旧説帝都エデン
機械仕掛けのメイド
機械人形アリスはとある洋館の前に立っていた。帝都の街に突如として現れたセーフィエルの屋敷である。
アリスがこの屋敷に出向いたことの発端は、ある日の夜、マナ邸に珍客が訪れたところからはじまる。
特殊な呼び鈴の音を聴きつけたアリスは、すぐさま玄関に向かいドアを開けた。
最初は悪戯かと思った。何せ、アリスの視線の先には誰もいなかったからだ。しかし、アリスが視線を降ろすと、確かにそこには客がいた。客と言ってもヒトではない――梟だ。
梟は軽くお辞儀をして見せると、若々しい男性の声を発した。
「セーフィエル様の使いの者です」
それを聞いたアリスは嫌な顔ひとつせず、ニッコリと笑って、
「こちらへどうぞ」
と梟を屋敷の中へ案内した。
応接間へ通された梟はソファーの上にちょこんと座り、一度どこかに姿を消したアリスが運んできた紅茶を飲み、クッキーをパクリと食べた。
「美味しいクッキーですね。どこでお買い求めになられたのですか? ぜひともわたくしの主人にもお勧めしたい」
「お褒めのお言葉光栄で御座います。それは私の手作りなのでございます。宜しければ、お土産に少しお持ちになられますか?」
「それはありがたい。主人もさぞお喜びになられるでしょう」
アリスはテーブルを挟んで梟の手前にあるソファーに座り、一息ついてから話しはじめた。
「マスターマナは出かけておりますので、私が代わりにご用件をお伺いいたしますが、それでも宜しいでしょうか?」
「ええ、マナ様がご在宅でない時間を狙って訪問させていただきましたから」
「そうだろうと思っておりました。それで、ご用件は何でございますか?」
「これからわたくしとセーフィエル様のお屋敷にお出でになられていただきたいのです」
アリスの今の主人はマナであるが、以前の主人はセーフィエルだ。しかしながら、今の主人がマナである以上は、セーフィエルは敵と言える存在であった。だが――。
「宜しいでしょう。今すぐセーフィエル様のお屋敷に参りましょう」
「本当ですか? まだ詳しいお話もしていないのに……?」
梟は目を白黒させて驚いているが、そんな梟を見てアリスはニッコリと微笑んだ。
「私に危害を加えるつもりなら、セーフィエル様はもっと別の方法を取るでしょう。もし、何かあったとしても、きっと困るのは私ではなくマスターでございましょう?」
悪戯な仔悪魔的の笑み浮かべたアリスはさっとソファーから立ち上がった。
「早く参りましょう。セーフィエル様の屋敷で何が待っているか楽しみ……」
こうして一機と一匹はセーフィエルの屋敷に向かうことになった。
夜の闇は深まり、マナ邸の前には闇に溶けるリムジンが止まっていた。
アリスと梟を乗せたリムジンには運転手が乗っていない。乗っているのはアリスと梟だけだった。
コンピューター制御による自動運転を行える車は一般的だが、アリスの乗ったリムジンは魔導によりリムジン自体が生きていた。
セーフィエルの屋敷はマナ邸から遠からず近からずの距離に建っていた。
マナの屋敷は平面および立面に楕円のカーブや複雑な反転曲線で構成され、過剰な装飾がいかにもマナの見た目を表しているバロック建築で建てられている。それに比べ、セーフィエルの屋敷はバロック建築よりも時代の古い、石造建築の極致と呼ばれるゴシック建築で建てられ、建築の構成が視覚的に明瞭であった。
大きな鉄門を抜け、セーフィエルの洋館が建つ敷地内に入ると、梟の姿が紳士服を着た若々しい男性に転じた。
「改めまして、わたくしの名前はセバスチャン――セーフィエル様の執事です」
「こちらこそ、はじめまして」
以前の執事とは面識のあったアリスだが、このセバスチャンという人物とは初対面であった。
アリスはセバスチャンにエスコートされながら洋館の中に入った。
屋敷の中も外観同様に落ち着いており、華美な装飾をされた家具はいっさいなかった。
アリス通された部屋は真っ暗であった。人間の目ではどこに何があるか全くわからない。しかしながら、その闇では人間でないアリスの目を持ってしても、セーフィエルがそこにいたことを確認できなかった。
暗闇の中に淡い蝋燭の火が灯り、セーフィエルの白い顔が浮き上がってきた。
「こんばんは、愛しいアリス。来てはくれないと思っていたわ」
「無駄な話はいりません。マスターマナを空けて来てしまいましたので早く戻らねばなりません」
アリスは澄んだ蒼い双眸でセーフィエルを見据えていた。だが、アリスにはセーフィエルの存在を確認できずにいた。セーフィエルは目の前にいるが、それだけがセーフィエルではないのだ。この部屋を満たす闇全体からセーフィエルが感じられる。
まるでセーフィエルの体内に閉じ込められてしまったようで、アリスは警戒心を強めた。
そう言えば、一緒にこの部屋に入ったはずのセバスチャンの姿がない。アリスは闇の中で孤立してしまった。
アリスの身体を覆う闇からセーフィエルの言葉が響き、それはアリスの内まで響き渡った。
「〈シザーハンズ〉の整備をするために来てもらったのだけれど、少し遊んで行くかしら?」
「とんでもございません。心の底からお断りいたします」
「あら、心などつくったかしら? まあいいわ、マナの帰りは明後日でしょ、わたくしと遊びましょう」
「宜しいでしょう。遊んで?帰ります?」
部屋の明かりが点けられ、セーフィエルはもういない。そこ代わりにセバスチャンが立っていた。
「シザーハンズの修整パッチをご用意しております」
ノートパソコンに繋げられた出力プラグを持っているセバスチャンを確認したアリスは、セバスチャンに背を向けて後ろの髪の毛をかき上げてうなじを出した。首の後ろには入力端子があった。そこにプラグを差し込んで情報をアリスの脳[ブレイン]に書き込むのだ。
先が尖った太い針のようなプラグをセバスチャンはアリスの首に突き刺した。その瞬間、アリスの瞳は大きく見開かれ、次々とアリスの内へと情報が流れ込んできた。
ノートパソコンを見ながら、情報が全てアリスの書き込まれたことを確認し、セバスチャンは力いっぱいプラグを引き抜いた。
アリスが床に膝をついて倒れ、セバスチャンはすぐに手を差し出した。
「立てますか?」
「大丈夫でございます。思った以上に情報量が多かったもので、少々処理に手間取ってしまいました」
ゆっくりと立ち上がったアリスは柔軟体操をしながら身体を鳴らし、魔導力のこもった蒼い瞳でセバスチャンを見つめ、微笑みを浮かべながら玲瓏たる声を発した。
「これから私は何をすれば宜しいのでしょうか?」
「この屋敷を出るだけで結構です。わたくしは出口まで案内して差し上げられませんが、どうぞお気をつけて」
「お心遣い有り難う御座いますでは、失礼いたします」
部屋を後にしたアリスは廊下を見回した。来た時と何かが変わったようすはない。しかし、セーフィエルが遊びだと言った以上、何かがあるのだろう。ただで帰してくれるはずがない。
突如足場が揺れた。アリスはバランスを崩して床に手をついたが、手は床に沈んでしまい余計にバランスを崩させた。
床がゼリーのようになってしまっている。
作品名:旧説帝都エデン 作家名:秋月あきら(秋月瑛)