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師恩

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畳に置かれた座卓の上に藍印花布の包みが置かれている。包みの四隅は角がくっきり表れている。
座卓のそばに正座する秋瑾は、曲線柄の和服に身を包み、東洋風の髷を結っている。相対して座っているのは辮髪を切った清国の男で、髪を肩まで下ろして端座している。
秋瑾:“あなたの文章は素晴らしい! 題目だけを見ても「世の人に警告し」「目を覚まさせる」ものです。きっと民衆を目覚めさせ、世の暗闇を打ち破ることができると思います……”
“ありがとうございます!秋さんに励ましていただいて感謝です!”髪を肩まで下ろした男はしきりに頷いて、感激した様子である。
“トントントン”とノックの音がすると、秋瑾はすっくと立ちあがり、“はい!”と言いながら、戸を開けに行った。斬髪の男も、身を起こして傍らにかしこまって立つ。
“ちょっとお邪魔しますよ!”明日香は先手必勝とばかりにあっけらかんと大声で“女仁侠さんには偉いお客さんが多くて、おかげさまで会館も繁盛しますよ!また紹興のお客様ですよ――”
“どうぞ、どうぞ! 会稽(紹興の山)東瀛(日本)に連なれば、天涯も近隣のごとし。” 秋瑾が言い終わらないうちに、周樹人と許寿裳が続いて部屋に入って来て片方の拳をもう一方の手で包む礼をした。明日香はそのあと、運んできた茶器を座卓に置き、微笑みながらさっさと戸を閉めて行ってしまった。
“みなさん、どうぞお楽に――”秋瑾は自分から座り、茶を入れながら“ここのおかみさんときたら、全く油断も隙も無いんだから、はは!”と言う。
部屋の壁には、一幅の対聯(対句を書いた紙)が貼ってある:“競争天下、雄冠全球(競い合い、世界の冠たれ)”。周樹人は顔を挙げて見ると、はっと気づいて:“おお、秋さん、数日前に聞いたのですが、秋さんは最近号を「競雄女子」と改めたそうですね。天を貫くような豪気な号ですが、ここに出典があったんですね!”
“まあ、お茶でも召し上がれ!”秋瑾は一つ一つ茶碗を配り、周樹人の前に来た時、“豫才くん、あなたとはもう親しい仲なんだから、遠慮しないでください。早くそこで赤くなっている秀才を紹介してくださいよ。”
許寿裳はそれを聞いて一層顔を赤らめ、少しどもり気味に:“お……お噂はかねがね伺っております、秋……秋女侠、その明朗闊達な心意気、じ……実に、敬服いたします!”
周樹人は横から助け舟を出して:“そう、この紹興の同郷、姓は許、名は寿裳、自費留学生として来たばかりなんです。秋さんにはよろしくお願いします!”と言い、秋瑾の傍らの斬髪の男に視線を転じ、慌てて言った:“おお、それにしても、そのお客人、一度もお会いしたことがないですね!”
秋瑾は屈託なく:“その通り、この方こそその名も高き陳天華さん!湖南の人は辛いものが好きだけど、この方の文章もかなりの辛口ですよ。新聞に載った「猛回頭(にわかに振り返る)」と「警世鐘(世界への警鐘)」は陳天華さんの大作です……”
“いやいや、まだまだ皆さまのご指導が必要です!”と陳天華がすぐに謙遜する。
秋瑾は周樹人と許寿裳が互いに向き合って黙っているのを見て、素早く手を広げて座卓の上の布包を自分の前に引き寄せ、器用そうに指を動かして包みの紐を解こうとするが、意外にも結び目が固くてほどけない。秋瑾は突然立ち上がって和服の帯から短刀を取り出すと、鞘から抜いて勢いよく包みの紐を断ち切った。……一瞬の出来事に三人の男はあっけにとられてしまった。
陳天華は秋瑾の思いを以心伝心で悟り、解かれた布包を受け取り、中の書籍――“警世鐘”と“猛回頭”を取り出し、それぞれを二人の客に渡して言った:“どうかご指導ください!”
許寿裳は感動のあまり思わず:“ああ、これは皆あなたがお書きになったんですね、全く敬服の極みです!”
周樹人は、思うところある様子で:“おお、百聞は一見に如かず、天華さんの文章はあんなに鋭いのに、お人柄はこのように謙遜で柔和であられる。お会いできて誠に光栄です!”
秋瑾はすかさず:“こんな出会いは実に得難い出会いです、さあ、お酒の代わりにお茶で乾杯としましょう!” そして、三人の男が次々に茶碗を掲げて応じるのを見ると、興奮して:“同志の皆さん、祖国に報い、大いに才能を発揮して、皇帝を馬から引きずり下ろしましょう!”と言うや、座卓に置いた先ほどの短刀をつかみ、手を高く上げて空に円を描いた。
“ははは……”小さな部屋に笑い声が響いた。
こみあげる思いに熱くなった周樹人は思わず学生帽を脱ぎ、其れを扇子代わりに扇ぎ始めた。陳天華は樹人も短髪であるのを見ると、大いに喜んで:“わあ!留学生の中に、初めて蟹を食った者のように勇気のある者が一人いると聞いていたが、あなただったのですね?”
笑っていた周樹人も、その声にハッと気づいて、陳天華のバッサリと切った髪を指さしながら、まるで知音に出会ったように嬉しそうに:“やあ! 君見たまえ、君の髪は、長いかと言えば長くないし、短いかと言えば短くない、何かに似ているんだが?……ええと……”と言いながら振りむいて許寿裳に耳打ちすると、寿裳が大笑いする。
“は、は、は、は!”それぞれの思いでそれぞれが笑い、笑い声は豪気な心情にあふれる交響楽のように響き合った。

(五)
明朗な笑い声は岸に打ち寄せる波の音に変わった……
アモイ大学の教員宿舎、夜の景色にまばらな灯火が弱弱しく瞬いている。
魯迅の机の上の電気スタンドはまだついていない。ただ煙草の火が明滅して、時折魯迅の沈思黙考する顔を映し出している。手元にある原稿用紙はぼんやりとしてはっきり見えないが、「藤野先生」という四文字だけがくっきりと目に映る。
カメラが遠のく。かすかな星明りを頼りに、魯迅が立ち上がって歩いて行き、窓の前に立つのが見える。左手の指はまだ火のついていない煙草を挟んでおり、右手は濃いひげを撫でている。
魯迅の両の目は鋭い光を帯びて、窓の外の夜の風景を見つめている。突然、マッチを取り、素早く擦って煙草に火をつけた。火のついたタバコは夜の闇を照らし、魯迅の心にも光が差した――
(魯迅の独白):“あの時、仙台医学専門学校の教室や教鞭、秋瑾女史の和服と短刀、陳天華の檄文と豪気な心意気……それらによって私は暗闇に輝く星の光を見たように感じた!”
仙台医学専門学校の6号階段教室。
空席は一つもない。学生たちはとうから静かに席について待っている。果たして、ベルが鳴るや、藤野先生が教室の入り口に現れた。今日はテキストや教材の図以外に、助手に一つの丁寧な造りの木製の箱を運んでこさせていた。
学生たちはそれぞれに首を伸ばして、藤野先生が何か生き生きとした形の、図も説明も見事な新しい教材を見せてくれるのではないかと期待した……。
周樹人はいつものように真ん中の前から5列めの右寄りの席で、全神経を集中して西洋医学の新しさと奥深さに期待を寄せた。
藤野先生は学生たちの好奇心にはやる思いを知ってか、わざと謎めいた微笑みを見せて:“皆さん、今日の授業は、骨董鑑定の授業ともいえるでしょう……”
作品名:師恩 作家名:芹川維忠