしたような記憶があるが、その時は本当に夜が明けてなかった。
夜も明けてないのに、なぜ光が漏れてくるのか分からなかったが、その時に感じた白いもの、何もないはずのテレビの近くに白いものが蠢くのを感じていた。
「嫌なものを見ちゃったな」
出張に出かけて初めて泊まるビジネスホテル。先輩社員とは朝食で落ち合うようにしていたが、その時間まではまだ二時間近くもあった時だった。
しかしその後はまた寝てしまったのだろう。気がつけば耳元で鳴り響くアラームの音、目覚めの悪い私が目を覚ますには少し小さめだったが、それでもしっかりと目が覚めたのは、気が張っていたからだろう。
――それにしてのさっきのは夢だったんだろうか?
あれから確かに二時間が経っているのだが、まるでさっきまで見ていたような感覚に襲われたことで、目が覚めるまでに、少し考えていた。そこで出た一つの結論は、
――白いものを見たということ自体が夢だったのではないか――
ということである。
目が覚める寸前に一瞬見るものが夢だということを聞いたことがある。見ている時はかなり長い時間見ていると思っても、目が覚めていくにしたがって、夢の時間が短かったことを感じる。私だけの考えかも知れないが、それはきっと夢というのが異次元への入り口のような気がするからだ。
次元というと、「点」である一次元、「線」などの平面である二次元、そして我々のいる「立体」である三次元、さらにはそこに時間という観念を加えた四次元である。
夢を見ている間は、時間を感じさせない四次元の世界ではないだろうか。そして夢が次第に覚めてくるにしたがって次元が低くなっていく。つまり、立体から平面へと戻る瞬間があるのだ。それだけに目が覚めてからの記憶は平面のように薄っぺらなもので、現実という三次元を飛び越しているのかも知れない。
ベッドの中の暖かい感触と、薄っすら漏れてくる明かりから、そんな昔の記憶が呼び起こされるのも、よほどその時に見た白いものが印象深かったからだろう。
まったく同じものを何度か見たような覚えがあると感じたのは、まだハッキリと意識が戻る前だった。その思いを忘れたくないと感じたのは、きっと目が覚めると覚えていないからだろう。ということは以前にも目が覚めるにしたがって同じ思いをしたことがあって、忘れてしまいたくないと感じたからに違いない。
それが私にとっていい記憶なのか、それとも悪い記憶なのか分からない。ただ、私が記憶を選べるわけではない。記憶の方が私を選んでいる。だが、夢というのが潜在意識によって見るものだということであれば、その記憶は私の潜在意識内にあるもののはずである。それが夢に出てくるということは、私の中で、何かしら影響を残した記憶ということになるのだろう。
作品名:短編集24(過去作品) 作家名:森本晃次