旧説帝都エデン
「爺、聞いていただろう? 向かってあげたまえ」
《四季の森まで行っておりますと、開演の時間に間に合いません》
その声は備え付けのスピーカーから響いていた。
《お母上は紅葉[クレハ]様とオペラを観るのを楽しみにしておいでです》
お坊ちゃん――紅葉はため息をついた。
「くだらない。次のもすぐに交代になるのは目に見えてる。今回の母上が父上と1年以上持つなら仲良くすることも考えるけど、父上はすでに他の女に気が向いているよ」
複雑な家族事情があるらしい。
車はすでに走り出していた。使用人が無言になったことから、四季の森に向かっている違いない。
紅葉はマナの瞳を射るように見つめた。
「まだお嬢さんの名前を聞いていなかった」
「私の名前はマナ」
「そうかマナか。僕の名前は秋影紅葉[アキカゲクレハ]と言う」
この街で秋影と言ったら、マナはこれしか知らなかった。
「もしかして秋影コーポレーション!?」
「父は父、僕は僕」
「すっごいお金持ちの御曹司なのねぇん」
このときマナは幼いながらも色目を使っていた。
秋影コーポレーションは帝都で80パーセント以上のシュアを誇る医療メーカーだ。手術器具から、福祉などもやっているが、その売り上げの大半は薬品関係である。
帝都特有の妖物やウィルスを研究して作られた薬品が主で、それが生み出す経済効果は計り知れない。そのため、帝都政府の取り締まりは厳しく、妖物の肉片一つでも外に持ち出すのは大変困難である。
リムジンは順調に区を跨ぎニーハマ区に向かっていた。
四季の森が近づいてきたところで、紅葉がマナに質問した。
「ところで四季の森になにをしに行くんだい?」
「冬の泉で魔導具の材料を手に入れるのよぉん」
「四季の森に入る気なのか、そこが迷いの森だと知って?」
「こう見えても私は魔導士なのよぉん」
それは魔導法衣着ているので一目瞭然だ。
やがてリムジンは四季の森の近くに停車した。
リムジンを降りるマナに紅葉が身を乗り出して声をかける。
「無事に帰ってきたら成果を教えて欲しい」
「無事に帰ってくるに決まってるじゃない」
「僕の名刺を渡しておくよ」
電子名刺を受け取ったマナは軽く手を振って、走り去るリムジンの背中を見つめた。
視線を落とし、手に持った名刺を眺める。
電子情報として表示される紅葉の経歴に、博士号取得の文字が羅列していた。
四季の森に入って5分。
すでにマナは迷っていた。
舗装されたまっすぐの一本道。左右には木々が先が見えないほどに生い茂っている。
後ろを振り返ると、地平線の先まで道が続き、その先に建物などの影はない。
前を再び向いても同じ。
道の先になにも見えないのだ。
まるで永遠ループの道を通ってる気分だ。というより、おそらく永遠ループにはまってしまったのだろう。
左右の森に足を踏み入れるという選択肢も残っている。
足を止めたマナは後ろに気配を感じ、そっと振り返った。
思わずマナは目を丸くした。
「何時の間に私の後ろに?」
「それは難しい問題だわ」
そこに立っていたのはセーフィエルだった。
突然、セーフィエルは手を振り上げ、マナの頬を叩こうとした。
驚いたマナは避けるヒマもなく、そのビンタを喰らうはずだったのだが、どうしたことか、セーフィエルの手はマナの頬を通り抜けてしまったのだ。
「叩こうとしてごめんなさい。でも、百聞は一見にしかずというでしょう」
「どういうことなのぉん?」
「同じ場所にいるように見えるけれど、時間軸と空間軸が違うのよ。わたくしはマナよりも、ずいぶん先を歩いているの。わたくしはもうすぐこの一本道を出れるもの」
「前も後ろも同じ道なのに、どうやって出るの?」
セーフィエルは振り返って後ろを指差した。
「まずは後ろに進むといいわ。マナのために印を残してあげたから」
「印?」
「そう、印。道しるべ。まずは後ろに進むの、するとやがて五芒星の印が地面にあるわ。それを一歩通り越し、次は前に進むの。するとまた五芒星があるから通り越して、また後ろに進むのよ。それを繰り返せば道の先に出ることができるわ」
「本当に?」
マナはセーフィエルを疑った。どうして、ここまで親切にしてくれるのかわからない。先ほども道具を分けてもらったが、すべて罠かもしれない。
セーフィエルはマナに答えを返せず消えた。数歩を歩いたセーフィエルが忽然として消えたのだ。別の時間軸、別の空間に移動してしまったに違いない。
少し考えたマナはセーフィエルの言ったことを実行することにした。信じたわけではないが、このままヒントもなしで歩いていても意味がないと判断したのだ。
後ろに進みはじめて100メートルほど、そこでマナは地面に描かれた五芒星を見つけた。砂の上に指で描いたような五芒星。これがきっとセーフィエルの言っていた印だろう。
その印を一歩通り越しすと、あったはずの五芒星が消えた。つまり空間軸が変わったのだ。
次にマナは来た道だったはずの道を進んだ。するとしばらくして、また五芒星の印を見つけ、同じことを繰り返した。
だいたい5回くらい同じことしただろうか?
今度はなかなか五芒星が見つからない。
もしかしたら、罠にはめられたのかもしれない。
後ろを振り向き引き返そうか考えたが、もしかしたらあと少し前に進むだけで脱出できるかもしれない。
マナは引き返さず進み続けた。
すると地平線しか見えなかった道の先に、なにか別の光景が見えてきたのだ。
「やったわぁん!」
マナはまっすぐの一本道を抜け、泉のすぐ近くまで来ることができたのだ。
すぐ先にある泉にマナは走って向かった。しかし、驚いたことに、泉の水がからっぽなのだ。
地肌を見せる泉。
ただの巨大な穴がそこにはあった。
もしかしたら、泉はまだ先なのかもしれない。
マナは辺りを見回したが、今来た道以外に道はない。周りは森に囲まれてしまっている。
「あらぁん?」
マナの目に映るセーフィエルの姿。
木の根元にもたれて目を瞑るセーフィエルの姿。
近づいてみると、セーフィエルは静かな寝息を立てて眠っているようだった。
セーフィエルの近くには皮袋がある。
その皮袋を見たマナはそーっとセーフィエルに近づき、その袋の中から三日月の器と銀の髪飾りを取り出し、自分の持っていた物と取り替えてしまった。
自分が渡された物が偽者でも、相手の持っている物と取り替えてしまえば、大丈夫だろうとマナは考えたのだろう。
そっとセーフィエルの近くを離れたマナは背筋に悪寒を感じた。
罪悪感やセーフィエルが放ったものではない。
森の気温が下がったのだ。
赤く色づいていた森が葉を落とし、どこかで水のせせらぎが聴こえた。
急いでマナが泉に近づくと、そこには先ほどまでなかった水があった。
マナは急いで手に持っていた三日月の器で泉の水を掬おうとした。だが、いくら器の中に水を入れようとしても、蒸発して消えてしまうのだ。
「駄目よマナ」
後ろで声が聴こえ、マナは驚いて振り向いた。
「セーフィエルちゃん!?」
「わたくしが持っていた道具と取り替えたでしょう。全て知っているわ」
「う゛っ……」
作品名:旧説帝都エデン 作家名:秋月あきら(秋月瑛)