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短編集24(過去作品)

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 やはりいつもとは違っていた。
 確かに瑞樹は私が美味しそうに飲むのを楽しそうに見ていることが多かった。だが、その時の瑞樹の目は私を覗き込むような上目遣いの目をしていた。私の「おいしいよ」という言葉だけを待ちわびているにしては、目が充血しているように見え、指先を見ると微妙に震えているではないか。
 顔色も心なしか悪いように見える。血の気が引いているというべきか、それでいて唇が震えて見える。
 そういえば、今までにコーヒーのおかわりを自分から言い出すことはなかった。私が、
「もう一杯もらおうか」
 とでも言い出さない限り、瑞樹が、
「もう一杯いかがですか?」
 などと言わなかった。
 最初は時間稼ぎかと思った。しかしここで私にコーヒーを入れさせて時間を稼ぐ必要が今の瑞樹にあるのだろうか? どちらかというと余裕のないこの重苦しい状態から一刻も早く抜け出したいと思いそうなものである。私には理解できなかった。
 それにしても桑原は遅いではないか。私がしきりに時計を気にしているのは瑞樹にもよく分かっているようだが、それについて何も触れようとしない。それどころか、会話などほとんどないではないか。
 こんなはずではなかった。今日は瑞樹に聞きたいことがいろいろあったはずだ。
 私以外に誰か好きな人がいるのか?
 私のことをどう思っているのか?
 別れるつもりでいるのか?
 など思っていたはずなのだが、どれも聞けなかった。コーヒーを飲みながらそのことを考えていたが、次第に考えるのが億劫になってくる。
 一体私は何しに来たのだろう?
 どうしてここにいるのだろう?
 そこまで考えると、後はそのことだけを繰り返し考えているだけだった。
――おかしい、考えていることが先に進まない――
 私はいろいろなことを考えはじめると、もう一人の自分が出てくるらしい。というよりも自分の身体を離れ、どこか違う場所で考えている。しっかり前を見ているはずでも、考えはじめると、その時の目の前の光景と違う角度の光景が頭に残っているのだ。それはきっと身体を離れた自分が考えているからだとしか思えないではないか。
 その日の私は自分が見ている光景より、他の違った角度で部屋の中を見たという気分にはなれない。座った同じ位置からすべてを見ている。それは見覚えのあるいつもの位置だった。しばらくすると、その日に自分が何をしに来たかということも、何を考えているかということも、どうでもよくなってきた。
――何を考えているんだろう?
 という疑問を最後に、頭が回らなくなっていた。
――おや? 何かヘンだぞ――
 と思ったのが早いか、指先に痺れを感じると同時に、汗を掻いている。手の平に汗を掻くという事はあるが、指先に汗を掻くなど今まででは考えられないことだった。そのうちに見ているものの遠近感を感じなくなって、視界が暗くなってくるのを感じる。
――こんなことは初めてだ――
 意識が薄れていく中でそこまで感じると、目の前にクモの巣が張ったような放射状の線が広がっていた。しばらくすると激しい頭痛が襲ってくる。頬骨の筋肉が痙攣しているのが分かる。
 それにしてもしばらくとは、どれくらいだったのだろうか?
 襲ってきた頭痛はあっという間だったのではないだろうか?
 痛いと感じてまもなく私は目の前にもう一人、その場に現われたのを見たような気がする。
「桑原?」
 思わず口走ったのが、本当に桑原だったのかどうか分からない。いや、本当に声になったかどうかすらも分からない。そこから先は深い眠りに陥ってしまったようだ……。

「瑞樹、早くコーヒーを入れてくれ」
「そんなに急がせないでくださいな」
 マンションの一室で私はコーヒーを入れている瑞樹を後ろに見ながら、テレビを見ていた。
 結婚してから早十年、長かったようで短かった。それは妻の瑞樹もよく話してくれた。
「ごめんなさいね。私、実は桑原さんとお付き合いしていた時期があったの」
 そう言って告白してくれたのは、ついこの間だった。もう時効だと思ったのだろう。
「何となくそんな気がしていたよ」
 嘘ではない。瑞樹の見ているもう一人の男が、まさか桑原だとは思わなかった。それにしても桑原もしたたかである。何もかも分かっていて、私の相談に乗ってくれ、仲介役を引き受けてくれたのだ。
――それにしても、あの時の痙攣は……
 考えてもよく分からない。あの時、瑞樹に睡眠薬を飲まされたのは間違いないようだ。それが桑原の指示であったことも想像がつく。
「一体どういうつもりなの」
 と瑞樹が受話器に向って浴びせた罵声、相手が桑原だと思えば辻褄があう。きっと私に睡眠薬を飲ませるかどうかのところで揉めていたのかも知れない。
 しかし何もかもが想像の域を出ないし、今さらその時のことを瑞樹に問いただす気にもなれない。せっかく夫婦生活がうまくいっているのだ。それを壊すことはしたくない。それも瑞樹の計画だったのかも知れない。
 桑原もあれからしばらくして八重子さんと結婚した。要するに表に出ている事実がそのまま成就した結果になったのだ。実に何事もなかったかのように順調に時は進んでいたが、その中でどんな紆余曲折があったかは、今となってはどうでもいいことだ。
――結局、ここに戻ってきたような気がする――
 最近特に指先の痺れたあの瞬間を思い出すことができる。あの時私の前にもう一人いた男、今から思えばどう考えても桑原ではなかった。桑原よりもっと年齢的に老けていて、落ち着いて見えた。
 私を見下ろすその顔が優しさに満ち溢れていた。
「心配することはない。ゆっくり眠るんだ」
 という声が今ならハッキリと耳の奥に残っている。しかしその表情はどこか寂しく、人生に疲れたような顔をしていたのだ。まるで鏡を見ているような気になって、顔というより、表情を見ていて同じような心境にいるような気がして仕方がなかった。
 瑞樹が入れたコーヒーが出来上がる。
 盆に乗せて持ってきたコーヒーを受け取ると、喉に流し込む。瑞樹の顔を見ると、その目は私の喉を見ている。
――おや? どこかで見たことあるような目だ――
 その表情はまさしく十年前のあの日、薄れる意識の中で見た瑞樹の顔だった。
 しかし今、指先に痺れはおろか、痙攣もない。しかも瑞樹のその表情は一瞬だったのか、うつものニコニコした表情に戻っている。
 だが、その一瞬だったと思った瞬間、私は自分の身体を離れ、自分を見ていた。痺れに歪む顔を見たのだ。
――幻だったのだろうか?
 人生のやり直しをするためのターニングポイント、これがないと自分は殺されてしまう。
それを感じたのが先ほどの瑞樹の表情だった。自分を助けなければならない……。
――ターニングポイント――
 身体を離れた私は考えている。
 そして目の前に浮かんだ人物の顔、それは指先が痺れ痙攣した状態で、私の顔をゆっくりと見上げている十年前の私だったのだ……。

                (  完  )

作品名:短編集24(過去作品) 作家名:森本晃次