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二度目に目覚める時

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 恋愛小説のようだと思って読み進んでいると、どこか謎解きの小説のようだった。それは別に推理モノのミステリーというわけではなく、精神的な深層心理を抉るような作品だった。ただ、その内容を恋愛というイメージがストーリー全般に流れていて、謎解きは付属のような形で推移していた。
 しかし、謎が解けると、二人の間に流れていた恋愛感情はアッサリと消えてしまっていて、読んでいる自分が、何を信じていいのか分からなくなるほど、不可解な小説だったのだ。
――そういえば、物忘れを気にするようになったのは、小説を読み始めてからだったような気がする――
 確かに本を読んでいると、結構前のストーリーを忘れてしまいそうになったので、小説を読む時は、一気に読むようにしていた。だから、覚えなければいけないことが多くなった社会人になってからは、読書をする機会が一気に減ってしまっていた。
 ただ、物忘れの原因について考えていると、
――余計なことを考えてしまうからなのかも知れないな――
 というのは、いろいろな悪度から自分を見つめ直して気が付いたことだった。特に本を読んでいると想像力が必要以上に働くのか、考えなくてもいいことまで考えてしまっている自分に気が付いた。余計なことが脱線に繋がってしまうと、そこから先は迷走を続けてしまう。
――同じことの繰り返しで続く堂々巡りならいいのだが、少し違う考え方をしていても堂々巡りを繰り返すのだから、厄介なのだ――
 もし同じことを繰り返しているのであれば、却って堂々巡りは意識しないのかも知れない。堂々巡りを意識しないと、知らぬが仏で、意外とスムーズに答えを見つけ出すことができることになるのだろう。
 昇は気に入った小説は何度でも読み返すことにしている。
――一度目よりも二度目、二度目よりも三度目と、今まで気付かなかったことにどんどん気付いていくだろう――
 と思っていたが、どうにも違っているようだ。
 確かに違うことに気付いてはいるが、それは、最初の考えの発展性ではない。むしろ、新しい発見になるのだが、そこに共通点を見出すことはできる。しかし、それは最初の考えを否定しかねないもので、最初の考えと共有できないものであることを悟ると、
――やはり余計なことを考えてしまったのかな?
 と思えてくる。
 最初は、後になればなるほど、考えが深くなっていくように思え、進歩が感じられたが、実際には最初を否定することで、どんどん迷いを深めるようで、気に入らなかった。せっかく鉄壁の布陣で待ち構えているものを、崩してしまう。それはまるで一糸乱れぬ陣形に、何かが入ったために、蜘蛛の子を散らすような状態になるようなものだった。四方八方に散ってしまった意識は、収拾がつかなくなってしまったことを意味している。入ってしまった何かが余計なことなのだが、それをもたらしたのも自分だと思うと、誰に思いをぶちまければいいのか、自分に腹を立てるしかなかった。
 そういえば、散り散りバラバラになってしまったものも、元を正せば、くっつけあわせたものだった。最初から確固たる形で存在しているものなど、自分の意識の中には存在しない。存在すると思っているものこそ、想像の中の世界のものであり、事実よりも理解できるのが分かっているだけに、事実を覚えていられないという意識に繋がっているのだ。
――事実は小説よりも奇なり――
 という言葉があるが、学生時代の昇には、そんなことを言われてもピンと来なかった。就職してからもピンとくるどころか、
――事実というのは、それ以上でもそれ以下でもない――
 という意識に凝り固まってしまっている自分に気が付いた。
 ただそれは、自分の中で、真実と事実というものが混在してしまっているからだった。真実と事実が同じものだという考えでいたとすれば、
――事実はそれ以上でも、それ以下でもない――
 という思いから脱却することはできないだろう。
 真実というものは、事実と違い、すべてのものに当て嵌まるものではない。逆にすべてのものに当て嵌らなければ、事実ではない。納得しなければいけないことが共通点であるならば、すべての人の共通点に当たるものが事実であり、その人それぞれで違うものが、その人の真実だと言えるだろう。事実も真実もその人にとっては疑うべきものではない。共通点と違う部分をいかに理解できるかによって、その人の技量が確かめられると言っても過言ではないだろう。
 最近になって、昇は一つ疑問に感じてきた。
――真実と事実。共通点があるにも関わらず、突き詰めてみると平行線のように、決して交わることのないように思える――
 すべてのものに当て嵌まるものでなければいけない事実と、人それぞれに持っている真実とでは、真実が歩み寄らない限り、事実とは交わることはない。確かに事実の中に真実も含まれているように思えるが、真実はその人にとって曲げることのできないもの。人に押し付けるわけにはいかない。いわゆる次元の違うものに思えてくるのだ。
――次元が違えば交わることはない――
 この理屈が昇に一つの考えを与えた。
――事実だけを見ていると、真実を見極めることはできない――
 という結論に達した。これは、自分で達したというよりも、何かに導かれたような気がして仕方がない。なぜなら、この考えは、どこかで聞いたことがあるような気がするからだ。
 それでも、考え方が間違っているような気はしてこない。何度でも同じ小説を読み返すのも、この思いがあるからだろう。難しいことはさておき、余計なことを考えないようにすることが大切だという思いに達していた。
――今日は、また理論的に考えてしまったな――
 少し反省をしていた。
 それは家を出る時から考えていたことで、道を歩きながら、余計なことを考えないようにしようと思っていたはずなのに、気が付けば駅に着いていた。しかも、ホームで電車を待っている時にですら、
――今まで歩いていたはずなのに――
 という一足飛びの発想が脳裏を巡るのだった。
 そういえば、昨日の夜から、少し気になる小説を読み始めた。
 ミステリーでありながら、深層心理を抉っている話に感動したのもそうなのだが、描写はその場面場面でも、鬼気迫るものを感じさせられた。特に自殺志願者が、自殺をする前に考えていたことをまるで自叙伝のように語っている件は圧巻だった。そこが、まえがきになっていて、小説が進んでいく。
 今まで自殺に対して感じていた思いが少し変わっていたような気がする。
「自殺するのは、その人が弱いからだ」
 確かに同情すべきところはあっても、結局は本人の問題だという意識があった。
 その考えは間違ってはいないだろう。しかし、それは自殺というものを一つの形としてしか判断しない場合である。自殺するにはいろいろな理由があるが、それと同じくらいに自殺する時の心境にも違いがある。中には自分の意志に関係なく死んでしまった人もいるのではないかというのが、この小説の話であった。
「私は、死ぬつもりなど毛頭なかったのに、死んでしまった」
 ここから始まる話は、その人が死後の世界に到達する前のところから始まっていた。
「あなたは、自殺したことになっている」
作品名:二度目に目覚める時 作家名:森本晃次