旧説帝都エデン
「ふざけるな、そんな名前出すなよ!!」
ダーク・ファントムの怒号が響いた。影は震えていた。怒りのためか、それとも恐怖か、セーフィエルが口にした名前が衝撃を与えたことは確かだった。
気を取り直したダーク・ファントムは、
「君は恐ろしい奴だ。そこまで恐ろしい奴だとは思わなかった。アタシから生まれた者……いや、ラエルとも思えない」
「ええ、わたくしは人間ですもの。そして、〈タルタロスの門〉を開けるのも実は人間」
「なんだって!? そんなことアタシは知らないよ!」
「今あなたが考えたことは否定させてもらいますわよ。本物の〈ゲート〉をこちら側から開くためには、地球の全人口の半数以上の協力が必要ですから、到底無理ですわよ」
「そんな仕掛けがあったなんて……」
「このリンボウに堕として、実験でもしているのか、それとも試しているのか……意地が悪い」
妖しく微笑むセーフィエルにダーク・ファントムは戦慄した。
「やはりキミは恐ろしい。でもアタシはそれを認めない。それは認められないことだからね、アタシたちはすでにその証明に失敗してる」
「だからここに堕とされた」
「もうこの話はたくだんさ。早く〈タルタロスの門〉を開くんだ。開くことができるんだろう?」
「模造品であるこの程度の門なら二人の承認で十分」
人間にしか開けられない扉。
二人の人間。
セーフィエルともうひとりは――。
「ボクはこれ以上協力できない!!」
時雨は強く拒否した。
だが、まだ人質は相手の手中にある。
ダーク・ファントムがセーフィエルに尋ねる。
「さっきの女をまた使おうよ?」
「やめろ!!」
時雨が口を挟んで叫んだ。
セーフィエルが時雨の耳元に近付いた。
そして、ダーク・ファントムにも聞こえないほどの小声で何を囁いた。
次の瞬間、時雨は気を失ってセーフィエルに抱きかかえられた。
驚くダーク・ファントム。
「なにをした?」
「ちょっとした小細工よ。これで門は開くわ」
セーフィエルは妖しく微笑んだ。
訝しむダーク・ファントムだったが、セーフィエルの言葉のとおり、〈タルタロスの門〉が静かに開きはじめたのだ。
吹き込んでくる極寒の風。
大地を瞬く間に凍らせ、空気すらも氷結させた。
セーフィエルは門が開く前に魔法によって防壁をつくっていた。それによってセーフィエルと時雨の肉体は極度の寒さから守られた。
だが、意識を失っているはずの時雨は、うわごとを呟いていた。
「寒い……寒いよ……寒くて凍えてしまう」
セーフィエルの魔法は完璧であった。だからその小声は〈タルタロス〉から吹き込む風のせいではない。
時雨は普段から寒がっていた。
夏であろうと冬物のコートを着ているほど、異常なまでの寒がりであった。
それはなぜか?
セーフィエルは優しく時雨に囁いた。
「もうすぐその凍えからも解放されるわ、シオン」
凍えているのは時雨ではない。
シオンなのだ。
タルタロスの中は闇だった。
大地や空があるのかすらわからない。
中に踏み込んだセーフィエルは光を灯そうともない。光を灯しても闇に呑まれてしまうことを知っているからだ。
闇の中を進む。
方向感覚が麻痺させられる。
しかし、ダーク・ファントムは迷うことなく進んでいた。
「こっちだよ、アタシがこっちにいる、もうすぐだ!」
その声を頼りにセーフィエルは時雨を背負いながら進んだ。
ダーク・ファントムが立ち止まった。
「ここだよ」
視覚では確認できなかったが、そこには柩が置かれていた。
そして、その柩の上には鎖に繋がれたひとりの女。片方の翼をもがれたその女こそがセーフィエルが探し求めていた娘。
「シオン!」
セーフィエルは闇の中で娘の躯に触れた。
冷たい躯。
頬も胸も腕も脚も、死んだように硬く冷たくなっていた。
しかし、この極寒の地にいても凍り付いているわけではない。
なぜならシオンは死んでいるわkではないからだ。
この地を守り、最後の封印として、〈邪柩〉を守り抜いていた。
すぐ目の前まで迫った己の復活にダーク・ファントムは焦っていた。
「さあ、早く早く、柩を開けるんだ。まずはノインをどうにかするんだ!!」
セーフィエルの耳にその言葉は届いていなかった。
彼女は自らのすべきことをするだけ。
セーフィエルは時雨の手をつかみ、その手を横たわるシオンの胸に乗せた。
刹那、時雨とシオンの眼が見開かれた。
――還る刻が来た。
それは時雨がハルナに拾われたあの日から、数日前のこと。
その青年――時雨と名付けられる前のその青年は死都東京にいた。
目的はある男を追って。
生い茂るジャングルの中で青年はトラップが張られているのを確認した。
傀儡士の妖糸だ。
ムラサメを抜いた青年は妖糸を断ち切った。
次の瞬間、巨大な丸太が青年に向かって飛んできた!
「二重トラップか!」
妖糸に触れた時点で人間の肉はいとも簡単に切断させる。
だが、妖糸を切れば丸太が飛んでくる仕掛けになっていたのだ。
ムラサメは水飛沫が上げながら丸太を真っ二つに割った。
紅い影が逃げていくのが青年の眼に映った。
すぐさま青年は影を追って、ある場所に出たのだった。
死都で広く開かれた土地。周りには異様な動植物が蠢いているというのに、その魔法陣が描かれた大地にだけは、少したりとも動植物は侵入して来ようとしなかった。
紅い男は青年に尋ねる。
「あんたはここがなんだか知ってるか?」
「ボクはD∴C∴の末端だからね、あまりよく知らないんだ」
青年は魔導結社D∴C∴の団員だった。
そして、目の前の紅い男はD∴C∴に目下の敵とされている傀儡士。名は蘭魔と言った。
蘭魔は深くうなずいた。
「そうだろうな。あんたはオレが結界に穴を開けなきゃ、ここに入ってくることもできなかったんだ」
{死都東京のドーム結界に入れるなんてボクも驚いてるよ}
帝都にはD∴C∴を含め、〈闇の子〉の信者たちや、その復活を願う者も多い。だが、彼らは死都東京の結界を破ることすらできないのだ。
それを蘭魔という男はやってのけた。
だが、D∴C∴に狙われる男が、なぜ死都東京の結界を破って中に入った?
青年はムラサメの切っ先を地面に向けた。
「ちょっと質問していい?」
「ああ、いいさ。オレも気になったら知らないと気が済まないタチでね。答えられる質問ならなんでも答えてやるさ」
「キミの目的が知りたい。ボクはさっきも言ったけど末端の駒だからね。たまたま団に指名手配されてるキミを追いかけて、ここまで来ちゃっただけんだ」
「そこ答えを知るためにオレもここに来た」
「はぁ?」
「知りたきゃそこでじっとしてろよ、今に見せてやる」
「そんなことできないよ。キミはボクの敵だからね、なにをするのかわかんないのに、やらせるわけないだろ」
「ならやるっきゃないだろ?」
蘭魔は構えた。
合わせて青年もムラサメを再び構え直した。
妖糸が宙を翔る。
ムラサメが妖糸を切断する。
さらに蘭魔は妖糸を放とうとした。今度は両手から合わせて10本もの妖糸だ。
「喰らえ悪魔十字ッ!」
十字を描く10本もの妖糸に青年は挑む。
作品名:旧説帝都エデン 作家名:秋月あきら(秋月瑛)