⑤全能神ゼウスの神
囚われのフェアリー
「…めい…。」
肩で息をしながら、陽が現れた。
痛々しいほどぼろぼろの姿に、思わず心が揺らぐ。
「なんで…ここに…」
言いながらぐらりと体が傾いだ陽を、思わず抱きとめた。
その瞬間、虹色の光りに包まれると同時に勢い良く体から力が吸い上げられるのを感じる。
「…ぁっ…」
一気に力が抜けた私がそのまま倒れそうになると、陽は意外に逞しい腕で私を抱き上げて、再び泉に身を沈めた。
その姿は白銀髪に金色の瞳に戻っており、先程までの苦しみは見られない。
「さすがだな。」
満足そうに微笑むと、陽は私の額に口づけた。
「おかえり。」
その黒い微笑みに逃げ出したいけれど、力を吸いとられてしまって、今は指一本動かせない。
瞼すら重く感じ、もう目を開けていられなくなった。
陽がふっと笑う気配がする。
ダメだと思いつつ、私は意識を手離した。
遠くで話し声が聞こえる。
目を開けると、ベッドで寝ていた。
起き上がってみると、泥のように体が重い。
(えー…っと…。)
ぼんやりする頭で、思考をめぐらせようとする。
その時、再び部屋の外で声がした。
「だからなんだ。」
(!)
背筋がぞくりとする。
聞こえた声は、紛れもなく陽のものだった。
(そうだ!私…なぜか御祓の泉に飛ばされて…。)
「フェアリーはそもそもゼウスのものだ。そして自らやって来たんだから、文句を言われる筋合いはない。」
「だーかーらー、それはめいちゃんの意思じゃなくて、得たいの知れない力で無理やり飛ばされたんだから、返してって言ってんの!」
「なぜおまえに返さなければいけない。」
「元ゼウスから預かってるから。」
(!サタン様!)
(探しに来てくれたんだ!)
私は寝室の扉のノブに手を掛けた。
けれど、鍵が掛かってるのか、開かない。
「サタン様!!」
私は扉を拳で叩いて助けを求めた。
「!めいちゃん!!」
サタン様の声が近くでする。
「扉が開かないんです!!」
私が訴えると、サタン様の低い声が聞こえた。
「…そんなに自信ないの?陽。」
挑発するようなその言い方に、陽が殺気立つのがわかる。
「なに?」
「監禁しないと、めいちゃんが傍にいてくれないって思ってるからだろ?」
「めいは、僕の恋人だ。」
「『元』ね。」
サタン様の言葉に、陽が更に殺気立った。
「…今は、元ゼウスの魔性の色香に惑わされてるだけだ。ここで暮らせば、どちらが自分の恋人か思い出す。」
「それはそーだね。きっと、より彼を求めるようになるだろーねー。」
あははと軽い調子で笑うサタン様に、遂に陽の怒りが頂点に達する。
「もー…陽。…やめたら?ゼウス。」
サタン様はため息を吐きながら、口調を和らげた。
「やっぱ、彼みたいに完全に感情をコントロールできないから、余計自分の首絞めてんじゃん。」
サタン様がそう言うと同時に、スマホの着信音が鳴る。
「ほら、きたよ。」
静かに言うサタン様に、陽が冷ややかな口調で答えた。
「フェアリーを手に入れたから、もう大丈夫だ。」
「フェアリーにだって、限界はある。」
サタン様が、鋭く言う。
「フェアリーが回復するより早く、こうやってまたプロビデンスに呼ばれるじゃん。無限じゃねーんだよ、めいのオーラは!」
珍しく声を荒げたサタン様の優しさに、胸がしめつけられた。
「めいは、おまえの野心のためにいるんじゃない!」
その言葉と同時に、扉に何かがぶつかる音がする。
「おまえは、ミカエルが合っていた!正義のバランスが素晴らしかった!そしてあの人でないと、やっぱり宇宙の均衡は保てない!」
(サタン様…。)
「このままだと、すぐにめいは消える。そしてめいを失ったおまえも、ゼウスとしては長くない。おまえがいなくなったら…宇宙はどうなる?ゼウスもミカエルも失った宇宙のことを考えたことあんのか!」
サタン様が叫んだ瞬間、鍵が開く音がした。
私はドアノブに手を掛ける。
カチャリと音がして、扉が開いた。
「めいちゃん!!」
サタン様が嬉しそうな顔をして、私を見る。
私も笑みを返すと、こちらに背を向けて壁にもたれ掛かる陽に近づいた。
「陽。」
私が声を掛けても、こちらを見ようとしない。
「私も、サタン様の意見と同じ。ミカエルは、陽にしかできない。私は」
「ゼウス様、急ぎプロビデンスの間へ。」
私の言葉を断ち切るように、迎えの天使がやって来た。
陽は壁から身を起こすと、こちらを見ずに天使のほうへ向かう。
「めいちゃん。終わったら迎えに来るから。」
サタン様が笑顔で言いながら、陽の後を追った。
私は、意を決してその背を追いかける。
「私も行きます!」
重い体を必死で引きずりながら後を追う私を、二人は驚いた表情でふり返った。
「まだ、回復してないだろ。」
陽が静かに言う。
その声色はとても誠実で、久しぶりに本心から思いやる言葉を掛けてもらえた気がした。
「大丈夫!」
私はそんな陽に、微笑み返す。
「せっかくここに来たんだから、できる限りのことはするよ。」
すると陽がふいっと目を逸らした。
そして、足早に廊下を曲がっていく。
「あははっ!素直じゃないねー!」
サタン様がからかうように笑いながら、私に身を寄せてきた。
「杖、返しといたから。」
耳元で囁かれ、私はハッとする。
「リカは、どうなんですか?」
私の問いに、サタン様の赤い瞳が細められた。
「…。」
無言で微笑むサタン様に、胸が嫌な音を立てる。
「とりあえず、こっからうまく脱出できるようにしないとね。さすがのリカさんでも、ゼウスの神殿には手が出せないっしょ。」
私は小さく頷くと、プロビデンスの間へと入った。