旧説帝都エデン
大きな鉄の門を潜り、道路に出たがすでにセーフィエルの姿はない。姿が見なくとも行き先はわかっている。すぐに追いかけなければならない。
これは競争ではない。時間内により相手よりも良質の魔導具を作ればいい。しかし、それではマナの気は治まらないのだ。
セーフィエルに全てにおいて勝つことが大前提。次にファウストの鼻をはかしてやりたい。それが一番の目的かもしれない。
現在、マナがいる位置は魔導街の一角。ここは帝都の中央部から少し横にずれたマドウ区で、魔導産業によって繁栄した街だ。魔導工場も多く点在するが、その一角には中世の屋敷を思わせる魔導師たちの家が立ち並んでいる。
四季の森――通称〈迷いの森〉があるのは、ここから北東に進んだニーハマ区だ。ニーハマ区は帝都の端にある区で、この場所からはだいぶ距離がある。
マナは辺りを見回した。こんなに早くセーフィエルの姿が消えるなんて、運良くタクシーでも拾えたのだろうか。
この場所から駅までは遠い。
バス停は少し行った所にあるが、四季の森への交通手段はステーションで電車を乗り継ぎ、またバスに乗って四季の森の近くのバス停から徒歩だ。とてもじゃないがお嬢様育ちのマナは、それを実行するほど悠長ではない。
しかし、近くに交通手段がないのだ。あるのは自分の足が2本。
タクシーや人を呼ぼうにも、ケータイ電話はファウストの元に預けられる前に没収された。クレジットカードも没収され、残されたのはわずかな現金。
「おとー様は私に甘いのに、どーしてお祖父様は厳しいのかしらぁん」
ファウストのもとに修行に行けと命じたのもマナの祖父だ。魔導に関しては尊敬できる人物であることは認めるが、マナは祖父があまり好きではなかった。
ファウスト邸を出てすぐの道路でマナが突っ立っていると、すぐ後ろで歯軋りのような音を立てながら鉄の門が開かれた。
振り向くとそこにいたのは、先を越されたと思っていたセーフィエルだった。
「あらぁん、まだいたの?」
不思議そうにマナが尋ねると、セーフィエルは微笑んだ。
「準備をしていたの」
「準備?」
「マナはしていないのかしら……うふふ」
静かに笑われ、マナは小ばかにされている思いだった。
マナは手ぶらだった。それにたいしてセーフィエルは箒と皮の袋を持ってる。皮の袋は膨らみや凹凸を見せ、中にいろいろと物が入っていることを伺わせる。
四季の森に行くにはなにか準備が必要のだ。それがなんであるかわからないマナは悔しかった。
それを見透かしたようにセーフィエルは言う。
「冬の泉で水を掬うには特別な道具が必要なのよ」
「知ってるわよ!」
思わず口をついて出てしまった。本当はどんな道具が必要なのかさっぱりわからない。
マナの強がりもセーフィエルも黒瞳で見透かした。
「教えてあげるわ。あなたがわたくしに頭を下げれば」
「そんなこと――」
「できないわよね、知っているわ。あなたはそんなことはできない。うふふ、少しからかっただけ」
ガキのクセになんて性格が悪くて、子供っぽくないんだろうとマナは内心思った。それを言うのならば、マナもませていて子供なのに変な色香を醸し出している。
セーフィエルは皮袋から二つの道具を取り出した。小船のような三日月状の形をした器と、白銀に煌く髪飾り。
「これは三日月の器と銀の髪飾り。三日月の器で水を掬い、銀の髪飾りで水を梳いて清めるの。この二つ、マナにあげるわ」
「えっ?」
勝負の相手に手を貸すなど、マナの常識にはないことだった。
セーフィエルを勘ぐるが、二つの道具を今から入手する余裕はマナにない。ここはひとまず受け取って置いたほうがいいかもしれない。
小さな子袋に二つの道具を入れ、それをマナはいちようスマイルで受け取った。
「ありがとぉ、感謝するわぁん」
と口で言いつつも、これは罠かもしれないと脳内で考え続けている。
もしこれが本物の道具だとしても、それはつまり泉の水を二人が取ってきても、良質の物を作れるのは自分だと、セーフィエルには絶対の自信があるのかもしれない。だから、わざわざ人を上から見る態度で、魔導具をくれたのかもしれない。そう思うとマナは腹立たしくなったが、そこはレディとして腹の奥にぐっと怒りを抑えた。
要するにこの勝負に勝てばいいのだ。マナはそう考え心を鎮めた。
セーフィエルはどこだろう?
マナは辺りを見回したが、すでにセーフィエルの姿はない。
上に気配を感じた。
セーフィエルは箒に跨って宙に浮いていた。空飛ぶ箒までセーフィエルは作っていたのだ。
空飛ぶ箒は作る工程も難しいが、材料を集めるのも容易ではない。その上、操作性も悪く、乗りこなすのは熟練した腕が入るのだ。
それをセーフィエルは易々と乗りこなし、遠くの空に消えていった。
取り残されたマナは地面にしゃがみ込み頭を両手で抱えた。
「もぉーヤダヤダ。絶対に負けたくないわぁん!」
だが、手短な交通手段は近くにはなかった。
もう歩くしかないとマナは決意し、とりあえずセーフィエルが消えた空に向かって歩き出す。
四季の森までの道のりは遠い。
歩き出して10歩も満たない。マナは足を止めてしまった。
辺りを見回して乗り物を探す。
ちょうど角を曲がって現れたリムジンが見えた。
マナはやるしかないと思った。
「止まりなさい!」
マナは道路に飛び出し両手を羽ばたくように大きく広げた。
甲高いブレーキ音とタイヤの摩擦で焼ける臭いが鼻を突いた。
リムジンはマナと数センチのところで止まっていた。マナは冷や汗一つ流していない。絶対に相手が止まるという自信を持っていたのだ――確証もないのに。
すぐに運転席からタキシードを着た初老の老人が降りてきた。
「お怪我はありませんか?」
車の前に飛び出してきた者を気遣うなど、この街では大変珍しいことだ。使用人の教育が行き届いていることを考えると、雇い主は大そうな人格者かもしれない。
マナは初老の老人に詰め寄り、真下からかなりの上目遣いで見つめた。
「私の人生の一大事なの。四季の森に連れて行ってくださるかしら?」
困惑する使用人の後ろで車の窓が開く音がした。
「とりあえず乗せてやれ」
子供の声だった。にも関わらず妙に大人びている。
「畏まりました、お坊ちゃま」
使用人は後部差席のドアを開き、その中に手を向けた。
「どうぞ、お乗りください」
「ありがとぉ」
マナは上機嫌でリムジンの中に乗り込んだ。
そこで出会った一人の少年。
年のころはマナよりも断然に上だが、それでも12、3といったところだろうか?
短パンに白いシャツをコーディネートし、赤い蝶ネクタイまでしている。いまどき、こんなお坊ちゃんがいるなんて思いもしなかった。
お坊ちゃんは読んでいた分厚い本を座席に置き、自分と向かい側になる席を指差した。
「そっちに座るといい」
「はぁい」
マナが向かいの席に座ると、お坊ちゃんが尋ねてきた。
「お嬢さんはどちらまで?」
自分みたいな女児に『お嬢さん』なんてと思いつつも、マナは悪い気はしなかった。小さくてもレディなのだから。
「四季の森に行って欲しいのだけれど?」
作品名:旧説帝都エデン 作家名:秋月あきら(秋月瑛)