短編集22(過去作品)
どちらかというと思い込みが激しいタイプの私である。最後に来た時の印象が強く残っているために、いつも同じ光景だったと思っているのかも知れない。
例えば駅から薬屋までにしても、「遠い」と思い込んでいるから遠いのであって、実際は思っているより近いのかも知れない。特に今日など、その「薬屋」の存在すら、国道が近づいてくるまでに気がつかなかったくらいである。
――薬屋の看板は見たような気がする。いや、前に来た時見たものだったかな?
その程度の曖昧な記憶、私はしょっちゅうである。
もちろん、その時の感情にもよるのだ。
悩みがあったり、情緒不安定だったりすると、当然記憶も意識の外に置かれてしまい、見ているにもかかわらず、記憶として残っていないような気になることだってあるはずである。
――ひょっとして、最後に来た時と同じような精神状態では?
と駅を降りて、飛び込んできた風景に最初に感じたことである。まったく違和感なく以前と同じ風景に何の疑問も感じないということは、同じ精神状態が続いているという考えも成り立つのではないだろうか。
ただ、違うとするならば、目の前に広がる風景の広さ、奥行きが何となく違うような気がする。しばらく考えて出た結論として、
――明るさが違うからだ――
というものだった。
明らかに違う明るさ、しかもあの時は雨が降っていたのではないだろうか? ハッキリとした記憶ではないが、雨だったと気がつけば、それが確信に繋がるような気がする。
そういえばここの風景に雨も似合うような気がしていた。初めて来た時も確か雨だったような気がする。あれは梅雨の時期、雨が降っていてもまったく不思議のない時期、それだけに、雨に違和感がないのかも知れない。
この通りは昔からの瓦屋根の家が多く、瓦から滴り落ちる雨のしずくが、傘から滴り落ちるしずくとダブッてしまい、余計に雨の強さを感じてしまう。
梅雨の頃の雨というのは、独特の匂いを感じることができる。いくらローカルな街の駅前とはいえ、しっかりアスファルトで舗装された道である。普段の晴れた日、直射日光によって照らされたアスファルトは、まともに温度が上昇し、それが雨によって水蒸気となって湧き上がる。もちろん埃や砂塵を多く含んで湧き上がるため、その匂いたるや何とも言えない複雑な匂いを醸し出す。しかし確実にアスファルトを感じることのできる匂いであることには違いないのだ。
――今までは晴れた日の方が少なかったのではないだろうか?
と思えるほど、実に雨の日の印象が深い。
角を曲がる女性の姿を最後まで目で追っていた。
まるでスローモーションのように曲がろうとするのをずっと見ていたのは、彼女の横顔を確認しようと思ったからだ。
――何となく見覚えのある顔――
電車の中にいた時には感じなかった感覚である。顔もしっかり確認していたはずだが、他の乗客同様、俯いたまま考え事をしているような素振りには、あまり関心がなかった。どちらかというと。服装に目を惹かれたから見ていただけで、顔そのものの印象は浅かった。明らかに彼女の服装は男性の目を惹くにふさわしく、服の上からでもその素晴らしいプロポーションを堪能することができるはずである。
真っ赤に塗られた口紅と、コートの下に着ている真っ赤なセーターが印象的だった。そのためか薄化粧に感じるのだが、清楚な顔立ちから考えると、薄化粧くらいの方が綺麗に感じる。遠くから見ても肌のきめ細かさが見てとれ、それゆえに、素肌美人を感じさせることができる。
しかし、そこまで観察していたにもかかわらず、その時に「見覚えのある顔」と感じなかったのはなぜなんだろう?
ゆっくりと見ているよりも、角を曲がる一瞬の横顔に感じるということは、以前にも同じようなシチュエーションがあり、その時のことを思い出しているからかも知れない。
――その日は晴れていたのだろうか?
どうしても雨の多かったこの通り、発想は天気へと変わっていく。
傘を差していたような記憶もあれば、晴れていて髪の毛が綺麗に光っていた記憶もあった。ひょっとして彼女に対する記憶は一度だけではないのではないかという思いが頭を擡げた。
――なぜ、今まで気にもしなかったのだろう?
もし、彼女に対して今までに同じようなシチュエーションがあったのなら、その時にも――以前にも見たことあるような気がする――
という思いを抱いていてしかるべきである。しかし実際に以前そんなことを感じたという記憶がまったくない。忘れてしまったのか、実際ないのかどちらかだろうが、今の私にはどちらとも判断しがたい。
「デジャブー現象」という言葉を耳にしたことがある。
それを見た瞬間、過去に見たとハッキリ感じることらしい。後で思い返しても、その瞬間の記憶しかなく、前後の記憶の繋がりなどはまったくない。それは風景であっても、シチュエーションであっても同じことで、一瞬、本当に確信じみたことを感じるのだ。
私にもかつて「デジャブー」を感じたことがある。一度も行ったことのない風景を写真で見た時、
「あれ? どこかで見たような風景だな」
写っているのは、ヨーロッパかどこかの高原のようだった。奥の方には雪で覆われた鋭利な山が連なっていて、アルプスの様相を呈していた。
「写真で以前に見たんじゃないか?」
「確かに写真で見たことがないとは言えないんだけど、一瞬息が苦しくなるくらいの空気の薄さを感じたんだ。寒さで震えがきたのも事実だし、どうしてなんだろうね?」
そう言いながら首を傾げていたが、そう感じたのもほんの一瞬であった。次第にその記憶は薄れていき、なぜそう感じたのかということを考える余地すらなくなっている。
そう、ちょうど夢を見た時の感覚に似ているかも知れない。印象的な夢を見た時、目が覚める途中のおぼろげな意識の中で、長かった夢をそのままの時間として感じることができる。しかし、すぐにそれがものすごく短い時間であるという意識が働いてくると、一気に現実に戻されるのか、睡眠から覚めるのを感じる。
夢というのは、どんなに長い夢を見ていたとしても、それは目が覚める寸前の数秒という、それこそ「瞬間」で見るものだというのを聞いたことがある。覚めてしまうと、それが瞬間としてしか覚えていないのも致し方ないことなのだろう。
夢というものが「デジャブー」と関係あるかどうかは分からないが、そちらも神秘的なことには変わりがない。
風が掻き揚げるさらりとした髪が、まるで花粉を誘う花びらのような香りを運んでくれる気がした。その髪を手で撫でることなく自然に任せているせいか、自分の視線が彼女の髪に集中していることを感じる。それだけごく自然な動きに感じるからだ。
彼女の姿が見えなくなってからも、その髪から醸し出された香りが残っているような感じがする。私がそこに到達するまで、きっとその香りは残っているだろう。
――香りに導かれているかのようだ――
まさしくそういう感覚がピッタリである。
自分が足早になっていくのに気付く。太ももに入る力を感じると、身体が前かがみになっていて、目だけは彼女の曲がった角をじっと見つめている。
作品名:短編集22(過去作品) 作家名:森本晃次