⑤全能神ゼウスの神
愛の狭間
懐かしい暗闇へ足を踏み入れる。
でも、そこにリカはいない。
リカの定位置だった所に、今は陽が立っている。
その場にいる人が一人いなくなっただけ、その場に立つ人が変わっただけ、それだけで懐かしいのに初めての場所に感じてしまう。
「始めるぞ。」
陽の前に浮かぶ星は、灰色で生命力を感じない…凍りついたような星だった。
(酷い…生命体は無事なのかな?)
不安になった時、陽がチラリとこちらを見る。
(あ!負のオーラを出すなって叱られる!?)
思わず身をすくめると、陽が強ばった表情で口を開く。
「これ…地球だ。」
「え!?」
慌ててもう一度その星を見るけれど、とても地球には見えない。
「急ぐぞ!」
陽の言葉に、私は大きく頷いた。
陽は気合いを入れるように、ふっと息を吐く。
そして星に手をかざしたけれど、なぜかシンとしたままだ。
いつもの轟音のような呻き声が、ない。
初めての出来事に、そこにいた全員が戸惑う。
皆が一斉に陽を見ると、陽は一瞬金色の瞳をさ迷わせた後、再び地球に手をかざした。
けれど、やはり何も音がしない。
「どういうこと?」
サタン様が首を傾げたその時、地球の姿がどんどん変化していく。
まるで時間を巻き戻すかのように、地球が美しい青さを取り戻し、生命の息吹を感じられる。
「…まさか…。」
すっかり負のオーラを感じなくなった地球を見つめながら、サタン様がポツリと言葉を漏らした。
「サタン、何か知ってるのか。」
陽が低い声色で尋ねると、サタン様はニッコリと笑う。
「まっさか♡」
(まさかの『まさか』違い…。)
サタン様の相変わらず飄々とした様子に、私は思わず吹き出した。
陽は明らかに不機嫌そうな顔をしながら、天使たちのほうをふり返る。
「何が起きたかわからないが、とりあえず終息したようだ。私はこのまま残り、今の事態を分析する。お前達は、いったん解散。」
天使と悪魔達は頭を下げて、部屋を出た。
「俺も手伝うよ~。」
サタン様が肩を抱きながら言うと、陽はそれを払い除ける。
「おまえも役に立たないだろ。帰れ。」
「そ?じゃ。」
言いながら、わたしを指で招いた。
すると、操られてサタン様に引き寄せられる。
「おい。」
陽がサタン様を睨んだけれど、サタン様はさらりと笑顔でごまかした。
「部屋まで送り届けるよ♪」
にこにこと笑うサタン様を、陽は警戒しながら言う。
「フェアリーは、ここにいてもらう。」
陽にそう言い切られ、サタン様は一瞬恐ろしく冷たい表情をしたけれど、すぐにニッコリと笑顔を作った。
「じゃ、俺も♡」
明るい笑顔ながらも絶対譲らない威圧感に、陽はもう一度鋭い視線を返す。
「…勝手にしろ。」
陽はふいっと顔を逸らすと、部屋の中央に浮かぶ地球に向き直った。
かざした手のひらでゆっくりと円を描き、地球を回転させながら陽はくまなく観察する。
「すっかり元通りだ…。」
そう呟いた陽の眉毛が、ピクリとひきつった。
「これは…。」
地球の周りの宇宙空間を見つめ、陽はそこに手をかざす。
すると、プラズマのような鋭い光が生まれた。
「…。」
陽の表情が、一気に険しくなる。
サタン様が、そっと私をふり返り身を屈めた。
「やっぱリカさんだ。」
耳元で囁かれ、驚く。
「え?」
至近距離にある赤い瞳を見つめ返すと、サタン様がニヤリと微笑んだ。
「地球が失われるのは宇宙にとってダメージが大きいから、魔道界から修正してくれたんだと思う。」
「そんなことができるんですか?」
驚く私に、サタン様は小さく頷きながら視線を陽へ向ける。
「その証拠が、今のプラズマ。あれは残っていた魔導師の力とゼウスの力がぶつかりあった証拠。…リカさんのオーラの残り香があって、陽も気づいたのかもね。」
サタン様はそこまで言うと、再び私を見つめ目を細めた。
その表情は恍惚としていて、さながら憧れの人をうっとりと見つめるようだ。
「やっぱ、ゼウスはリカさんだよねー。」
たしかに、想像を絶する力の大きさと安定感は、全能神そのものだ。
(けど、リカは戻ることを望んでいない。)
(それに、ヘラ様はどうなったの?)
サタン様の言葉に複雑な表情を浮かべたその時。
「ぅ…わ!」
陽の叫び声が聞こえ、そちらをふり向いた。
すると、そこには真っ黒な闇を纏ったヘラ様が…。
「おまえは!?」
驚く陽に、ヘラ様が放った闇が襲いかかる。
その瞬間、サタン様は大きな漆黒の羽を素早く広げた。
「下がれ、ゼウス!」
叫びながら、サタン様の手から赤い光が放たれる。
陽がギリギリのところで闇をかわすと同時に、赤い光がヘラ様を包み込んだ。
そして次々に放たれる赤い光が、ヘラ様の纏う闇を浄化していく。
耳をつんざく甲高い悲鳴と地を這うような低いうなり声が混ざり合い、その恐ろしさに体がふるえた。
サタン様はいつになく険しい表情で陽を背に庇いながら光を放つ。
けれど、浄化してもすぐに闇の力が戻りヘラ様を暗く包み込んだ。
「ちっ…埒が明かねーな!」
オーラを大量に使ってしまったサタン様は、肩で息をしながら床に膝をつく。
「サタン様!」
私はオーラを分けようとサタン様に駆け寄った。
けれどその瞬間、ヘラ様が瞬間移動するように目の前に現れる。
「めい!」
陽とサタン様の声が重なると同時に、私に闇が襲いかかった。
その瞬間、私の前に虹色の光が現れ、闇を弾く。
そして、まるで蜃気楼のように人の姿が浮かび上がった。
それはあっという間にはっきりとした形になり、見覚えのあるその後ろ姿に3人で息をのむ。
そんな私達を背に、彼はふり返らずに真っ直ぐにヘラ様を見つめた。
微動だにしない彼のすらりとした後ろ姿を見つめていると、シャボン玉で包まれ、サタン様の方にふわりと飛ばされる。
そしてサタン様が私を受け止めた時、リカは杖で床をとんっと突いた。
ホッと胸を撫で下ろす私を一瞬、リカがチラリと見た気がする。
けれど、いくら見つめてもその黒い瞳はヘラ様しか見ていなかった。
(気のせいだったかな…。)
「ヘラ、帰ろ。」
寂しい気持ちになる私をよそに、リカはやわらかな声色でヘラ様に語りかける。
表情は見えないけれど、きっと優しく微笑んでいると想像できるような、甘い声色。
その様子に、切なさで胸が痛くなる。
「ゼウスでも、神界の者でもなくなったのに、よくここに来れたな。」
陽が唸るように言うけれど、リカはそれには答えずヘラ様だけを見つめた。
「ほら。めいはもうサタンの元に戻ってるだろ?」
どこまでも甘い声で、ヘラ様へ語りかけるリカ。
「だから、帰ろ。」
リカのその言葉に、ヘラ様はゆっくりと私を見つめる。
底冷えのする冷たい視線に足がすくんだその時。
リカがヘラ様へ腕を伸ばした。
そして、再びとんっと杖で床を突く。
その瞬間、シャボン玉が弾け、暗かったプロビデンスの間が一気に明るくなった。
(!眩し…っ!)
暗闇に慣れていた目が眩み、皆が一斉に目を瞑る。