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秋月あきら(秋月瑛)
秋月あきら(秋月瑛)
novelistID. 2039
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旧説帝都エデン

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其の名は夏凛


 その日の帝都は例年になく猛暑だった。
 木に止まっているセミがジリジリと身を焦がすように鳴いている。
 向かい側のベンチには営業マンが一休みをしていた。
 ビル街が程近い公園には、子供なんて一人もない。サラリーマンばかり目に付く。
 ワイシャツに汗を滲ませる者が多い中、ひとりだけ浮いた格好をしている者がいた。
 真夏の視線を遮る真っ黒なロングコート――冬物。
 飲み物をストローでチュウチュウ吸う時雨は、その視線を前方に向けていた。
 時雨に負けず劣らずの暑そうな格好をした人物が近づいてくる。
 いわゆる黒いゴスロリ姿の女の子が、スカートの裾を巻き上げながら時雨に近づいて――突進してきた。
 突然のことに時雨は避けることもできず、手の持っていた紙カップが中を舞った。
「だ、だれ!?」
「お兄様!」
「はっ?」
 時雨は女の子に抱きつかれ、目を白黒させて驚いた。抱きつかれただけならまだしも『お兄様』とはいったい?
 大きな瞳を輝かる女の子は時雨を上目遣いで見ている。その口元は押さえきれない笑みを浮かべていた。
「お兄様、ついに見つけた!」
「はぁ?」
「いっぱい捜したんだから」
「はぁ?」
「会いたかった、会いたかったんだから」
「はぁ?」
「お兄様、大丈夫ぅ?」
「はぁ」
 状況把握に努めようとした時雨だったが、相手の顔すらも思い出せない。なぜならば、時雨は記憶喪失だったからだ。
「すまないけど、君だれだっけ?」
「ええーっ! アタシのこと覚えてないの?」
「去年の秋以降の記憶がまったくないんだ」
「嘘だよね、悪い冗談やめてよ」
「本当に君のこと覚えてなんだ」
「妹の顔を忘れるなんて酷い!」
「はっ!?」
 驚きすぎて地面に落ちたままの紙カップを拾う気も起きなかった。
 もちろん妹の記憶はない。この女の子が嘘を付いている可能性だってある。記憶喪失の時雨には判断がつかなかった。
 女の子は目をクリクリさせながら自分の顔を指差した。
「アタシの顔も名前も覚えてないの?」
「ぜんぜん」
「夏凛だよ、夏凛」
「はじめまして、ボクの名前は時雨です」
「……本当に覚えてないのね。行方不明になっちゃっただけじゃなくて、記憶まで失っちゃったんだ。いったいお兄様になにがあったの?」
「それはボクが聞きたいよ」
 去年の秋、時雨はハルナという雑貨屋の娘に拾われた。それ以来、行く当てもない時雨はハルナと暮らし、とても安息できる日々を送っていた。昔の記憶など戻らなくてもいいと時雨は考えていた。
 両親を亡くしたハルナは雑貨屋を引き継いだが経営がうまくいかず、店を畳もうとしていたところに時雨が舞い込んできたため、店の経営を時雨に任せることにした。それでも店の経営は芳しくなく、時雨は今年の春先からある副業をはじめたのだった。それがトラブルシューターだ。
 その頃から、時雨の名が社会に出るようになってきた。社会と言っても裏社会での話だ。
 果たして夏凛は本当に時雨の過去を知るものなのか?
「お兄様が行方不明になったのは去年の夏。アタシがそれを知ったのは今年になってからだけど。お兄様って一度出かけると、長い間、連絡できないこともしょっちゅうだったし」
「出かけると?」
「お兄様は考古学者だったの。それで調査の旅行に行くとね、なかなか帰ってこなかったの。だから、いつものことだと思ってたんだけど、お兄様はいつまでたっても帰ってこなかった」
「ボクが考古学者なんて嘘でしょ?」
「本当だってば、特に神話や魔導に関してかな、アタシに教えてくれなかったけど、そんなことを調べてたみたい」
 時雨は難しい顔をしていた。自分の過去がわからない記憶喪失とはいえ、考古学者だったなんて話は信じられないことだった。
 いつの間にか夏凛はベンチに座り、時雨の腕に自分の腕を回して寄り添っていた。これは兄妹というより、恋人同士のようだ。
 二人がベンチ座っていると、若いOL風の女性が駆け寄ってきた。視線は夏凛に向けられている。
「夏凛さんですよね、握手してもらえませんか?」
「いいですよぉ♪」
 満面の笑みで夏凛は握手に答えた。
 どうやら夏凛は有名人らしい。
 女性も満面の笑みを浮かべていたが、その視線が時雨に向けられると少し曇った表情をした。
「夏凛さんって……やっぱり男性に興味が……やっぱりなんでもないです!」
「この人アタシのお兄様、血縁関係の」
「そうなんですか、夏凛さんは見た目は女性ですけど、やっぱり中身はノーマルだったんですね」
 安堵の表情を浮かべて女性が去って行ったあと、時雨は夏凛を不審の眼差しで見つめた。
「君さ、オカマなの?」
「ちがーう!」
「さっきの女の人の話から推測するとそうなるんだけど」
「違うってば。身体は男なの認めるけど、中身は正真正銘の女の子だってば」
「それをオカマって言うんじゃないの?」
「だーかーらー」
 夏凛は疲れたようにため息を地面に吐き捨てた。
「お兄様、早く記憶を取り戻して。そうしたらアタシのことも思い出すし」
「君がオカマだってこと?」
「だから、オカマじゃないって言ってるでしょ。もともと女の子だったの、説明すると長くなるしめんどくさいけど」
 だから夏凛は普段は?男?で性別を通しているのだ。そのほうが一部の女性にウケがいいというのもあるらしい。
 夏凛と話している最中、時雨が夏凛を見たのは最初だけで、今はずっと遠くの景色を見つけている。決して夏凛の話を真面目に聞いてないわけじゃない。
 自分の過去を本当に知っているのであればと、時雨も質問を投げかける。
「ボクが君の捜してる人物だって証拠は?」
「お兄様が住んでるマンションに行くとか、昔近所だったマナちゃんのこと覚えてない?」
「マナってだれ?」
「魔導士のマナちゃん。魔導具販売の帝都でのシェアが23パーセントくらい握ってる人」
「その人のことなら知ってるよ。でもさ、知り合いだった記憶はないよ」
「じゃあ、お兄様のマンションに行こうよ」
「今は駄目、仕事中」
 夏凛と視線を合わせない理由はこれだった。仕事中なのだ。
「仕事って、なんの仕事?」
「トラブルシューターをやってるんだ」
「お兄様がトラブルシューター!?」
「そんなに驚かなくてもいいと思うけど」
 見張っていた場所になにか動きがあったのか、時雨がベンチから立ち上がった。その腕を夏凛が掴む。
「アタシも手伝う」
「仕事の邪魔」
「アタシの実力なら知ってるじゃん」
「記憶にない」
「そっか。とにかくアタシもお兄様の役に立ちたいの」
「じゃあベンチに座って大人しくしてて」
「もぉ!」
 時雨は夏凛を置いて走った。その手には輝くビームソード――妖刀村雨が握られている。穏やかでないことが起きるのは一目瞭然だ。
 村雨を構えて走り寄って来る時雨に気づいたスーツ姿の男に変異が起きる。筋肉が膨れ上がり服が破け、頭に2本の角が生え揃った。その姿はまるで鬼のようだ。
 公園にいたサラリーマンたちが声を上げて逃げ出す中、平然としている者もいた。それに時雨は気づくべきであった。
 時雨が鬼に斬りかかろうとしたとき、後ろから別の鬼が襲い掛かってきたのだ。