旧説帝都エデン
目にも留まらぬ速さでムラサメが舞う。
煌めく水飛沫。
青年の腕から鮮血が迸った。
さらに脚からも血が流れていた。
だが、青年はしっかりと大地に立っている。
蘭魔は驚いたようすだった。
「あんたさ、マジで末端かよ?」
「そうだけど?」
「オレがやり合ってきたそこいらの団員より強いぞ?」
「入団したばっかりだからね」
春うららかな青年の笑みは戦闘にはそぐわなかった。
相手をする蘭魔も余裕のようで、まるで近所で世間話でもするような雰囲気で、さらに話を続けようとしていた。
「あんたさ、なんでD∴C∴になんか入ったんだよ?」
「う〜ん、お給金がいいし……」
「そんな理由かよ?」
蘭魔は呆気にとられた。
さらに青年は、
「あとは世界の謎や不思議が好きで、資金を貯めたらトレージャーハンターになろうと思ってて」
もう蘭魔は呆れっぱなしだ。
「D∴C∴って選択肢は間違っちゃいねぇけど、もっとマシな組織とか研究所とかあるだろ?」
「D∴C∴以上に隠された歴史や存在たちに迫れるところってある?」
青年が言う隠されたモノは、女帝たちの存在とその歴史のことだろう。
蘭魔は首を横に振った。
「ないな。人間のオレたちじゃ政府の中枢で雇ってもらうってこともできないだろうからな。政府がダメならその逆ってか?」
「そうなるでしょ?」
「だがオレはD∴C∴の団員じゃないけど、その辺りの事情をある程度は知ってるぜ?」
「だからボクもある程度取っ掛かりができたらやめるよ」
「だったら今止めろよ。あんたにだったらオレの知ってること教えてやるよ」
「ホントに!?」
青年は眼を丸くした。まるで少年のような表情だ。
「ああ、あんた変な奴だからな。D∴C∴の熱狂的な信者ってわけでもなさそうだし」
「ならやめるよ」
「あっさりしてるな、あんた」
「だってD∴C∴に固執してるわけじゃないもん」
その言葉に嘘偽りはないと蘭魔は確信していた。
「オレは傀儡士をやっていてな。多くのモノを使役してるせいか、人を見る目はそれなりにあるんだ。だからあんたには話をしていいと思う」
「それはありがとう」
「ならそこでじっとしてな、今からオレは空間を斬る」
蘭魔はつい先ほどまで敵だった青年に背を向けた。
もしもすべてが青年の演技だったら、今頃背中からバッサリと斬られていたところだろう。
だが、蘭魔は斬られなかった。
蘭魔は空を見上げながらそこら辺をうろちょろと歩いた。
「オレに斬れないモノはない。なぜならオレは天才だからな」
「そうだね、死都の結界を破ったくらいだもんね」
「あんた素直で良い奴だな。ひねくれた奴らはオレが天才だと言うと、すぐに食ってかかってくるもんだからな」
蘭魔が立ち止まった。
「次元や空間を斬り場合はコツがいる。オレのような繊細な人間にしかできない作業だ」
「それは同意しかねるね」
「あんたオレに会ったばかりだろ。オレの繊細さを知らないだけだ」
「そうかなぁ?」
「とにかく黙って見てろよ」
蘭魔は話し続けながら一点を見つめていた。
そこに斬るべき何かがあるのだろう。
「オレも知りたいんだ。奴らがいったい何者で、奴らが重要視するこの場所になにがあるのか。斬ってみれば答えが出ると思ってな」
「短絡的だね。何が起こるかわからないのに斬るの?」
「発見には驚きが付きもんだよ。そろそろ斬るぞ?」
何が起こるのかわからない。
それに備えて身構えた時雨。
刹那のうちに蘭魔の手が動いた。
煌めく妖糸。
風が絶叫した。
裂かれた空間から覗く夜よりも暗い闇。
傷口を開く空間が唸り、周りの空気を吸い込みながら広がっていく。
闇色の裂け目から悲鳴が聴こえる。泣き声が聴こえる。呻き声が聴こえる。どれも苦痛に満ちている。
嗚呼、嗤い声が聞こえる。
それは老人か、はたまた子供か、それとも異形の存在か。
蘭魔が後退った。
「やっちまった」
何が起こったのかわからなかったが、それが鬼気迫る状況だというのはわかる。
裂けた空間から闇色の棘が降ってきた。まるでそれは矢の雨。
蘭魔は十の指から妖糸を放ちそれを防いだ。
しかし、青年は恐怖で身がすくんで動けなかった。
一本の棘が青年の胸を貫いた。
蘭魔が振り向く。
「だいじょぶかッ!!」
その蘭魔の躰を闇色の影が突き抜けた。
「うっ……今のはなんて……」
そのまま蘭魔は気を失って倒れてしまった。
蘭魔の躰を通り抜けた影はまさしくダーク・ファントム。
それを追うように空間の裂け目から輝く何かが飛び出してきた。
だが、その輝きは今にも消え入りそうだった。
女の声がした。
「このままでは……もたない……」
輝く光は青年を見つけた。
数秒もすれば死に至る青年が血の海に沈んでいた。
「しばし……借りるぞ……」
光はそう言って青年の躰の中へ吸い込まれて行った。
それこそがシオンだった。
ついに眼を覚ましたシオン。
「お母様、なんてことをしてくれたのですか!!」
鎖に繋がれていたシオンは叫んだ。
シオンが目覚めたと同時に、その鎖もすぐに取れる状態になっていた。
ダーク・ファントムは鎖を投げ捨て、シオンの躰を押し飛ばした。
「あと一歩だ! セーフィエル柩を開けるんだ!!」
「もうわたくしの利害とあなたの利害は一致しておりませんわ」
淡々と述べた。
ダーク・ファントムの焦りは募るばかりだ。
「セーフィエル!!」
「はじめから申し上げていた……ことじゃぞ?」
途中からセーフィエルの口調と雰囲気が変わった。
そこにいるのは人間セーフィエルではない。
あと一歩のところで前に進めない。ダーク・ファントムは怒りを露わにする。
「アタシに勝てると思うな!」
ダーク・ファントムが狙おうとしたのは未だ弱っているシオン。
セーフィエルの最大の弱点こそがシオンだ。シオンを手中に収めてしまえば、セーフィエルはダーク・ファントムに従うしかない。
だが、セーフィエルは微笑んだ。まるで月に照らされたようなその表情。
なぜそこまで余裕なのか?
ありえないことが起きてダーク・ファントムは思わずその動きを止めてしまった。
光を呑む込む闇の中に光がある。
まるで月のように輝く淡い光がそこにある。
この世界に光が存在している。
セーフィエルは静かに囁く。
「〈タルタロスの門〉を開くには3人の人間が必要。3人の過半数の承認が得られたからこそ、あの扉は開いたのじゃ」
「謀ったなセーフィエル!!」
「その言葉は返させてもらうぞよ。御主は妾を危険視しておったようじゃからな、いつか排除するつもりだったのじゃろう?」
先手を打ったのはセーフィエル。
夜闇を照らす月のように輝くその場所にあったのは神刀月詠だった。
それを持っているのは雪兎。
だが、そこにいたのは前までの雪兎ではなかった。
その皮膚を覆う蛇の鱗。
雪兎は蜿の呪いを断ち切った際、その呪いを受け継いでしまったのだ。
月詠は月のように他者から光を得ていた。それこそが雪兎。
刹那、月詠が薙がれた。
迸る光の玉。
ダーク・ファントムがついに斬られた。
「ギャァァァァァッ!!」
作品名:旧説帝都エデン 作家名:秋月あきら(秋月瑛)