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短編集22(過去作品)

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 私の前を通りすがって行った女性、それが和江だったような気がする。限りなく私の中に消せない印象を残して過ぎ去っていった。今もなお、和江が私の中にいるような気がしてならない。
 そんな私をよう子はいつも見つめていてくれている。
――まるで姉さんのような感じだ――
 私には女兄弟はいない。弟が一人いるだけで、家にいても女性は母親だけ、もちろん母親に女性を感じるわけもなく、肉親に女性を感じたことがないのだ。
 肉親というのはやはり他の人に味わえない暖かさがある。一緒にいて感じないのはそれだけ自然な暖かさがあるのかも知れないと母親に感じたこともある。しかし照れ隠しからか、素直になれない自分もいて、肉親からどんな風に思われているか、分かったものではない。
――肉親だからだよな――
 自分で勝手に納得している。
 子供の頃に姉がいたらよかったのにと、思ったことがある。なぜそう思ったのか思い出せないのだが、それを感じたのは、学校から行った遠足の時だったと記憶している。何度か思っているはずなのに、記憶はそれだけなのだ。きっと一番最初に感じたのが遠足の時だったからだろう。思い出すたび、まるで昨日のことだったような気がする。
――私は姉に一体何を求めているのだろう?
 もし、姉がいたとして、その姉に何を求めるのか考えてみたことがあったが、改まって考えようとすると思い浮かばない。何か困ったことが起こった時に、相談に乗ってくれることを期待しているのであれば、具体的にどう困っているかというシチュエーションがない限り、想像するのは不可能に近い。そんな感じのことなのかも知れないと勝手に想像してみたりしている。
――いや、ただ甘えたいだけなのかも知れない――
 時々そう感じるのだが、どちらが本当なのか、いや、どちらも自分の本当の気持ちのような気がして仕方がない。
――私は欲張りなのだろう――
 そう感じるのは、よう子が私の前に現れてからだった。
 よう子と和江が似ているかも知れないと感じたこともあった。
 自分にとって肉親と感じているのだから、それも無理のないことだと思う。
 しかし一体どこが似ているというのだろう?
 いざ考えようとすると難しい。どこが好きかと聞かれれば、はっきり答えるのは難しいが、身体だけの関係というだけではなかったはずの和江、そして、冷静沈着で、いつもすべて見透かされえているように感じながら、気持ちの上で頼り切っているよう子。一見似ているところは感じられない。
 しかし、なぜか二人とも私をホッとさせてくれる何かを持っていることには違いないのだ。
――和江になかった何かをよう子が補ってくれている――
 そんな風にも感じる。
 冷静沈着ではあるが、どこか温かみがある。きっと包容力があるからだろう。
――心に余裕のようなものを感じる――
 これは和江にも感じたが、よう子にはハッキリと感じる。それが包容力なのだろう。
 よう子は敢えて和江のことを私に聞こうとしない。私からは聞かれない限り、なるべく言わないようにしているが、それでいいのだろう。
 私が本当に好きなのは、よう子なのかも知れない。よう子のような包容力を持った女性を待ち望んでいたのだろう。それは和江と付き合った時期が私に教えてくれているのかも知れない。
――自分の人生に無駄な時期などあっただろうか?
 よう子の存在を、和江と付き合っていた時期のことを思い出すことによってハッキリしたものにできるように、きっと、すべてがどこかで繋がっているのかも知れない。
 私のことを大学に入学した頃から、
――冷静沈着な男――
 という友達がいた。彼とは小学校時代からずっと一緒で、それほど親しいというわけではないが、私のことを客観的にだろうが、ずっと見てきたのだろう。小学生の頃いじめられっこだったことを知っている人は大学に入ってからは、ほとんどいなかったはずだ。その友達を含めても。数人だったような気がする。
 彼とは大学に入ってから話すようになった。それまでは挨拶程度はあったとしても、それ以上の会話はなかったはずだ。話しかけられて嫌な気はしなかったので、必然的に友達になったのだ。
 だが、それほど長く友達でいたわけではない。深層心理を見抜くのが得意なやつで、正直私が少し怖くなったのだ。
 私の出張が決まった時、よう子は何も言わなかった。しかし場所が広島だと言った時、会話は普通だったのだが、一瞬表情が変わったのを見逃さなかった。そういうところは目敏いたちなのだが、次の瞬間に元に戻った表情を見ると、瞬間変わった表情を忘れてしまうというところがあるのも私の性格の一つだった。
 広島という土地は、学生時代に中学の修学旅行だったか、訪れたのが最初である。
 市内観光につきものである、原爆ドーム、資料館を中心とした平和公園が印象的で、その横を流れる大田川を眺めていた記憶がある。
「被爆者たちは、みんな水を求めて川に飛び込んだのです」
 そういう説明を受けた。
 修学旅行のウキウキした気持ちが皆凍りついたような表情になったのは、資料館で展示を見ながら説明を受けている時だった。しかし私だけは、今は何もなかったように規則的な波を作って流れる大田川を見ていた時が、なぜかまるで時が止まったかのように、漠然とであるが見つめ続けていた時が印象的だった。
 水面からの照り返しの斜光が目を潰さんがごとく、私を襲う。その光を避けることなく見つめる私の瞳は光っていたに違いない。皆が原爆ドームに集中していた時も、私の目は水面から離れることはなかった。
「原爆の日の夜、ここでは灯篭流しが行われるのよ」
 ガイドさんが私を見つけて声を掛けてくれた。ドームに集中している皆の時間が空いた隙に一人川を見ている私を見つけて声を掛けてくれたようだ。
 私は目を瞑って、一度も見たことのない灯篭流しの光景を思い浮かべていた。一度も見たことないくせに、なぜかハッキリと瞼の裏に浮かび上がる光景、我ながら不思議で仕方なかった。
 静かな光景が目に浮かんでくるのだが、読経のようなものが耳について離れない。しかも、ただの想像なのに、線香の匂いが香ってくるのは気のせいだろうか。自分でも不思議な気持ちになり、時空を超えた空間に迷い込んでしまったかのような錯覚に陥ってしまっていた。
 その時のガイドさんの顔はしばらく忘れないだろうと思っていた。灯篭流しが行われることを教えてくれた彼女、少しかがみこむように川を覗き込んでいた私と同じような体勢をとっていて、その時横目に見た表情が、忘れられないと思ったものだ。
 私は思い出した。よう子の時々見せる寂しそうな表情をどこかで見たような気がしたと思っていたが、それが、大田川を覗き込む時に寂しそうな横顔を見せたあのバスガイドのおねえさんに似ているということを……。顔がそっくりというわけではなく、雰囲気なのだ。不規則な波の立つ水面に反射する光に照らされて光っているバスガイドさんの顔、それが私にとって、「寂しい顔」の代名詞のようなものである。
 今回の広島出張には、仕事以外にも何か目的があったような気がしてならない。
――何か忘れていたものを思い出させるための旅――
作品名:短編集22(過去作品) 作家名:森本晃次