短編集24(過去作品)
そういえば、以前私も幸一くんと同じような恰好をしているのを見たことがある。私も細身で背が高い方だ。スナックではないが、駅前の時々寄る喫茶店は、カウンターから表のロータリーを覗くことができるところで、私は密かに気に入っていた。朝など、モーニングサービスを食べに時々利用している。
そこの店はカウンターの中央に柱が立っていて、鏡のようになっている。表を見ながら、
――表を見ている自分の姿――
というのを見たいのだろう。無意識に見ていることがある。無意識に見ているので、猫背になっていて恰好悪いと感じていても直そうという気にはならない。恰好悪いという感覚にはならないのだろう。鏡の向こうの自分も無感情である。
今の幸一くんを見ていると、その時の自分を見ているようだ。自分の恰好についても、きっと分かっているのだろう。私が見つめていることもすべて分かっていて、それで、無表情なのだ。そんな時の私は、とにかく何か他のことを考えていて頭の中がいっぱいなのだ。
――今考えなければならないことなのだろうか――
今さらながらにその時の自分を思い出していた。繋がりを持った何かを考えているのだが、時間というスピードの中で、自分がうまく乗れているのか分からない。時間というスピードを感じる時もあれば、何も感じずただ考えている時もある。だが、本当に無表情の時は、時間というスピードを感じている時だろう。
幸一くんの目は私を疎ましそうに見つめている。ママが横で不安そうに見つめているのが印象的だ。
「いったい、あなたは何なんですか?」
と、幸一くんは目で訴えている。しかし、私はそれには答えず、冷静な目で幸一くんを見つめると、視線を逸らそうとしているのを感じ、
――意外と気が弱い方かも知れないな――
と感じた。
気の弱い人は私のまわりにもかなりいるが、それとは少し違うような気がする。何とか虚勢を張って、元気なふりをする人が多い中で、彼の場合は、自分から気の弱そうな雰囲気を醸し出している。最初こそ分からなかったが、目を見ていれば分かってくる。見つめられてすぐに逸らしたが、気になるのか、こちらをチラチラ見ている。それこそが、気が弱い性格そのものではなかろうか。
ママは誰に聞いたのだろう?
誰に聞くともなしに呟いていたが、きっと誰かに答えを求めていたように思う。それが私だったのか、幸一くんだったのか分からないが、果たして幸一くんにママの言葉の意味が分かっただろうか?
私は、ママの言葉に思わず答えてしまったが、そんな単純なことを呟いたようには思えない。
嘘というのにも、いろいろある。罪のある嘘、罪のない嘘、相手を傷つける嘘、傷つけない嘘。しかも本人の意識の外に、知らず知らず人を傷つけていることもあるだろう。下手をすると、相手のためについた嘘が、その相手を傷つけることにならないとも限らない。そのすべての意味で、ママは話したように思う。
ママにも傷つけられた経験があるのかも知れない。人に傷つけられて、初めて自分が人を傷つけていることに気付いたりするものだ。そうでなければ傷つけられたことや、嘘をつかれたことすら分からずに過ごしているだろう。
「私は嘘をつく人って大嫌いなのよ」
この言葉には感情がこもっている。自分のことを言っているようにも聞こえるところが重々しさに繋がっているようだ。
ママは一体いくつなのだろう?
そういえば何度も店に来ているが、詳しいことは何も知らない。私の場合、相手が自分から話そうとしない限り、私の方から聞いたりしない。失礼になってはいけないという気持ちと、以前から一言多いと言われていて、饒舌になればなるほど、口を滑らさないか、不安になってくる。
そんな中で小さな嘘をつくこともある。それがお世辞だったりすることもあるが、相手の気持ちを一生懸命に考えるあまり、勝手に自分の中で相手の像を作ってしまうこともある。勝手に盛り上がってしまって、自分の気持ちを確認しないまま、相手に求めてしまう。それが、相手に対しての思わせぶりな態度となり、自分という重荷を背負わせることになる。それでも、自分も一緒に背負うのならいいのだが、次第に冷静になっていくと、気付き始めた自分の気持ちがそれほどでもないと、背負わせた重荷を忘れてしまって、相手の気持ちを置き去りにしてしまう。
逆もあったように思う。
しかしその時は、自分も同じように気持ちが盛り上がっていて、最初に冷静になった彼女に置き去りにされてしまったという記憶が残っている。その記憶があるから、置き去りにする自分に気付くのだろう。今までになかったとは決して言えない。
時々思うことがある。
――男と女って、嘘をつくから感情が入るのではないか――
と……。
しかし、嘘にも許せる嘘と、許せない嘘がある。今まで付き合った女性の中で、明らかに私の喜ぶ顔見たさのためだけに、嘘をついた女性がいた。実に他愛もない嘘には違いないのだが、そのせいで、私が知人に迷惑をかけたのだ。
迷惑と言っても、約束の時間に遅れたという程度のもので、仲がぎこちなくなくなるようなことはなかったが、付き合っている女性には、キチッと分かっていてほしかった。それが私の性格であり、相手にもしっかりとした考えを持ってほしかった。
――他愛もないことでも、相手にとっては大変なことになりうる――
ということをである。
付き合っていく女性と、そのまま結婚するとは限らない。しかし、どこかで別れるにしても、お互いに分かっていなかったら、すれ違いで終わってしまう。私にはそれが耐えられない。
学生時代、女性と付き合ってもすれ違いが多かった。別れを切り出されても、理由がはっきりしない。実に辛いことだ。
すれ違いの中に、小さな嘘の招いたことが原因になったこともあっただろう。小さな嘘が気になると、それを隠そうとしてまた嘘をついてしまう。それが次第に収拾のつかない事態に陥らないとも限らないということを今さらながらに感じるが、最初の嘘はきっと本当に他愛もないことだったに違いない。
しかし、その時ママが一体どういうつもりでその言葉を呟いたのか分からない限り、すべては憶測でしかない。ママを見る限り、何かを考えながら出てきた言葉のように見えるので、きっと、我に返った後で聞いても、その時の心境まで分からないだろう。
いつも何かを考えている人というのは、得てしてそういうところがある。私もしょっちゅういろいろなことを考えている。他愛もないことから将来のこと、過去の思い出など、その時々によって違う。
そんな時に思わず考えていることが口から出てしまうこともあるだろう。誰に聞いてほしいというわけではない。無意識であるが、誰かに聞いてみたいことであることに違いはないのだ。
「お前は時々、妙なことを呟くからな」
友達に苦笑いされてしまう。そしていつもその時の心境を尋ねられても、すでに過去になってしまった心境を思い出すのは難しいことだった。その間にきっといろいろ考えているからだろうが、
――ひょっとして袋小路に入り込んでいるんじゃないだろうか――
と思うこともしばしばである。
作品名:短編集24(過去作品) 作家名:森本晃次