短編集22(過去作品)
かといってすべてが自然だった。私がもし主導権を握ろうとしていれば「自然」ではなかったかも知れない。とにかく「自然」に任せること、頭の中にはその時、それだけしかなかったのだ。
身体の奥から湧き上がる興奮を、すべて彼女にぶつけた時、二人は一つになった気がした。今までに付き合った女性に感じたことと、どこかが違うのだが、一体それは何だったのだろう?
――不思議な雰囲気のある女性――
優美子に感じた最初の印象だった。
身体を重ねてさらにその思いが深くなったような気がする。第一印象で女性を選ぶことがあまりなかった私にとって、彼女は一目惚れした初めての相手だったかも知れない。
――初めて出会ったその日に身体を重ねる――
もちろん、こんなことは私にとって初めてのことだった。確かに優美子からの誘いではあったが、実に自然だった。かなり前から知り合いで、ジワジワと彼女のことを好きになってきたような感覚に襲われたからだ。一目惚れではあるけれど、何か懐かしさを感じさせる女性、それが優美子だったのだ。
そういえば優美子に感じた懐かしさは、以前にどこかで感じたことがあるものだった。それはかなり昔、そう少年時代の記憶だったかも知れない。
家の近所に空き地があった。そこでよく友達と遊んでいたのは小学生の頃。その頃はよく野球などをして遊んでいたが、いつも
「もう少し大きな公園でできたらなぁ」
と友達と話していたものだった。
昔からの家が立ち並ぶあたりの裏に大きな団地ができて、その中に公園ができたのだ。一応球技ができるように高いフェンスに守られているが、それでも普通に野球ができる広さではない。どうしても打ち損ないなどあるとボールがフェンスを越えて表に出ることも多く、他の利用者に迷惑を掛けることもあった。そのあたりは心得ている小学生だったので、どうしても不満だけが残っていた。
「まぁ、またあの人来てるぞ」
友達の一人が私に近づいてきて、その人に向かって顎を向けた。
「そうだな」
私はそれだけしか答えることができなかった。もちろんその人の存在は私も前から気づいていて、気付かないふりをしていたのだが、それを面と向かって言われると、どう言い返していいか返答に困ってしまった。
球技場のネットのすぐそばに休憩用のベンチがある。そこにいつも腰掛けてこちらを見ている女性がいるのだが、友達は彼女のことを言っているのだ。
白い帽子をまぶかにかぶり、まるでお嬢さんのようなその女性は、公園のベンチにはおよそ似つかわしくなかった。彼女の視線は明らかに球技場を目指していて、白いボールが行き来するのをじっと見ているようだった。
――一体何が楽しいんだろう?
私には彼女の行動が理解できなかった。日が暮れるまで遊んでいる私たちだったが、その女性はそこまで付き合っているわけではない。日が暮れる少し前の、そう五時過ぎくらいだろうか、いつも初老のタキシードに身を包んだ人が彼女を迎えにくる。待っていたかのごとく彼女は初老の男性に手を引かれるようにして帰っていくが、高級車に乗り込む姿は、まさしくお嬢さん以外の何者でもない。
そんな彼女が立ち上がってから車に乗り込むまでを、私をはじめとする野球少年たちはいつもじっと見詰めていた。誰一人として声を出す者もおらず、ただじっと見ているだけなのである。
――どこのお嬢さんなのだろう?
少し、行ったところに住宅街があるにはあるが、そこにそんなお嬢さんが住んでいるようなところはない。実に我々の間ではしばらくの間、大きな謎として写っていた。
――いつ頃から私は彼女を意識し始めたのだろう?
最初はそんなことはなかった。
――なぜ、お嬢さまが?
という疑問の方が大きく、感情らしいものは何もなかったからだ。
しかしいつ頃からか、その女性を意識し始めた。それはきっと彼女が公園のベンチに座っていることへの違和感が取れた頃だったかも知れない。
――まるで昔からの知り合いだったような懐かしさを感じる――
そう思った時、彼女は私の中で「女性」として意識する存在となったのだ。
いくつかの疑問が解けることはなかった。結局神秘の女性としてしばらくは私たちの頭の中に残ったのだが、最後にあのようなショッキングなことを聞かされようとは夢にも思わなかった。
彼女が公園に来始めてどれくらいの時期が経ってからだろうか? 急に彼女の姿を見ることがなくなったのだ。それまでは、ほぼ毎日来ていて、それも決まった時間だった。現れる時間も決まっていれば、迎えが来る時間も決まっている。
そういえば一度時間を測ったことがあった。なぜそんな気になったかなどその時の心理状態は覚えていないが、
――ジャスト一時間だ――
と思ったことには違いない。
季節の変わり行く時期であっても、同じような明るさの時間だったことから、少しずつ実際の時間がずれていたことはハッキリしている。私たちが公園で遊ぶ時間は学校の就業時間の関係で始まりは変わりない。それでもいつも遊び始めて一定の時間になると彼女が現れていることから、それほど長い期間我々を見ていたわけではないことが窺える。
――それにしてもかなり以前から見ていたような気がするのは気のせいだろうか?
そんな疑問が頭に浮かぶのも仕方のないことだった。それにしても彼女が来なくなってから遊んでいても心から楽しめない時期が続いた。それはどうやら私だけではなかったようで、友達の中には露骨にやる気のなさを示すやつもいた。
「あぁ、面白くねえな」
と言いながら受けそこなったボールをだらけた仕草で追いかけている。しかし誰もそんな彼に文句をいうやつはいない。だらけた態度を表に出さないまでも、気持ちは同じだと皆が思っていたからだ。指摘すればそれだけ自分の気持ちを自らが指摘するような気になるとでも思っているに違いない。なぜといって、それは私にしても同じだからだ。
皆の視線がベンチに注がれ、しばし野球が中断してしまうこともしばしばあった。そんな時の皆の表情が一様にいかにも寂しそうで、誰一人として声を出す者もいない。きっとそれぞれの表情を見ながら、
――自分も同じような顔をしているに違いない――
と心の中で思っているに違いない。
それからどれくらい経ったであろうか?
一ヶ月くらいだったと記憶しているが、そんなある日、いつも彼女を迎えにくる初老の紳士が高級車で乗り付けてきた。
――あれ? 迎えに来ようにも相手がいないのに、どうしてなんだろう?
これはきっと私だけの意見ではないだろう。
皆、男を見ている。いや、男を見ているというよりも、男の手に持たれているものに注目していたと言った方が正解かも知れない。この場所にお世辞にも似つかわしいとは言えないタキシードという恰好ではあるが、さらにその手に抱かれているものが違和感を感じさせる。
男の表情はまったくの無表情に見える。それだけに哀愁を誘うのだが、その雰囲気は厳粛そのものに見え、自分たちの表情も一様に強ばっているのを感じた。
さっとまわりに緊張感が走る。まるで、風のように現れてゆっくりとした歩幅で進んでいるが、それだけにあたりの空気を重々しくしている。
作品名:短編集22(過去作品) 作家名:森本晃次