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蘭陵王…仮面の美少年は、涙する。

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…たいさお。一度、彼は唇を動かそうとした。言葉はない。死んだのは、Sao Thô chết ? なぜ? Không biết. と Quần は言い、それは「知りません」と彼が言ったことを意味したが、彼が知らないわけがなかった。彼が今嘘をついたことには気付いていて、私は、そしてさっきまで斑らな赤と濃い透明な青で区切られていた空は、もはや、単なる白から青への平坦なグラデーションに過ぎない。仕方がない、と Quần は Không biết làm sao. 言った、すべてのものが、と、私を生かしめるのだ、そう、かつて、Thô は、すべてのものが私を生かそうとするのだ、と Thô は言った。私にはそう聞こえた。Thô の住居の前の路面の、向こうには泥色の川の表面に映った空の青がきらめき、崩れ、流れ、Every things makes me live と Thô は言ったが、私は覚えている。明らかに間違った用法の元で、所詮は他人から教えられたものに過ぎない言葉の群れは、あからさまに彼自身のものになる。間違った文は間違いなく記憶そのものを引っ掻く。わたしは覚えている、いつだったか、誰かの命日のパーティか何かで、乾杯のかけ声と話し声と喚声の雑然とした混在の中に、you know ? と Thô は言い、そのひどいなまりは Yêu nhơ 小さな、 としか …愛。聞こえない。彼は身を少しかがめたまま私を振り向き見た。どこ? ông Thô ở đâu ? と トーさんは、私が どこにいますか? 言うのを Quân は聴く。目線さえあわさないままに、You know ? と Thô は 知ってる? 二度繰り返し、ねぇ、やがてしばらく私を見つめたまま、不意に思い出したように nhà と答える Quân の にゃぁあ、 声を …家にいるよ。私は聞く。全てのものが、と Thô は言い、私が涙を拭こうとして差し出した指先をかすかに、顔を背けてやわらかく拒絶し乍ら Quần は、そしてすべてのものが私を、と、Thô が微笑んで私を見つめたまま、私を生かし続けたのだ、と言った声を、Quần の投げ捨てた煙草が、聞く。路上に跳ねるのを、と、見乍ら、Quần は thô の遺体は家[nhà]にある、と言った。彼に何ら語るべき言葉を思いつけない私は、まるで、一言の《母国語》をも知らない外国人の希薄な虫も殺せない笑顔を浮かべたまま、sure ? とだけ言い、触れ合うのか、触れ合うことさえないのか、かすかな共有と接触の中で、至近距離で広がる広大な単なる隔たりはそのまま放置されざるを得ないにもかかわらず、或いは、埋めなければならず埋めざるを得ないこの共有された隔たりが接近する中で、Thô は何も答えず、ややあって、半ば見下したかのように私を見やり、しかし、すぐさま掛けられた乾杯の音頭に飲み込まれた私たちは何もなかったかのようにグラスを鳴らす。氷割りのビールが喉にながれ込み、私は知らない。Thô あるいは Thơ、要するにこの彼が、結局のところ何を言おうとし、事実として何を言ったのかをは。溶け残った氷が音を立てて崩れ、Quần は何か信じられないといった風に目の前の路面に視線を投げ捨てたまま、年齢だけ考えて見れば、確かにいつ死んだとしてもおかしくはない老人が、期限を明確に刻まれた世界、より正確には単なる自分たち自身の進行の中で、それを待たずに死んだ。いずれにしても、世界の最後の日、私たちが迎えるのは死ではなかった。継続する世界の中で、全ての他者に先行して単独に破綻することが死であるとするならば。その限りにおいて、そして、死なかったという事実が不死であるということだとするならば、私たちはその日まで生き残り得た限りにおいて、永遠に不死でありえた瞬間を迎えねばならないことになる。死に得なかった私たちが否応なく迎える不死であったその、時制の論理の破綻の瞬間、一切の消滅とともに、過去完了形として現在進行形のまま過ぎ去ってしまった不死、anh, Đi nhà Thô. と Quân は あんりぃおうにゃあ、 立ち上がり乍ら 行こう、言った。トーさんの家に 私は、グラスの琥珀色を飲み干して、Đi. と 行きましょう。言った。Thô の家に行く。…ね。海に雪が降っている。私はそれを知っていた。記憶しており、私は思い出す。それは記憶された絵だ。海に雪が降っていた。すべてが白い。その絵を見たのは、まだ、コンサルの仕事を続けていた、ベトナムに来て日の浅いころのサイゴンで、私はそれを見る。私は思い出す。それは、太陽へのあきらかな近さがもたらした強い光線の下、ヴィンコム・センターの前の古いビルの入り口に並べられたプラスティックの赤い椅子を引く。あのころよく行った露店のカフェで、鼻に小さな丸めがねを掛けた小さな老婆が甲高い笑い声を立てながらカフェを差し出す。私に何かしきりに話しかけ乍ら、そこの奥は画廊と画家のアトリエを兼ねている。ビルの正面階段の下の壁からぐるりと、壁中に並べられた絵ににぶい薄明かりがあたって、老婆の話しかける喚声のような声は耳を打つものの、私には何を言っているのかわからない。何を言っているのか、何を言いたいのか、私のために何度も速度を変えて繰り返されもする言葉の群れの中で、そんなことは彼女もわかっているには違いない。にもかかわらず、ベトナム語以外の言語を知らない彼女はベトナム語を話し続けた。私は笑みを浮かべて時に声を立てて笑うが、奥で一人の画家が猫背に丸まったまま絵をかいていた。低いプラスティックの椅子の上で。グラスのかいた汗を一度手でふき乍ら手を濡らし、私は、そして彼女の孫は店の隅でスマートフォンをいじり続けた。ヌゥイニャッ、と老婆が何度目かに彼女に言い、私は知っていた、người Nhật 日本人だ、と彼女は言ったのだったが、日の光に触れたことすらないとでも言うような、真っ白い肌の孫娘は、顔を上げ、私を一瞬見やりこそすれ、何の気にも留めない。老婆は言う、Con nói tiếng Anh, Con ơi,… 英語をしゃべってみろ、このおいてぃん 孫は答えない、にゃっこのぉおい それでも老婆は声を立てて笑い続け、彼女は話しかける。老婆は、そして私は何かをもてあまして立ち上がり、画家の肩に手を触れながら、私を見上げて微笑みかけた彼の周囲には油彩絵の具の腐った脂のような匂いが漂う。私は奥の絵を見上げていた。まだ若い、三十にもならないはずのその男は老婆の孫だったかもしれない。ベトナム風の、高い天井が切り開いた空間の中、絵は上から下まで隙間なく並べられていたが、これら、直線的な長短の線で描かれた抽象的で鮮やかな色彩の集積として形作られた、奇妙なほどに後期印象派の亜流でしかない素朴な河と田園の風景画の群れの中に、その絵はひとつだけ、白のグラデーションだけで描かれていた。入り口からの逆光の中、老婆は画家に言葉を投げ、彼は私を見上げたまま愛想笑いを浮かべているが、大気の温度に体は汗ばみ、その絵と彼を交互に指差す私に、画家はややあって、諦めたように首を振った。蠅が鼻先を飛ぶ。俺じゃないよ。短く刈られた髪の毛の既に薄くなりかけたてっぺんをこちらに向