田舎道のサナトリウム
想像の発展系が妄想だと思っている。発想をリアルにしたのが妄想であり、発想を現実に近づけるには、妄想は避けて通ることのできない道だと考えると、妄想を悪く感じる必要などさらさらないと思っていた。
しかし、妄想など、なかなかできるものではない。
女の子を想像しても、そこには表情はなく、シルエットに浮かんだ顔であり、表情を思わせる唯一の表現は、ニヤッと笑った半月状の白く浮かんだ歯だけである。
白石は、列車の中で見かけた女子高生に懐かしさを感じたのは。自分の妄想から感じた相手ではないと思った。懐かしさを感じたのは表情からであり、シルエットに浮かんだニヤッとした笑顔の不気味な女性ではありえないと思ったからだ。
――では、実際に知っている誰かだろうか?
高校時代には、好きになりかかった女の子も何人かいた。
白石は自分の好きなタイプの女の子というのは決まっておらず、範囲は他の人よりもかなり広いと思っていた。それだけに、好きになる人は数知れずだと思っていたが、実際に好きになる人に共通性はあるようだった。
しかし、その共通性を分かるのは白石だけであり、他の人から見れば、
「お前は誰でもいいんだろう」
と言われてしまうだろうと思っていた。
実際に高校時代の男子の話題の中で、自分がどんな女性が好みなのかという話題になった時、
「お前は分かりにくいから、好きになった女性の名前を言ってみろ」
と言われて、なぜかその時は素直に、数人のクラスメイトの女の子の名前を挙げた。
すると、皆それぞれに口を揃えて、
「やっぱり、お前には共通性はないな」
と言っていた。
「そんなことはないと思うけど」
というと、
「どこがだよ。皆それぞれ似通ったところはまったくないじゃないか」
と言われた。
「いやいや、性格的にだよ」
というと、
「性格だって、外観や表情から滲み出るものさ。皆見ていて、バラバラじゃないか」
と一人が言うと、他の人たちも一斉に頷いていた。
それを見て白石は、
「そんなものなのか?」
と納得したように小声で答えたが、それは、これ以上の会話は平行線を辿るだけで、結論が生まれるわけはないという思いからの妥協だった。
じっと二組のカップルを気にしていると、時間が経つのも忘れてしまっていたようで、気がつけばもう半分近くまで来ていた。学生たちが列車から降りると、元々乗客が少なかった車内には、他に誰もいなくなっていた。
――貸し切り状態なんだ――
と、いまさらなからに感じていたが、貸し切り列車状態になるのも初めてではなかった。
――あれは学生時代に一人で旅行した時のことだったな――
学生時代には、結構一人で旅行に出かけた。特急列車に乗ることをせずに、各駅停車の旅を楽しむこともあり、ローカル線もいろいろ乗ったものだった。しかし、ここまで寂れた列車は久しぶりで、赤字路線廃止を推奨している鉄道会社でも、
――まだこんな路線が残っているのか――
と思うほど寂れていた。
いくら昼間の人の乗らない時間帯とはいえ、一両編成の列車など、第三セクターでなければないんじゃないかと思っていた。
ここまではカップルの学生を気にしていたこともあって車窓を眺めることはなかったが、さすがに一両編成の列車だけあって、窓から見える風景は、普段見ることのできない、いかにも田舎風景だった。
最初の方は海が見えていたような気がしていたが、次第に海から遠ざかり、山間に差し掛かってきているようだった。ただ、窓から見える光景は、まだまだ平野部が広がっていて、山が近づいてきているのが分かっていても、まだまだ終点までは遠いことを予感させた。
じっと見ていても、見えてくるのは相変わらずの田園風景だけだった。何の変哲もない田園風景なのに、こちらが動いているだけで、ずっと見ていても飽きがこないように思えるのはどうしてだろう?
――列車の旅が、本当に好きなんだろうな――
と感じた。
学生の頃、似たような田園風景を見ながら、同じことを感じたのを思い出していた。
――まるで昨日のことのようだ――
大学生に戻ったような気がしていた。
大学時代というと、ずっと薬学の研究ばかりしていたという思い出しかなかったはずなのに、気分転換に出かけた一人旅は、あくまでも気分転換であって、戻ってきていつもの生活に戻れば、記憶から消えていると思っていた。しかし実際には記憶から消えていたわけではなく、思い出として記憶の奥に封印されていただけなのだろう。
「何かのきっかけで急に思い出すこともありますからね」
記憶喪失に陥った人の記憶が戻るかどうか、そして戻るとすればいつ頃なのかという話を医者に聞いた患者の家族に対して、主治医が答える言葉で代表的な言葉を思い出していた。
白石助手のまわりに記憶喪失に陥ったことのある人がいるわけではないが、
――誰も自分が記憶喪失になるなどと思いもしないんだ。それだけに、他人事のように聞いているけど、明日は我が身であり、それは自分にも起こりえることで、例外のないことなのだろう――
と思っていた。
白石助手は、最近、
――少し記憶力が落ちてきたような気がする――
研究員としては、記憶の低下がどのように影響してくるのか分からないので、あまり気にしないようにしていた。実際に記憶が低下してきたと思うようになってからも、別にそのことで支障が現れたりはしていない。そういう意味では、
――考えすぎないようにした方がいいのかも知れない――
と感じていた。
研究している時は、楽しいと思っている。その証拠に集中できているからなのか、時間があっという間にすぎていた。それは一日があっという間に過ぎるという意味で、一週間、あるいは一ヶ月という単位では、一日一日の積み重ねよりも、結構長いような気がしていた。
薬学の研究の中には、健忘症を治すものも含まれていた。年齢を重ねてから襲ってくる健忘症や認知症などのような症状を研究する班もあり、白石助手が所属している班とは直接的に関係はないが、
「薬学の研究というのは、分野が違っていても、追求すると同じところに行き着くというのがわしの持論だ」
と、教授が言っていた。
白石も、
――その通りだ――
と思っていた。
他の研究チームや、研究所の教授がどう思っているのかは分からないが、教授の意見は研究員の共通の意見でもあった。
教授を慕う人が後を絶えないのは、教授の考え方の一つ一つが研究員の心をくすぐるようであったからだ。
「大学教授というと、どうしても堅物というイメージが強いんだけど、うちの教授はそんなことないよな」
「そうだよな。あまり研究員に気を遣ってくれているという表立った雰囲気はないけど、それだけにわざとらしさを感じさせないところが教授のいいところでもあって、好感が持てるというのはこういうことを言うんだろうな」
という会話が、教授のいないところでの飲み会などで話されていた。
「そういえば、教授のことを悪くいう人、見たことないよ」
「もちろん、正面からいうやつはいないと思うけど、雰囲気で嫌っている人は分かると思うんだ。でも、教授のまわりにはそんな人っていないよな」
作品名:田舎道のサナトリウム 作家名:森本晃次