黄泉明りの落し子 三人の愚者【前編】
「やれやれ! ……どうにもくっだらねえことで揉めてやがるなァ」
初老と思しき外見。複数の布地を組み合わせたかのような、風変わりな服装。清潔とは言いがたいその外見は、身軽な呪術師を連想させた。
彼は、二人へと距離を詰めていく。
頭部を覆い隠す、重ね巻きされた紫の布地。その下から、頭の脇三方へ垂れ下がる、白髪交じりの長い黒髪。
二人は気づいた。彼は左目に、むごい古傷を負っていた。
もう片方の右目も、若干の白味が伺えた。恐らく、周囲の視界が鮮明には見えないだろうということは、明白であった。
しかし、僅かな視力を、杖を用いて進むことで補っているのであろうか。身の丈半の杖を、足元に機用に打ちつけながら、違和感を覚えるほど身軽な足取りで、近づいていく。
ならず者も神父も、この初老の男が迫ってくるのを、呆然と眺める他なかった。
「そこの若そうなの……あー神父か?」
片目の老人は、大きな声で口を切る。所々抜け落ちた歯並びの、不衛生な口腔が垣間見える。
「他人に余計な世話を焼くもんじゃあねえ」
「特にそいつみてえな、どこぞの馬の骨ともわからん奴にゃな……気づいたら首の骨が元に戻らなくなってた! な~んてなっても知らねーぜ」
「なんだジジイ」粗暴な男は、自身が挑発されていると悟った途端、すごむ。「どこぞの馬の骨ともわからねえとは……人のこと言えてねえじゃねえか」
「そうそう、あんただよ、若造」
老人は今度は男に体を向け不敵に微笑む。
「クソ生意気なよぉ……せっかく人様の恩を受けといて、あの態度とは、なんともいい身分じゃねェか」
「なんだと?」
「まあ、落ち着けよ……そこの若そうなののいうとおり、どうもあんたは休みがいるみてえじゃねえか」
「余計な世話だと言って――」
粗暴な男はずかずかと老人に詰め寄る。神父風の男がそれを制止しようと恐る恐る手を伸ばす。
「こんな森にわざわざ入りこむぐらいだ」
老人は言った。
「どーせ俺ら全員、後ろ暗い連中だ。そうだろ?」
粗暴な男の動きが、止まった。そのこわばった表情が、図星であることを物語っていた。
「全員が……後ろ暗い?」
神父風の男は、心外そうに呟くが、彼の表情も、粗暴な男と変わらなかった。
沈黙が訪れた。誰も動かない。誰もしゃべらない。
ぽっかりと穴があけられたかのような、その間を、静穏なる森の空気が埋めていく。数秒間。
「まあ楽にいこうや」
沈黙を破ったのは、初老男のしゃがれ声だ。
「一つここで、全員休みはしねェか。俺もちったあ飯を持ってる。どうせお前ら、行くアテなんてねーんだろ? ……そこの若そうなの。広そうな場所まで誘導してくんな」
「え?」
「適当でいいんだよ。俺ァひとまず火に当たりてェんだ」
「……はい、わかりました。私も存じ上げませんが……」
神父風の男は、そういう老人に近づくと腕を取り、歩き始める。
粗暴な男はその後についていこうとはしなかった。
「それからよ」片目の男は、振り返りもせずに言う。「懐のブツなんて、めったな時以外にゃ出さないもんだぜ」
「ちっ……」
舌打ちした男は、ちょうどその時上着の内ポケットを探っていた。ぎらりと、分厚い刀身のナイフが、顔を覗かせる寸前だった。
振り向いて様子を伺った神父風の男は、身震いした。先ほども、どうやらあのままだったら殴り倒されるのみならず、最悪刺し殺されていたかもしれないのだから。
そうしてまず老人と神父が再び歩き出した。その後を――どうやら観念したらしい――やくざ者が続いた。
やがて夜が訪れ、森が暗闇に包まれた。
暗闇の中でぽっかりと、弱々しい花が開いたかのように、焚き火の灯りができていた。
そして、三つの人影がそれを取り囲んでいた。
神父風の男は、ルヴェンと名乗った。
粗暴な男は、ニコールと名乗った。
片目の男は、ヌーマスと名乗った。
作品名:黄泉明りの落し子 三人の愚者【前編】 作家名:炬善(ごぜん)