黄泉明りの落し子 三人の愚者【前編】
男は慌てた様子で、残った酒瓶を鞄に隠した。
背後を振り返る。
黒く長い祭服。首に下げた十字の首飾り。
そこにいたのは、神父風の外見の若者だった。
短く借り上げた金髪と眼鏡が目に留まる。その青ざめた顔は、恐る恐る男を見つめていた。
「とても、お疲れのようですが……大丈夫ですか?」
再び、その神父風の男は訊ねた。
その声と動作は若々しかったが、顔に彫られた皺は、不自然なほど老いて見えた。なかなかの二枚目といえたが、純朴さと――脆弱さが、その頬骨の輪郭が浮き出てた面の上で、不安げな表情に現れていた。
問われた男の目は見開かれ、体は硬直した。まるで、何かの追っ手を目の前にしたかのように。
「……ああ」
しかしそれは一瞬のことで、そのまますうっと力が抜けた様子だった。
立ち上がろうと、四肢に力を込める。しかし、深いため息が漏れるだけだった。体力の限界は明らかだった。
「そうは見えませんよ」
優柔不断で、決して勇敢とは程遠い性格なのだろう。人付き合いも、元来得意なほうではないに違いない。しかし、慈愛の精神を奮い起こしたかのように、神父風の男は歩み寄った。
「これを」
弱った男の側に座ると、肩に掛けていた布袋から、牛乳の入った瓶を取り出した。コルクを抜いて、差し出す。
男は最初、何を差し出されたかわからない様子で、怪訝そうにそれを見つめた。
だがまもなく、彼はそれを受け取り、一気に飲み干した。
神父風の男は、続いて、林檎、白パンを取り出し、差し出した。
男は胡坐をかいたまま、それらを次から次へと頬張った。一口ごとに、その一挙手一投足に見る見る活力がみなぎっていく。
「すまねえ……」林檎へ豪快にがっつき、咀嚼しながら呟く。「恩に着るよ」
その表情に笑みは全くなかった。神父風の男に目を向けようともしてはいなかった。だがそれでも、誠実な声だった。
「礼には及びませんよ」神父風の男は微笑む。「ところで、あなたはどうしてここに?」
「俺か……」
食事の手が止まる。
数秒間の沈黙が続いた。一瞬、二人の間に、静穏な森の空気が滑り込んだが、
「お前には、関係のないことさ」
それはまもなく、林檎が咀嚼される音に払われた。
男はあっという間に全てを食い尽くした。
深く息を付くと、よろよろと――しかし先ほどよりもしっかりした様子で、立ち上がる。
「世話になったな」
彼は言った。相変わらず、目を合わせることはなかった。「美味かったよ」
「神のお恵みは平等です」
再び神父風の男は微笑むが、男の目つきが変わったのは、その瞬間であった。
満たされた腹と、恩人へのぶっきらぼうながらの感謝に緩んでいた瞳に、嫌悪の冷たい炎が宿った。
「じゃあな。これまでだ」
冷たく言い放つ。そのまま恩人に対して一瞥すらすることもなく、彼は歩み出した。
「お、お待ちください」
神父風の男は呼び止める。
「あなたは弱っている。まだ休まれたほうがいい」
「……俺に構うな」
「そうはいきません。このまま森の奥に進んでも、危険なだけです」
振り返る男の眉間が、ぴりりと震える。
「お前には関係ないだろ」
「しかし、その様子ではまたすぐに――」
男の眉間に、ぐっと皺が寄せられた。
弱肉に距離を詰める野獣のように、男は神父に詰め寄る。
「この野郎――」
「ひぃっ」
神父は後ずさる。
トンッ、カッ、カッ、カンッ。
樹を打ちつけるかのような音。
「待ちなよ」
どこからともなく響く声――しわがれた声。
二人の視線がそちらに向けられる。彼らの後方、しかし神父がやってきたのとも異なる方角。
一本の樹の下に、風変わりな男がいた。
作品名:黄泉明りの落し子 三人の愚者【前編】 作家名:炬善(ごぜん)