旧説帝都エデン
解呪
「依頼に来た」
短く紅葉[クレハ]はハルナに告げた。
並々ならぬ気配を感じたハルナは、慌てて紅葉を家の中に通した。
「時雨さんなら2階のいつも部屋にいます」
「お邪魔する」
おじぎをして紅葉は二回へ上がった。
3月も下旬だというのに時雨はこたつの中に潜っていた。
「依頼に来た」
再び短く紅葉は告げた。
時雨はこたつに潜り直した。
「別の人に頼んでよ。夏が来るまで仕事はしたくないんだ」
「弟が仮死状態になった」
その言葉を聞いて慌てて時雨はこたつから飛び出した。
「なんだって!?」
驚きを隠せない。
紅葉の弟は仮面の医師――蜿[エン]。
?大蛇?の呪いを背負ってしまった者。
すなわち〈ヨムルンガルド結界〉と繋がる者。
紅葉は立ったまま話をする。
「すでに原因究明には多くの人間が動いていた」
「いた?」
「帝都病院の威信にかけても、院長である蜿を直そうと躍起になっていた。我が秋影コーポレーションも全勢力をかけて動いていた。医師、科学者、魔導師、そしてTSにも依頼済みだった。だが、帝都政府が乗り出してきたことにより、すべての情報は隠蔽され、我々の介入はすべて規制されることになったのだ」
「ボクはなにをすればいい?」
「原因そのものについては予測はついているが、それを多くの者に口外するわけにはいかない。君には神威神社の神主である神威雪兎[カムイユキト]という人物を捜し出して欲しい」
「あの神社の神主は命[ミコト]じゃないの?」
「命には行方不明の兄がいるのだ」
記憶を失った時雨がこの場所に辿り着いたときには、すでに雪兎はいなくなっていた。
雪兎がこの街からいなくなったあと、紅葉は彼に会っている。その時点でまでは対外的には行方不明になっていたが、紅葉は雪兎の居場所を知っていたことになる。それを今になって捜索依頼をするということは事情が変わったということだ。
「手がかりは?」
時雨が尋ねると紅葉は首を横に振った。
「なにもない。なぜ行方不明になったのか私は知らない」
明らかな嘘だった。つまり時雨に開示できる情報はないということだ。
人捜しをするには情報量が少なすぎる。
わかっている情報は雪兎が神威神社の神主であることと、その妹が命であること。そこから新たな情報が見つからなくては、行き詰まることになるだろう。
「ほかにはなにかある?」
さらに時雨は尋ねたが、やはり同じように紅葉は首を横に振った。
「今のところはない。新たな情報があれば君に伝える。では、よろしく頼んだ」
有無を言わせぬまま紅葉は急いでこの場から立ち去ってしまった。無礼とも取れるが、切迫した状況とも取れる。
時雨はすぐに冬物のコートを羽織り出掛けた。
目的地は神威神社。
ハルナに店を任せて、そのまま商店街を抜ける。
神威神社はその先にある。あると言ってもまだそこは跡地だ。
長らく命はホテル住まいを強いられていたが、このほど仮設住宅を神社の建設現場近くに建て、そこで暮らしていた。
ホテルよりも明らかに不自由な暮らしだが、それでも命はこの場所で暮らしている。
命は無事だった境内の掃除をしていた。竹箒を掃く手を休め、時雨に顔を向ける。
「久しぶりじゃの」
「やあ、元気にしてた?」
「今はもうすっかり元気じゃ」
「うん、それはよかった」
言い終えた時雨の足下が揺れた。
世界が回転する。
突然、時雨は意識が途切れそうになり倒れてしまったのだ。
命は倒れそうになった時雨を抱きかかえた。
「大丈夫かえ?」
「……ちょっと、最近調子が悪くて」
「おぬしの躰……はじめて触るが、異様に冷たいな……まるで死びとのようじゃ」
そう言った命の瞳も凍り付いていた。
時雨は微笑んで見せた。
「冷え性なんだよ」
「粗末な仮住まいじゃが、休んで行くかえ? 美味しい茶を淹れてやろう」
「また今度にするよ。それよりも用事があるんだけど?」
「なんじゃ?」
「お兄さんのことなんだけど?」
その言葉は命の表情を変えた。真剣な表情というか、どこか切迫したような怖い表情だ。
「わらわの兄のことかえ?」
「そうだよ。人に頼まれて探してるんだ」
「どのような用件で?」
「言っていいのかな。政府が規制に乗り出してるみたいで、ボクが動いてるのも本当はよくないんじゃないかなぁ。でも人の命がかかってるんだ」
少し命は考えているようだった、口を閉じて数秒、動かずに石畳を見つめている。
そして、顔を上げて時雨を見定めた。
「兄上はこの世にはおらん」
「え!?」
驚いた時雨は雪兎が死んでいると思ったのだ。それを察して命は言い直す。
「死んではおらんぞ。ただ別の世界におる……らしい。わらわにも正確なことまではわからぬのだ」
時雨は安堵した。もしも死んでいたら、ここで依頼は終わってしまう。
「どうやったら会えるの?」
「それもわからぬ。しかし、セーフィエルという女なら知っておるだろう」
「セーフィエル!?」
時雨も驚いたが、それを見た命も少し驚いた。
「知っておるのか?」
「別に知ってるってほどじゃないんだけど、マナと姉妹弟子らしいよ」
「そうか、ならばあとはマナを当たってくれ。わらわが力になれることは、もうないじゃろう」
「ありがとう。じゃあ、行くね」
「力になれんですまんの。またな時雨」
別れを告げ、時雨の背中が遠ざかっていく。
「待ってくれぬか!」
命は思わず呼び止めてしまった。
振り返った時雨。
「なに?」
「いや……なんでもない」
「ホントに?」
「……兄上に会えたら、わらわのことは言わないでいい。ただ、兄上の様子がどうだったか教えてくれぬか?」
「わかった、伝えに来るよ。じゃあね」
「うむ」
今度こそ時雨は去って行った。
残された命が呟く。
「兄上……」
高級住宅街の一角にある屋敷。
魔導産業界では知らぬ者はいない魔導士マナ。
屋敷の中に通された時雨は客間の猫脚のチェアーに座り、しばらくするとアリスが紅茶を運んでやって来た。
「マスターはあと3分ほどで参ります」
「急用で呼び出しちゃってごめんね」
「いえ、マスターはいつもヒマをしておりますから」
二人が話していると、洗い立ての髪の毛の匂いを振りまきながらマナが現れた。
「ア〜リ〜ス〜、あたしがヒマですってぇん?」
「いえ、間違えました。マスターは遊ぶことで忙しいようで」
「ちゃんと仕事をしてるから、遊ぶ時間が多いのよ」
「先月の労働時間は10時間にも満たないようですが?」
「天才だから仕事の効率がいいのよぉん!」
マナの全身からみなぎっている自信。本気で言っている。
髪をふわりと両手で掻き上げたマナは時雨の前に腰掛けた。
「さて、なんの用かしらぁん?」
「セーフィエルの居場所を知りたいんだけど?」
「そんなの知らないわよ」
「え?」
にべもなく言われ、時雨は驚いてしまった。
時雨は食い下がる。
「ほら、えっと、姉妹弟子だったんだよね?」
「そうだけど?」
「なのに連絡先も知らないの?」
「そんなの知らないわよ」
またもや同じセリフを吐かれてしまったが、まだまだ時雨はあきらめない。
「なにか手がかりとかは?」
作品名:旧説帝都エデン 作家名:秋月あきら(秋月瑛)