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秋月あきら(秋月瑛)
秋月あきら(秋月瑛)
novelistID. 2039
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旧説帝都エデン

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 なぜか時雨は公園に誘われるように入っていった。
 気配が無い。
 まだこの時間ならば小さな子供たちが元気に遊んでいてもおかしくない時間だ。それなのに、子供の声がしない。いや、声はした。
「きゃーーーっ!」
 小さな子供の泣き叫ぶ声。
 時雨は声のした方向へ全速力で走った。
 中年の女が顔を覆っている。その先には何もいない。あるのは波紋を立てる池のみ。
「なにがあったんですか?」
 時雨が尋ねると女は金切り声を出した。
「子供が、私の子供が池の中に!」
 先ほどの子供の叫び声がそれだろう。きっとその子供が池の中に何らかの理由で落ちたに違いない。
 真後ろの池から気配がした。しかし、時雨が気づいたときには遅かった。池の中から伸ばされた触手は時雨の足首を的確に捉え、バランスを崩された時雨はそのまま池の中に引きずり込まれてしまった。
 突然のことに時雨は口を開いたまま池に落とされ、口の中、肺の中に水が浸入し咳き込み、余計に口の中に水が浸入してくる。
 水の中はとても寒く、凍てつく水が身体を刺す。
 ロングコートが水を含み、身体を自由に動かすこともできず、コートを脱ぐこともままならない。
 この池の底はどこまで続いているのだろうか?
 時雨の身体は抵抗することをやめて、どこまでもどこまでも落ちていく。
 奈落に落とされる気分だ。
 聴覚は深いな水音で塞がれ、濁った水の中では視界も塞がれ、寒さの中で触覚も失われつつあった。
 寒い、寒い、とても寒い。
 いつもと変わらない寒さ。
 どんなに身体を温めようと、その寒さは消えない。
 しかし、魂は?

 ――時雨の意識は事切れた。

 ――このようなところで死んでもらっては困る。

 公園には子供の母親の通報で駆けつけた帝都警察が2人待機していた。
 現場に変わった様子はない。
 すでに妖物は別の場所に逃げたのか?
 いや、なにかいる。
 池のそこで何かが輝いた。
 泥水の中で光は拡散して煌いている。
 次の瞬間、火山が噴火したように水飛沫を上げながら、謎の発光体が池の底から宙に浮かび上がった。
 それは天使のようだった。
 背中に輝く羽根を持ち、気品漂うユニセックスな顔立ちは人間のものとは思えない。
 翼は動物の物と言うより、骨組みだけの機械チックなもので、その翼からは小さな光の玉――フレアがいくつも発生していた。
 2人の帝都警察は、すぐにその顔が誰のものか気づいて、顔を見合わせた。そして、目を見開いたのだった。
 池の底から幾本もの触手が槍のように飛び出した。
 輝く者が静かに呟いた。
「やはり触手が本体ではないのか」
 それは時雨の顔と声で、呟いたのだ。しかし、何かが違う。
 自分に向かって来た触手を束にしてつかみ、時雨はそれを綱引きでもするかのように引っ張った。
 触手はぴんと張り詰められ、池の底で何かが蠢き、水面が激しく波立つ。
 池の中に巨大な生物がいる。
 新たな触手が空に浮く時雨に襲い掛かる!
 瞬時に時雨は触手を手放し、妖刀村雨を始動させた。
 柄から放たれた虹色が噴水のように飛び出した。それは?時雨?が扱う時とは比べ物にならない力を発していた。
 時雨が村雨を振るうと触手は爆砕し跡形も無く分解してしまった。
 先端を爆砕された触手が池の中に引き返していく。
「逃がすか!」
 池に向け滑空する時雨の姿はまるで獲物を狙う鷹であった。
 だが、触手は池の中に没し、底で蠢いていた黒い影も消えてしまった。
 逃げられてしまった。
 時雨は水面の上に立ち、持っていた村雨を深く水面に突き刺した。その瞬間、突き刺された刃を中心に池が一瞬にして凍りつき、厚い氷の壁を形成した。
 唖然と光景を眺めていた帝都警察2人の前に宙から降り立った時雨は、村雨を仕舞い戦いがひとまず終わったことを告げた。
「あの池はどこか別の池か湖か海か……あるいは異界に繋がっているらしい。A級危険区域として政府の管轄で封鎖をしたほうがいいだろう」
 二人の帝都警察は声を出さずにうなずくだけだった。
 声を出たのは時雨が背を向けて立ち去る寸前。
「あなた時雨さんですよね?」
「違う」
 短く返され、沈黙が降りた。

 夕方になり、曇り空から雨が降ってきた。
 買い物袋を片手に傘を差すハルナは黄色い長靴で雨水を躍らせながら歩道を歩いていた。
 雨の日の買い物は、ハルナにとって特別な思い出を思い起こさせる。
 時雨との出逢い。
 自宅の外付け階段を上る途中で、ハルナの視界に玄関前でうずくまる男の姿が見えてきた。
 全身びしょ濡れで、玄関に寄りかかりながら座っているのは、間違うわけも無いまさしく時雨の姿だった。
「なにやってるんですかっ、風邪引いちゃいますよ!」
 時雨の姿を確認したハルナは階段を駆け上がり、時雨に駆け寄ってしゃがみ込んだ。
「時雨さん、意識ありますか!?」
 返事はなかった。
 けれど、意識はあるようだ。
 唇を紫にし、身体を震わせ、時雨は小声で呟いていた。
「とても寒いんだ」
「だったら早く中に入りましょ」
「どんなに身体を温めても寒いんだ……寒いんだ……寒いんだ……」
「早く中に」
「寒い……寒い……寒い……」
「時雨さん」
 ハルナは買い物袋と傘を投げ出し、時雨を身体をそっと抱きしめた。
 今ここで抱きしめているのに、ハルナは自分の知らないどこか遠くに時雨がいるような気がした。こんなに悲しくて寂しい気分になったのは、時雨に出逢う前以来だ。自分はなにもしてあげられないのだろうか。
 怒って時雨を追い出してしまったことを後悔しながら時間を過ごした。そして、買い物から帰ると時雨が玄関先にいた。歓喜でいっぱいだった。
 ――それなのに。
「……時雨さん」
「……寒い……寒い……」
 寒さに凍えるだけだった時雨の身体が少しだけ動く。腕をゆっくりと動かし、ハルナの背中に回る。
「寒い……寒さはいつまで経っても変わらない。身体は寒いけど、心は少し温かくなったかな」
 ハルナを抱きかかえながら時雨が立ち上がった。
 寒さに凍えずに済む日は訪れるのだろうか。
 二人は寄り添いながら家の中に入って行ったのだった。

 凍えは消えず 完