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短編集24(過去作品)

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ウソのウソ



                 ウソのウソ

 私がその店に立ち寄るようになって、そろそろ半年が経とうとしていた。あれはまだ桜の季節で、夜は肌寒く、今よりも夜風が沁みていたような気がする。
 今年は暖冬だったせいもあり、春先から暖かかった。そのため、梅や桜の開花前線も例年よりも早く、三月下旬にはお花見ができるほどだった。しかし、いくら昼が暖かいとはいえ、さすがに夜はまだ肌寒く、夜桜見物に出かけたはいいが、風邪を引いたりした者も少なくはなかっただろう。しかも風が強い年だったことも災いしてか、トイレにできた長蛇の列には閉口してしまった。
「もう、花見なんて行くもんじゃないわ」
「まったくだ」
 そんな声もちらほら聞こえたが、それでも宴会目的の連中はそれなりに楽しんでいたようだ。
 私はそのどちらに属するでもなく、花見など最初から眼中になかった。だからといってデートできる彼女がいるわけでもなく、寂しく帰っていたので、花見の話題など最初から気にすることはなかった。
 仕事が終わって自宅に帰るまでには、花見の名所を通らなければならない。それが一番の近道なのだが、さすがにその時期にそんなところを通りたいと思わない。喧嘩のとばっちりでも受けるのは真っ平ごめんである。
 前の年も、その前の年も花見の時期の金曜日の夜は、普段よりも一つ入り込んだところを歩いていた。元々、住宅街の一角の公園のようになったところが、このあたりでは一番の名所で、いくらこの時期だけとはいえ、閑静なはずの住宅街の住民は溜まったものではないだろう。
 ほとんどの家が雨戸を閉めている。いるのかいないのか分からないようにじっと息を潜めているに違いない。
 一歩路地を入っただけで、花見のバカ騒ぎは聞こえてこない。何事もなかったかのように静まり返った住宅街は、普段の私が通る道と何ら変わりなかった。どうかすると、いつもの道と勘違いしそうなくらいに、綺麗に区画されている。
 しかし、さすがに寒さが身に沁みてくる。いつもと違う道というだけで、知らない道を通っているわけなので、静かな佇まいが重々しさを感じさせ、足元から冷たさを運んでくるように思わせる。
「ふぅ、やっぱり寒いな」
 申し訳なさそうについている街灯を、恨めしそうに見上げている。かすかに照らされているあたりの埃が光っているように見えて、
「まだ、この時期でも結構乾燥しているんだな」
 と呟いていた。
 静かな道になれば昔から、独り言が多くなる。それほど大きな声ではないのだが、小さい頃から怖がりだった時のくせが抜けないのだろう。いや、今でも怖い者は怖いのだ。どうしても普段通らない道は気持ち悪い。
「おや?」
 何回目かの角を曲がった時だった。今までの記憶では、いつもの道にぶつかるまでに、何もないはずだった。最初に目に付いた赤いものが印象的だが、次の瞬間に、それがスナックの看板であることが分かった。最初は赤提灯かと思ったのだが、膝くらいの高さに位置しているので、それが持ち運び式の店の前に置かれている看板であることが分かったのだ。
 まあ、久しぶりに歩くのだ、スナックができていても不思議ではない。それよりも、スナックを見た途端、このあたりに来たのが最近だったような気持ちになったのは錯覚だったのだろうか。予期した光景とアテが外れて、少し複雑な気持ちだった。
 ゆっくりと店の前に近づいていく。店の名は、スナック「トマト」とある。いかにも真っ赤がトレードマークの店のようだ。
 普段なら決して立ち寄ることなかっただろう。しかしその日はお花見に行きたくないくせに、一人で帰る寂しさという複雑な思いが渦巻いていたからだろうか、気がつけば店の前まで歩いてきていた。
 完全に私は店に興味を持ったのだ。
「ガランガラン」
 少し重ための扉を開くと、目の前に木目調のカウンターが見えた。雑居ビルにあるようなスナックより少し大きめに設計されていて、身長の高い私にも違和感がない。しかし、店内は小綺麗に片付けられていて、だだっ広さは感じない。適材適所、あるべきところに綺麗にものが入っていると、少々大きな佇まいでも、こじんまりとして感じるものだ。それが清潔感というものだろう。
 店は白を基調としていて、表の看板とはガラッと変わった雰囲気である。これが店主の趣味なのだろうか?
 店にはその時、他の客はおらず、静かだった。ママさんが一人、カウンターで支度をしているようだったが、考えてみればまだ七時過ぎ、客が来るとすればもう少し遅い時間のはずだ。
「いらっしゃいませ」
 年の頃は三十代後半、ママさんとしては少し若い感じがするが、声の高さからは若々しさと同時に元気よさを感じ、元気が若さを感じさせるのだと納得していた。ロングヘアーに白いドレスがよく似合い、少し暗めの店内に一際際立っているように見える。
「最近、始められたんですか?」
「ええ、まだ始めて数ヶ月ですわね。これからもご贔屓にお願いしますね」
 数ヶ月というと、そろそろ常連さんが決まってきてもいい頃だろうか。このあたりは住宅街なので、常連を掴まないことには、なかなか生き残れないと勝手に想像していた。店の雰囲気は悪くない。都会の真ん中で見るのとでは感じ方も違うだろうが、常連として利用するのに、自分的には合格点を与えたい。
 最初こそ会話が噛みあわず、誰か他の客が来ないだろうかと思ったものだが、ママさんの話し方に特徴があり、話題も楽しそうなので、途中からは誰も来ない時間を楽しんでいた。
――一体、どんな会話をしていたのだろう――
 後になって思い出そうとするのだが、不思議と思い出せない。まともな話ができるであろうか? 不思議な感覚だった時に、表の扉が開いて、他の客が入ってきたからだ。その時ばかりはさすがに、他の常連さんを恨んだものだ。
 その日入ってきた常連客は、私よりも年齢的に若そうだった。私は年齢的にそろそろ三十歳になろうとしているところだったが、入ってきた人はまだ青年と言ってもいいくらいの幼さの残った顔立ちをしている。
「いらっしゃい、幸一くん」
 そういうと、男が席に着く前に、カウンターの一番奥の席の前でおしぼりを持って待ち構えていた。きっとそこが彼のいつもの指定席なのだろう。そういう意味でも彼が常連であることはすぐに分かった。
 幸一と呼ばれたその男、最初見た時は幼さの残るあどけなさを感じたのが第一印象だったが、カウンターに座りママを見上げるその目には、鋭さがあった。ママも怯えているように感じたのは気のせいだろうか?
 幸一と呼ばれた男は喋ろうとしない。ママはその視線を逸らすかのようなぎこちなさを感じていたが、さて、時計を見るとすでに十時を回っていた。私は勘定を済ませるとそのまま帰宅したが、どうにも二人のことがしばらく気になってしまっていた。
 店の中での私との会話で、主導権は完全にママが握っていた。話題提供もママからだったが、私は頷きながら聞いていた。
「いや、待てよ」
作品名:短編集24(過去作品) 作家名:森本晃次